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「火よう日のおはなし」デイジー・ムラースコヴァー

2020.01.28 08:34

デイジー・ムラースコヴァーの作品は「ぼくのくまくんフローラ」を紹介したときにも書かせて頂きましたが、いつも不思議な力を持っていると感じます。

それはフィクションの魔力、現実を越えていく、不思議な力の源がそこに流れている気がするのです。

本日更新した「火よう日のおはなし」(日本語版、チェコ語版ともに入荷いたしました!)もそんな不思議な魅力に溢れた一冊です。

ある素敵な火よう日のお話です。

美しい朝を迎えた火よう日。気を良くした火よう日の精は、もっと素敵な日にしようと町を飛び回るのですが、公園のベンチに沈んだ顔をしたおばあさんが座っているのを見かけます。

どうしたのかと話を聞くと、重い口を開いておばあさんは話はじめます。

おばあさんがまだ少女だった頃に持っていた、無くしてしまった人形のこと…。

話を聞き終えた火よう日の精は、その無くしてしまった人形の、その後のお話をおばあさんに聞かせてあげるのでした。

まるで夢の中の風景のようなムラスコヴァーの絵。

お話も、夢のお話を聞いているような非現実感がありつつも、不思議な強度で支えられています。

ちょっと考えると、おばあさんが公園のベンチでひとりで沈んでいる理由が、50年以上も前に無くしてしまった人形のことだったというのは、不可解な、ちょっと変な感じがありますよね。

この少しだけ変な感じは、この部分の他にも幾つかあるのですが、そうしたものがお話の中でずっと奥に響いていて、このお話に陰影を与えているのですね。

もしかしたらこの「変な感じ」を怖いと感じる人もいるかも知れません。

その気持もわかります。

何か得体のしれないものが、その変な感じの奥には居る気がするんです。

ですがその得体のしれないものこそが、自分はフィクションの力の源泉であり、現実を生きている私達の、もうひとつの拠り所であると思っています。

このことを詳しく分析すると、自我/無意識のことやそもそもの、物語とはなにか、ということにまで話が及んでしまうので省かせて頂きますが、ムラスコヴァーの作品からはしばしば、そのようなフィクションの力の源泉のようなものが垣間見れると感じています。

そうしたことを感じることが出来る作家は、本当に少ないです。

この「火よう日のおはなし」の日本語版は、自分もあまり見かけないなかなか珍しい本で、価格が高いのが申し訳ないのですが興味を持って頂けた方にはぜひ読んでみて欲しいです。

ぜひオンラインストアの方でも御覧ください。


当店のデイジー・ムラスコヴァーの本はこちらです。