ロシア帝国の道1-雷帝イワン4世登場
2020.02.01 02:01
東の地ロシアでは1547年1月16日イワン4世が即位した。彼は初めてツァーリとして即位し、後に雷帝といわれる専制政治をひき、ロシア史上最大の暴君とよばれ、スターリンが模範としたという。しかし彼はまたロシアを統一国家にした改革者でもある。改革と弾圧の極端な二面性はロシア政治の特徴かもしれない。
またこの即位では、ビザンティン皇帝からキエフに贈られたという「モノマフの帽子」が初めて使用され、以後皇帝の戴冠に使われることになった。このときにはまだモスクワ大公国だが、宗教的権威と、ルーシ全域での覇権を表明したといえる。
ロシアではまだ相続は長子相続は確立されておらず、子供の分割相続だった。しかしロシアの広大な土地は、分割されても開墾の余地が十分にあり、世襲貴族がどんどん多くなり、貴族同士の争いも起こった。これに対して雷帝は、皇帝への奉仕によって土地を与えられる貴族をつくったのである。
この勤労貴族によって軍事が可能となった。モスクワは汗国に略奪されていたが攻撃に転じ、1552年交通の要衝カザンを制圧。56年にはアストラハン国を併合し、欧州からアジアに至る通商路を確保すると、欧州から商人がおしかけてきた。雷帝はリトアニアとも戦争するが、突然帝位を投げだそうとする。