「木下成太郎先生」像。
(あしあと その14・中央区の12・中島公園の2)
中島公園内の菖蒲池のほとりに、政客として名を馳せた木下成太郎のブロンズ像があり、その台座に「木下成太郎先生」と記されています。うっそうとした木陰にひっそりと建っているこの像は、公園の隅に永らく放置されていた像を市民有志できれいにして、この場所に建て直したものだそうです。
この台座のおもて面と裏面には、建立の経緯が漢文で記されており、台座のおもて面には、おおむね次のように漢語で記されています。
「木下斗南先生際會昭朝負重一世事功之足傳者歴歴可指焉先生但州豊岡人年壮従先考彌八郎翁移住於北海道開拓荒莽竭力治化其一也屢選為衆議院議員参畫國事張皇憲政其ニ也剏立大東文化協會興學院更建帝國美術學校鼓吹斯道刷新教學是其三也先生氣宇豪宕識見超邁不拘細節常以經世為任其所倡道多関皇道使朝野知所嚮可謂偉矣今茲齢躋七十七北洲人與東都有志謀欲像先生以不朽其徳請余文乃叙所知如是繋以銘銘曰
匡時賛政 譽望孔隆 拓荒興學 恵澤曷窮 昂昂者鶴 ??(「矢」に「高」が2文字)其龍 北斗以南 國士無雙
昭和十六年八月 土屋久泰撰 朝倉文夫書」
台座の背面には
「昭和十六年一月菊水會員企造斗南先生壽像北海道長官戸塚九一郎帝國大學總長今裕大東文化學院總長鵜澤總明札幌市長三澤寛一諸君為發起人組織顯彰會公爵近衛文麿伯爵松平頼壽伯爵酒井忠正男爵平沼騏一郎諸公並樞密顧問官貴衆兩院議員等多列名于賛?北海道元代議士寺田省歸為委員長前代議士南條徳男道會議員菊地三之助道會議員渡邊照平為副委員長與他道會議員等謀相地於札幌中島公園竭力其經始像則鉅匠朝倉文夫先生所為也茲歳十月起工十七年六月將竢其成而行除幕式蓋本道官民一致擧事以頌有徳是為嚆矢云爾
木下先生顯彰會委員長寺田省歸記」
と記されています。
成太郎は、父親の弥八郎とともに未開の北海道に渡って、開拓に尽力するとともに政治家として辣腕を揮い、上京後は武蔵野美術大学を創設するなど、美術と教育に尽力しました。