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#YusukeKusuyama 1975 X #楠山祐輔 ➣ #INTERNATIONAL

#中邑真輔 と #柔術 と #サーフィン と #木村拓哉

2020.01.29 11:47

まず「僕の意見」

「中邑真輔」選手の「クネクネスタイル」が「サーフィンのトレーニング」から来ているのは明らかですよね。ちなみに「木村拓哉」さんも「サーフィン」の歴史がとても長いのは有名ですよね。「柔術の選手」の皆さんがサーフィンをやってることから「しなやかな身のこなし」が「格闘技」などあらゆる分野で「重要性が高い」のは「明らか」ですよね。終わり。

😊😊😊😊😊。


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柔術家がサーフィンをやる理由とは?実は喧嘩がきっかけだった!

ブラジルやアメリカでは柔術とサーフィンは切っても切れない関係にあり、多くの柔術家がサーフィンを楽しみ、また多くのサーファーが柔術を練習するようになっています。

しかし一体なぜ両者はクロスオーバーすることになったのでしょうか。それには過去に起きたある事件がきっかけだったのです。

柔術とサーフィンが衝突した日

柔術家がサーフィンを始めるきっかけになったのは1970年代にまでさかのぼります。グレイシーファミリーの中で一番最初にサーフィンをやりだしたのはカーロス・グレイシーの四男ホーウス・グレイシーでした。

一族でも特に好奇心旺盛だったホーウス・グレイシーはサーフィンだけでなく、ハンググライダーなど自然のスポーツを愛好していました(後にハングライダーの事故で31歳の若さで死亡)。

そんなホーウス・グレイシーはある日、リオデジャネイロのビーチ、プライア・ド・ジアボにてサーファーのグループと波をめぐって口論になりました。

サーファーのグループは30人ほどの大人数だったため、ホーウス・グレイシーは自分の道場に戻って生徒たちを引き連れてビーチに戻りました。

それでも集まったのは15人ほどで相手の半分ぐらいの数だったといいます。その中には当時まだ14歳だったヒクソン・グレイシーの姿もありました。サーファーたちのリーダー格はブラジルで当時有名だったダニエル・サバー。

体も大きく空手もやっていたダニエル・サバーは体重わずか70kgにも満たないホーウス・グレイシーを完全に過小評価していました。

しかしホーウス・グレイシーがダニエル・サバーを倒すのには1分もかかりませんでした。ダニエル・サバーの攻撃を避けてテイクダウンしたホーウス・グレイシーは瞬く間にマウントを取り、完全にコントロールしたのです。

その瞬間はダニエル・サバーはそのテクニックに驚愕してたちまち降参。するとホーウス・グレイシーは一発も攻撃を加えることなく彼を許してあげたそうです。

ちなみにほかのサーファーたちはみんなその場でホーウス・グレイシーの生徒たちに絞め落とされたか、一目散に逃げたそうです。ヒクソンはまだ子供だったためその光景を遠くから見学していたと語っています。いずれにしろこの事件がきっかけでサーファーたちの間で柔術が注目されるようになりました。

喧嘩があった翌日ホーウス・グレイシーが早朝からサーフィンをしていると、再びダニエル・サバーとビーチで顔を合わせました。

お互い海を愛する者同士、そして一度拳を交えた二人の間には自然と友情が芽生え、ホーウス・グレイシーはダニエル・サバーを自分の道場に招待しました。その後、ダニエル・サバーも長い間柔術を練習することになります。

グレイシーファミリーとサーフィンの歴史

ホーウス・グレイシーの影響もあり、従兄弟であるヘウソン・グレイシーも同時期にサーフィンを始めます。ヘウソン・グレイシーは後にハワイに移住し、現地で柔術の普及に努めますがハワイでもサーフィンを続けたのは想像に難しくないです。

また、彼らの影響もあってヒクソンやホイラーもサーフィンを始めます。このようにグレイシーファミリーの中でサーフィンはライフスタイルとして広まっていきました。

後に一族のメンバーが次々とアメリカ各地に移住し、柔術を広めていくことになりますが、移住先に海があってサーフィンができるハワイやカリフォルニアが選ばれたのも偶然ではないはずです。

また、ホーウス・グレイシーのほかにもビーチでサーファーと喧嘩になった柔術家は数知れず、皮肉にもそれがきっかけで柔術とサーフィンが幾度となく交差していき、絆を深めるようになっていきます。

柔術とサーフィンの交流は個人だけでなく、企業にも影響を与えました。サーフィンのブランドが柔術家をスポンサードするようになり、90年代にはライトニングボルトが柔術大会を開催。やがてサーフィン雑誌に柔術家が、柔術雑誌にサーファーが取り上げられることも多くなり、両者の交流が活発化していきます。

現在ではサーフィンを含むストリート系ブランドRVCA(ルーカ)がBJペン、メンデス兄弟、キーナン・コーネリアスといった有名柔術家のスポンサーになっている一方で、クリスチャン・フレッチャー、ケリー・スレーター、ジョエルチューダーなどの世界的なサーファーが柔術を練習しています。

すっかり多くの人々のライフスタイルとなった柔術とサーフィンですが、もとをたどればホーウス・グレイシーとダニエル・サバーの喧嘩がきっかけだったのです。

二人の男がビーチで戦い、後に友情を深め、彼らの友情の証でもある柔術とサーフィンが世界中に広まっていく、その光景はまるで青春漫画のようなストーリーですね。


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【海外の反応】中邑真輔の入場曲が大人気!くねくねとは?【WWEで活躍】

中邑真輔さんのくねくねって?

次に、中邑真輔さんの特徴である、「くねくねファイトスタイル」について紹介していきます。

こちらは入場時の動画ですが、やはり妙にくねくねしています。このくねくねはこの時だけではなく、試合中にも随所で出てきており、くねくねしているときは観客が沸くのがわかります。

ずいぶん個性的なファイトスタイルだとは思いますが、これは意味があって行われている動作なのです。

どういう意味があるのか、答えは「脱力」です。

緊張していたり、ストレッチが上手くできていないと、動きが一瞬遅れます。

格闘家なので、一瞬の判断の遅れがあると相手からの攻撃が当たってしまいますよね。

そういったことにならないように、体をほぐしているんだそうです。

さらには相手を挑発する意味合いや、ほかの武術の影響を受けて体幹トレーニング等、様々な意味が「くねくねファイトスタイル」の中には詰まっています。


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