地名「出雲郷」のルーツを求めて
この地に生まれて、この地に育った私たち。出雲郷と記してなぜ「アダカエ」と呼ぶのと。小さい頃からの大いなる疑問でした。私が小学校の修学旅行からの帰途のこと、昭和三十八年のことです。
当時、伯備線を走る蒸気機関車が牽引する客車の中で、新見市の汽車通勤の青年の方に話しかけられ会話する中で、島根県の「あだかえ」小学校であると言うと、どういう字を書くのかと聞かれました。当然のごとく、「いずものさと、と書いてアダカエと読むのです」、と説明したら、「珍しい地名だね、地元の人でないと絶対読めないな」といわれたことを、今でもはっきり覚えています。
我々地域に住む者でも、よく説明できない地名なのです。以前、本誌に郷土史家の故・周藤国実氏の「阿太加夜 神社のアタカヤ、が語源である」とい うインタビュー記事を載せたことがあ りますが、今回は、以前出雲郷公民館主事として隣国大韓民国に地名「出雲郷」のルーツを探るツアー企画実行された、市向在住で檀家の野々内誠さんに当時の状況をインタビューし、来年東出雲町が、松江市と合併し、新たなスタートを切る前に、由緒ある「出雲郷(アダカエ」」という地名を永遠に 残すために再考することとしました。(序文/聞き手 岸本定朝)
ーなぜ、地名出雲郷のルーツを探る企画をされたのですか。
<野々内>県内には十六島(ウップルイ)など読みにくい珍名、地名がたくさんあります。出雲郷もその一つで、古文書などからは、出雲郡と同義語で出雲郷(イズモゴウ)と称していたようです。阿太加夜神社の名前から、「アタカヤ」が変じて「アダ力エ」となったとも言われています。しかし、古来から日本は朝鮮半島からの文化伝来もあり、そのルーツが朝鮮半島に存するのでは?という思いもあり、ルーツを探る企画をしたものです。
―韓国南部には、阿羅伽椰(アラカヤ)という地名の場所が現存しているようですね。
<野々内>韓国南部の慶尚南道に確かにあります。昔は六つの伽哩国があり小国がひしめいていたようで、その一国に阿羅伽椰国が存在し、その地名は現存しており、発音も「出雲郷(アダカエ)」と類似しており、そこにターゲットを絞ってルーツを探ったと言うことです。
―韓国の大学の先生との協力を得て、情報交換もされたそうですね。
<野々内>韓国東亜大学の康(カン)龍権(ヨンクオン)名誉教授に同伴していただき、康教授の講話や研修会また伽椰邑長(村長)との情報交換の場を持ちました。阿羅伽椰文化院の先生方の調査・研究に基づく歴史の紹介がありましたが、阿羅伽憧が出雲郷のルーツであるというはっきりとしたことは言えないという状況でした。
―巻頭言にもあるように、以前に郷土史家から、阿太加夜神社がルーツであるとの可能性が高いという見解を聞いたところですが。
<野々内>確かにそのことは言えますが、阿太加夜神社の「阿」と「加」が同じであるということからも、私たちの祖先が阿羅伽椰の国から渡来した可能性がないとは言えないと思われます。阿羅伽椰国の存在は、紀元前百年ないし五百年ごろのことですので、当時からすれば二千年という長い年月が流れており、確かなことは言えないという事が現実です。
ー最後に、地名「出雲郷(アダカエ)」のルーツを探る課題は何がありますか。
<野々内>今後、確固とした根拠を求めること、つまり我がふるさと東出雲町に多数存在す る未発掘の遺跡の発掘や古文書の調査・研究をもっと進め、韓国阿羅伽ザ地方の遺跡や遺物との共通性を見出すことが必要であるように思われます。
『日本書紀』によると、天を追放されたスサノオ(須佐之男命素戔男尊)は、一旦新羅に降り、土船に乗って海路で出雲に到った、とあります。また、作家の金達寿(キム・タルス)氏が『日本の中の朝鮮文化』という紀行調査シリーズの中で、出雲地方と朝鮮半島に鉄文化のつながりがあることを指摘していました。朝鮮半島の東南沿岸部に位置する阿羅伽椰地方と、地理的に近いこの地域に関係があったとしても不思議ではありません。引き続き、地名「出雲郷(アダカエ)」のルーツについて、思いを巡らしていきたいと思っています。<宗淵寺寺報『がたぴし』第8号所収>