最後の皇帝32-新旧分離アウグスブルク和議
2020.01.30 02:16
1555年2月、有名なアウグスブルク帝国議会が招集された。招集したのは皇帝カール5世だが、場をしきったのは弟フェルディナンド大公である。カールはもう引退を決めて準備をしていた。スペインには息子フェリペがおり、ハプスブルク帝国は2つに分かれるのは必定だった。
実はフェルディナンドはハンガリーのトランシルヴァニアをめぐって52年からスレイマンの命を受けたオスマン軍の侵攻に悩まされていた。そんな彼に強引なことができるはずがない。大公は新教諸侯の権利を再承認し、諸侯の領邦はその宗派に属することが決定された。ただしそれはルター派だけであり、カルヴァン派などは入っていない。
しかしこの和議ではケルンなどの聖界領主が新教に改宗した場合は、その領土を失うと決められた。聖界領主はその地位をカトリックによって得ているのだから当然であるが、改宗すれば子供に領土を継がせることができ、そのインセンティヴは大きく、30年戦争の火種となった。
この後両派はとりあえず、内部固めを行うが、トリエント公会議以後、カトリックが勢力を盛り返し、最大の宗教戦争が勃発する。しかしもはや欧州を統一する権威はなくなり、各国が主体となってしのぎを削る時代に突入したことは間違いない。
下はアウグスブルクの和議を記念して建てられた教会後ろがカトリックの聖ウルリヒ教会前がルター派の聖アフラ教会