チベタン・フリーダム
学生の頃、私は無類のロック好きでした。毎月音楽雑誌を2、3冊買い、それを情報源にCDを買い漁っ ていました。
ある時、いつものように音楽雑誌を眺めていたら、外国のミュージシャンが中心となって「チベタン・フリー ダム」なるロック・フェスティバルを開催された、という記事に目が止まりました。一九九四年のことです。一見すると錚々たるミュージシャンが一同に介した盛大なコンサート(観客合 計10万人!)のようですが、実はその開催趣旨は、題名が表すように「チベットに自由を」というメッセージを発信するものでした。日本の音楽業界ではあまり見られませんが、海外のミュージシャンは政治的な発言と活動を公にします。このコンサートは、当時の中国政府によるチベット統治に抗議し、インドに亡命政府を樹立したダライ・ラマ十四世の活動を支持するイベントだったのです。
そのことを知って、私にとって個人のきわめて享楽的な趣向の一つでしかなかったロックミュージックと、自らの些細な日常である仏教が、初めてダイナミックに結びついたその日のことを、今でも私には鮮烈な記憶として覚えています。
お寺に生まれた私にとって、仏教とは即ち、世襲する家業のようなもの で、自身の信条であり生き方、というところまで腑落ちしていませんでした。 当時は今ほどチベットについての情報 が日本に伝わっていませんでしたが、 私が憧れて止まない多くのミュージシャンにまで影響を与える宗教者、ダライ・ラマ十四世(以下、法王)とは一体 "どういう人物なのだろうと、好奇心をかき立てられたものです。
あれから15年。期せずして昨年は、北京オリンピックの開催を契機として、変わらずチベット自由化を訴える法王の動向と、チベットの惨状が世界的に注目を集めた年でし た。日本でも長野の善光寺が中国政府に抗議し、聖火リレーの出発場所を辞退して話題となりました。私もこれまで、2回ほど法王の日本での講演を聞きました。一九五九年の 「チベット動乱」によって24歳で故郷を追われた法王も、今年すでに74歳。長き苦難の日々から「随分と現実主義者になった」と仰っていました。政教の最前線で身を粉に してこられた法王の労苦を忍ぶと、重く胸を刺す言葉です。法王の高潔な活動や志が、このまま時の流れと共に風化するのはやりきれなく思います。(副住職 記)<宗淵寺寺報『がたぴし』第4号所収>