幸せとはなにか
なんか最近インスタのストーリーも含めて、こういうことばっかり書くからどうしたのって思う人もいるかもだけど、もともと書いてなかっただけなの(笑)
別に何かを信仰してるわけでもないんだけど、実際に感覚的に感じるので、たぶんこうなんじゃないかな〜っていうのと、わたしの周りの人の話も含めて。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
実家にある相田みつをさんの日めくりカレンダーに書いてあることばなのですが、ヨガや仏教なんかを少し知ると、この言葉の深みを感じます。
ひとは誰しも幸せになりたいと思うのです。
幸せになりたくないひといるかなー?
前にインドでヨガの修行をしたネパールの方に聞かれたことがあるのです。
「あなたはどうしたら幸せ!と思いますか?」
わたしはそのとき
「たくさんの人の前で演奏して、みんなに憧れられるような存在になれたとき」
みたいなことを答えた気がします。
「じゃあそうなれなかったら幸せじゃないですか?」
「なにか外側に幸せを求めると、それを手に入れたとき、また更に別のものを求めます。そうして常になにかを外に求めて、あなたはずっと幸せを求めているだけで幸せにはなれません。」
そんなこと言ったって、たくさんの人の前で演奏して、みんなに憧れられる存在になれたらわたしは幸せですよ、と思いましたよそのとき。
でもそういうことを言いたいんじゃなかったんだよね、
「外側に求めなくても、もともとあなた自身のなかに幸せはありますよ」
ということなんだよね。
これがね、なかなか難しいのですが、
こうしたら、ああしたら、とか条件のうえではなく、いまここに自分が存在して、自分と関わる人がいたり、両親がいたり、友達がいたり、恋人がいたり、もうそれがどれだけ幸せか!ということなのですよ。
空は青いな、今日は雨だな、
もっと言ったら悲しい気持ちになったなとかも含めて全部、すべてが愛おしいわけです。
みつをさん的に言って、それが幸せと自分の心が決めるのです。
そうは言うても!っていうのはいろいろあります。わたしもあります。めちゃめちゃあります。
でも最初にこの前提を感じている、知っている、附に落ちているかどうかって人生の豊かさが全然違うんじゃないかなって最近思いました。この幸せを感じることで、いろんなことにチャレンジできる、それこそ
「たくさんの人の前で演奏して、みんなに憧れられるような存在になる」ということに向かって頑張れるんだと思うのです。
世の中目に見えることって8%くらいしかなくて、残りの92%くらいは見えない世界で成り立っているって言われています。
でもその見えない世界のことも、潜在的に人はわかってるんだろうなって思います。これは抽象度が高いと感じるのだと思うのです。
先日、「日日是好日」という映画をみました!(Amazon prime Videoでみれるよ!)
アジア圏って、この目に見えない世界の「縁」を感じとるという文化がもともとあるな〜ってこれをみて改めて思いました。
すべては繋がり縁によって成り立っている。
慌ただしい世の中で、先ばかり見て進んでるけど、ふと深呼吸して、いまここに戻ってくる時間が少しでもあると良いかなと思います。いまここの全ての感覚を味わい尽くすことで、縁も幸せも感じることができるようになるのではないかな、と思います。
今日もわたしは幸せです!
みんなありがとう😊
それではまた!