「宇田川源流 日本万歳!」 食べると死亡リスクが減るという「日本人の知恵」を体現した日本食が素晴らしい
「宇田川源流 日本万歳!」 食べると死亡リスクが減るという「日本人の知恵」を体現した日本食が素晴らしい
月曜日は「日本万歳!」の日である。今週もまた始まり一週間頑張らなければならないと考えている皆さんに、せめてもの事を考えて、自分たち日本人の素晴らしさを考え、なおかつ日本人の良いところを見つけて自分たちも「同じ日本人である」というような感覚を持っていただけるように、そして、その日本人としての誇りをもって今週一週間仕事に、遊びに、頑張っていただきたいという願いから、日本人の素晴らしさを再確認するブログを毎週月容易に行っている。令和2年二月になったが、その二月になっても「日本万歳!」を続けてゆきたい。
しかし、先週は「新型コロナウイルス」でかなり酷い事になっていた。まあ、新型コロナウイルスの対策に関しても日本は経済も重視しながら、また、中国人に対する差別も避けながら、その中で日本人の安全を守らなければならないというような感じになっている。
この「日本万歳!」ではこの新型コロナウイルスでも日本人の素晴らしさが試されているのではないかという気がしてならない。過激なことをしないでも、日本人の中ではうまくその結束を守るというようなことがあるのではないか。
さて、その意味では「日本人の命に対する考え方」というのが様々に言われることになっている。そして「命を大切にする」というようなことから「健康」ということがかなり強く考えられるような状況になっているのである。
その「健康志向」は、そもそも日本が安全で特別なことをしたり病気になったりしなければ、天寿を全うできるということが日本人の文化の中にはある。
他の国のようにすぐに為政者の気まぐれで死刑になってしまったり、戦争をして命がなくなったり、不潔な国で、疫病ばかりがあったり、水や食料品が足りなくて飢餓に苦しむというようなことは日本にはなかった。
そのために「普通に生活すること」「普通の生活に少し気を付けること」で十分に天寿を全うできる文化があるということを意味しているのである。
その「少し気を付ける」ということの中に「おいしいものを食べながら健康を守る」ということが存在するのである。
納豆食べる人 死亡リスク減
日常的に納豆をよく食べる人は、食べない人より、心筋梗塞(こうそく)などの循環器疾患による死亡リスクが2割低いとする研究結果を、国立がん研究センター(東京)などの研究チームが30日、発表した。
研究チームは1995年と98年、過去に循環器疾患になったことのない10都府県の45~74歳の男女約9万人に、食事に関するアンケートをした。このうち納豆やみそ、豆腐について、それぞれ食べる頻度と1回当たりの量を聞いた。それから約15年間の死亡リスクを追跡して調べた。
1日あたりの食べる量が多い人から少ない人まで5グループに分けて比べたところ、納豆を毎日26グラム(半パック程度)以上食べるグループは、全く食べないグループより、循環器疾患で死亡するリスクが男女とも約2割低かった。みそや豆腐では差がなかった。
同センター分析疫学研究室の沢田典絵室長は「納豆などの発酵食品は栄養素が製造過程で失われにくく、動脈硬化の予防につながっている。みそは塩分が影響し、豆腐は加工で栄養が少なくなっているのではないか」と話している。
2020年01月30日 15時39分 読売新聞
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-546182/
納豆は好きであろうか。
納豆は、よく蒸した大豆を納豆菌によって発酵させた日本の発酵食品のことを言う。まあ、日本人で知らない人はいないであろう。よくスーパーマーケットでかなり安値で売っているあれだ。
昔は関西では食べなかったといわれ、私が若い頃には、「関西で納豆を頼むと甘納豆が出てくる」などといわれたことがある。現在でも納豆を嫌いという関西の人は少なくない。
まあ、食べなれなければ臭いはきついし、糸を出すし、まああまり見た目などでおいしそうな食べ物ではない。しかし、「癖があるものの方が慣れると嵌りやすい」というようなことになる。
まさに納豆は、様々な意味で癖があり、そのために、納豆そのものに嵌る人は少なくない。まあ、そもそも「菌をつけてわざわざ腐らせたものをおいしいというような食べ物」は日本以外にはあまり存在しない。もちろん、発酵食品というものは全世界にあるが、その発酵食品そのものを一つの食材として、調味料とかではなく食べるというのは少ない。
自然発酵法で行われた。「納豆」という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』である。同作中に「腐水葱香疾大根舂塩辛納豆」という記述があり、平安時代には納豆という言葉が既に存在していたことが確認できる。
糸引き納豆は、「煮豆」と「藁」の菌(弥生時代の住居には藁が敷き詰められていた。また炉があるために温度と湿度が菌繁殖に適した温度になる)がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来たと考えられているが、起源や時代背景については様々な説があり定かではない。
「大豆」は既に縄文時代に伝来しており、稲作も始まっていたが、納豆の起源がその頃まで遡るのかは不明である。糸引き納豆が資料として確認できるのは室町時代中期の御伽草子『精進魚類物語』が最古のものと言われる。
南北朝時代、丹波山国・常照皇寺にいた光厳法皇が村人に藁包納豆(山国納豆)の製法を伝えた記録が残る。戦国時代において、武将の蛋白源やスタミナ源ともなっていた。
このように、古くから納豆は食べられており、そして徐々に庶民の間に納豆が多くなってくる。江戸時代には朝早くに納豆売りが歩いた、若い女性の納豆売りなどもあり、その納豆売りと納豆を買う学生の仄かな恋物語などもかなり書かれている。ある意味で「納豆をめぐる日本の文化」が、朝早く起き、そして健康な食品を食べるという日本人の勤勉さにつながるようになっているのである。
そして、その納豆を食べると死亡リスクが減るという。まあ、死亡リスクが減るというのもなんだかよくわからない話であるが、納豆菌というのは他の菌の中にもかなり強い菌らしく、最近の研究所などでも納豆を禁止しているところも少なくない。
今回のコロナウイルスも、実際に納豆で何とかなるのではないだろうか。まあ、日本人がある意味でこのような新型細菌に強いのは、納豆があるからなのではないかというような気がする。
朝納豆を食べる、または豆腐などを食べる。これこそ「健康のために少し気を付ける」ということなのではないだろうか。そのような文化の中に生きる日本人は非常に素晴らしい。
ああ、日本人に生まれてよかった。今日も納豆を食べよう。