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英代&フレンズ

いのち

2020.01.27 04:46

2年半前、夫がガンを宣告された日、忘れもしないあの日、

病状はかなり深刻な状況に陥っていた。

夫は自分の前に立ちはだかる治療の多さに、すでに生きる意欲を失った。

二度目の手術の前、彼の心は明らかに死を選んでいた。

会話からこの恐るべき事態を察知した私は、震え上がった。

たまたまその日は土砂降りの大雨で、我が家の半地下は浸水寸前だった。

私はバケツで水の汲み出しに追われた。

雨の中でひたすら水を汲む私を見て、夫は“生きなければいけない”と思ったらしい。

恵みの雨だった。


3回の手術に耐え、そのあと、2リットルの血を吐いた危機も乗り切り、退院できた。

さあこれからは放射線療法と抗癌剤治療を終えればいいと思っていたが、大間違いだった。

毎週5日の放射線療法と週1回の抗癌剤投与は彼を苦しめた。

喉頭ガンだったため、放射線療法で喉は焼けただれ、食事が喉を通らなくなった。

胃瘻をつけた。49歳で胃瘻は精神的にも苦痛だった。


すべての療法を終えたとき、彼が院内感染していることがわかった。

そのためリハビリの病院から追い出された。

自宅療養が始まった。毎日点滴で栄養を摂った。

来る日も来る日も吐き気との戦いだった。

挙句の果て、点滴の針から黴菌が入り、呼吸困難に陥った。

救急車で運ばれる彼の顔は、すでに死神のようだった。

レントゲンに映った肺の黒い影は何なのか...

肺炎か肺ガンか、抗生物質の反応を見てからでなければわからないと医者に言われた。

結果が出たのは1か月後。駒は吉に出た。影は消えていた!


彼の入院中、私はコンサートのとき以外、毎日病院に通った。

病院の食事が彼の喉を通らなかったので、毎日キビのおかゆやスープを運んだ。

しかし食事のためだけではない。毎日病院に行ったのは夫を守るためだった。

夫の喉の痛みが取れないのは気のせいだと診断した医師は、彼を精神科に送ろうとした。

私はそんな考えを受け付けなかった。バカ呼ばわりされても、引き下がらなかった。

医者はまるでSSにでもいたのではないかと思いたくなるような恐ろしい人物だった。

そんな医者や看護婦と喧嘩する気力などない夫を助けられるのは、私しかいなかった。


何度も夫は天国の入り口まで行ったが、神は彼を地上に追い返してくれた。

今では仕事にも復帰でき、いただいた新たないのちを大切にしなくては、と張り切っている。

しかし、今、友人が恐ろしい病魔に取り憑かれてしまった。

ALSの疑いがあると言われたのだ。

ピアニストである彼が、腕が上がらないと告白したのは一年近く前のことだった。

そのときは、まさかそんな深刻なこととは、思いもよらなかった。

何しろ昨年4月、バッハのチェンバロ協奏曲全7曲を一夜に弾き振りしているのだから。


数々の検査を重ねた結果、やはりALSだと診断された。

だが、友人は治るつもりでいる。

医者に「もうあなたはピアノを弾けない」と言われ、彼は怒り心頭なのだ。

“治る可能性の芽すらもぎ取ってしまう医者に、自分の人生を決められてなるものか!

自分は必ず治って、医者を見返してやる!“と彼は言う。

この猛烈なパワーに、彼の演奏が重なる。


お互いコンクールで競い合った仲だが、彼は昔から情熱的な演奏する人だった。

彼の音楽を愛する心の強さが、この病魔に打ち克つことに望みをかけたい。

潜在意識が自分の人生を決めるのであれば、彼は病気を克服できるだろう。

最もいのちを大切にできるのは、自分自身なのだ。

彼の勇気に脱帽し、私たちは毎日心からの声援を送っている。