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別子銅山記念館

2020.01.31 00:46

別子銅山は新居浜市(旧・別子山村)の山ろくにあった銅山で、1690年に発見され、1691年に開杭してから1973年までの約280年間にわたり銅が産出されました。一貫して経営したのが住友家で、これが現在の住友グループの礎(いしずえ)となり、新居浜市の発展のみならず、日本の近代化に寄与しました。

かつて別子銅山のあった山ろく部への入り口にあるのが大山積神社で、銅山の開山に伴い、大三島(今治市)の大山祇神社より分霊され建立されたものです。「別子銅山記念館」は、別子銅山の閉山後、この大山積神社の境内に建てられました。館内には、住友の歴史や、鉱山で働く人の生活の様子、鉱石などをはじめ、様々な史料が展示されています。


この建築の屋根には一面にサツキが植えられ、5月には満開の花を咲かせます。一見すると「巨大な花壇」のようにも見えますが、このようなデザインを用いたのは、神社や山といった周辺の環境に配慮したからでしょう。「花壇」の下は半地下の構造になっており、この花壇の屋根の下に展示室等が配されています。これはいわば屋上緑化であり、今治の「亀老山展望台」で建築家・隈研吾がみせたような「建築を隠す」手法を先取りしたものともいえるのではないでしょうか。


記念館の内部は薄暗い照明計画がなされています。銅山の内部を思わせるような空間が意図されたのでしょうか。天井には一か所だけ天窓が設けられ、銅山の稼動許可日の5月9日の正午にのみ、ここから太陽の光が差し込むそうです。

なお、この建築の設計者である日建設計は1900年に設立された住友本店臨時建築部を起源とします。新居浜では日建設計が多数の建築を手掛けており、これらの建築からも住友との繋がりを見て取ることができるといえるでしょう。


別子銅山記念館

参考リンク

住友グループ広報委員会 > 別子銅山記念館

※別のブログに投稿した記事を加筆・修正し再構成しています。