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富士の高嶺から見渡せば

戦略的な誤りを犯した習近平①

2016.05.01 16:46

不道徳・反文明国家の命運は尽きた?

習近平をトップとする共産党独裁政権の不正・腐敗体質。権力と富を独占した党幹部一族が貴族階層化する一方で、絶望的にまで極限化した貧富の格差。周辺異民族に対する強権的で非文明的な支配と弾圧。南シナ海の珊瑚礁埋め立てと軍事基地化など、国際法無視の領土・領海への拡張主義的野心。南米・アフリカでの植民地主義的な資源簒奪。投機的乱開発による環境・国土破壊。重度の汚染で再生不可能な大気、水、土壌。信頼を喪失した食品の安全問題。

挙げればきりがない隣の国が抱える課題、難題。これらはいずれも、かの国の指導者たちがみな不道徳で、国家のあり方そのものが反文明的であることを示している。

このような国は、長続きするはずがない、どこかで必ず破綻が来るはずだ。いや、こんな異形の国は、人類の歴史、輝かしい文明から見ても長続きさせてはならない。文明の進化発展、人類の歴史はより良い方向に進歩すると信じる立場からは、そう思わざるを得ない。

そして、ここに来て、この国を独裁者として率いる習近平自身の命運が、それほど長くはないのではないか、場合によっては途中で失脚する、あるいは暗殺の危険があるなどという不穏な見方も出回っている。

習近平の今後を占う上で参考になる本がある。エドワード・ルトワック著・奥山真司訳『中国4.0~暴発する中華帝国』(文春新書2016年3月)だ。この本は、中国の対外戦略の分析をテーマにしているが、2000年以降、中国の対外戦略は、わずか15年の間に大きな変更が3回もあったとする。英国など欧米の国が、国の根幹となる対外戦略を変更する場合、50年とか100年とかの時間をかけるのが普通で、15年に3回の変更というのは、その国がそれだけ不安定であることを示している。その中国の対外戦略の変更を、ルトワックは次のように区分して名前をつけている。

・チャイナ1.0(2000年以降):平和的台頭

・チャイナ2.0(2009年末以降):対外強硬

・チャイナ3.0(2014年秋以降):選択的攻撃

「2000年」とか「2009年末」と年限を区切った理由について、明確な説明がないが、私の理解を加味すると、その変遷は大筋で以下のような経緯をたどった。

平和的台頭から対外強硬路線へ

中国は1990年代半ばから、鄧小平の号令のもと「世界の工場」として海外からの投資、技術導入を積極的に進め、経済拡大路線を政策の中心に置いた。また長年の交渉の結果、WTOへの加盟(2001年12月)が認められ、貿易や投資など国際ルールに従うと約束したほか、中国の経済成長は国際社会にとって「脅威」ではなく完全に平和的なものだというメッセージを発信し続けた。つまり「平和的台頭」と名づけられた対外戦略「チャイナ1.0」では、「経済発展のためには平和的な国際環境が必要だ」として国際協調ムードを演出し、「韜光養晦」すなわち「覇権を奪い取るという下心を隠して、今は秘かに力を蓄える」という鄧小平の路線を忠実に守った。

ところが、2008年にリーマンショックと世界金融危機が起こり、アメリカの国力の退潮を目にすると、それまでの「韜光養晦」路線をかなぐり捨て、経済発展を成し遂げた実力を誇示して、「対外強硬路線」すなわち「チャイナ2.0」に踏み切った。この「平和的台頭」から「対外強硬路線」に戦略を変更した裏には、胡錦濤があまりにも抑制的で弱腰だという批判があったほか、経済力にモノを言わせれば周辺の弱小国は文句を言わず従うはずだという驕りや戦略的な過ちがあった。(戦略的な錯誤については後に詳述)

中国がGDPで日本を抜き、世界2位に躍り出たのは2010年。その年に上海万博、前々年には北京五輪をいずれも成功裏に成し遂げ、発展し豊かになった中国の姿を世界に見せ付けた。自分たちの国の実力に自信を深め、それを誇示するようになった。2013年習近平が実権を握ってからは「中国の夢」を口にし、アヘン戦争以来百年の屈辱を雪ぎ、中華民族のかつての栄光をとり戻すと昂然と宣言するようになった。

AIIB設立構想は、2013年10月 、習近平がインドネシア・バリ島で開かれた アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議で提唱した。各国から総額1000億ドルの資本金を集め、途上国の鉄道、道路、港湾、空港、上下水道、電力といったインフラ整備に投融資しようという目論見だ。また新シルクロード経済圏いわゆる「一帯一路(One Belt, One Road)」構想は、2014年11月に北京で開催されたアジア太平洋経済協力首脳会議で提唱された。いずれも中国主導で経済圏を作り、そのルール作りも自ら主導するという世界覇権戦略であり、「チャイナ2.0」の対外強硬路線であることに変わりない。

「チャイナ2.0」の対外強硬路線になって起こったことで、われわれ日本人にとって忘れられないのは2010年の尖閣諸島近海での「中国漁船衝突事件」だ。船長逮捕に対する中国側の反応は強烈で、日本人ビジネスマンをスパイ容疑で拘束したほか、レアアースの対日禁輸という報復措置にも出た。さらに2012年、日本政府が尖閣を「国有化」すると、全国各地で反日暴動を組織し、中国公船による領海侵犯を繰り返すなど、凶暴さが際立った。

習近平以前の中国では「平和共存5原則」を掲げ、対外交渉は国の大小を問わず対等に行うということを、建前上は原則としてきた。しかし2012年秋に党総書記に就任し実権を握った習近平は、その一年後(2013年12月)、外交部や社会科学院などシンクタンクの研究者を集めて以下のようなスピーチを行ったという。

「平和共存などという偽善的なお題目はやめよう。国家は実力で外交関係を築くもので、大小を問わず平等などということはあり得ない。これからは周辺国に対して、大国らしく振る舞おう」(楊海英・静岡大学教授『凶暴国家 中国の正体』扶桑社新書2014年9月p120)。かつての中華帝国が行ってきた「朝貢外交」への先祖がえりだ、と楊海英氏はいう。

対外強硬路線から選択的攻撃へ

しかし、2014年秋になると、彼らも「チャイナ2.0」が完全に間違いであることに気づいた。「チャイナ2.0」が日米をはじめベトナムやフィリピンなど周辺国に敵対心を生じさせ、太平洋諸国に「反中同盟」が形成するようになったからだ。「チャイナ2.0」がむしろ中国を弱体化させていると分かった。そのため再び戦略を変更し、今度は選択的攻撃ともいうべき「チャイナ3.0」を始めた。選択的攻撃selective aggressionとは、「抵抗のないところには攻撃的に出るが、抵抗があれば止める」という行動で、平和的台頭のチャイナ1.0と侵略的なチャイナ2.0の中間を取った一種の妥協策でもあった。

「チャイナ3.0」は、日本やベトナム、インドに対して攻撃的姿勢を控え始めた姿勢でも垣間見えた。日本に対しては尖閣問題と靖国参拝問題の解決を強硬に迫ったが、2014年11月北京で開かれたAPEC首脳会議で2年半ぶりに実現した日中首脳会談では、安倍首相からは結局、いかなる譲歩も引き出せなかった。相変わらずその後も尖閣周辺での中国公船の侵入事件は続いているが、日本に対する集中的な批判は影を潜め、尖閣問題に関する新たな宣言や公約の発表は控えている。(p64)

「選択的」な戦略をとる「チャイナ3.0」では、中国も少しは理性的となり、「もう二度と失敗しない中国」「何かしらの教訓を学んだ中国」となるはずだが、実際はそうはならなかった。(P63)なぜか?

「その原因は中国が「内向き国家」だという点にある。中国のような巨大国家は、内政に問題が山積し、外政に満足に集中できない。世界情勢に継続的に注意を払えなくなり、外部から情報を受け取ってもこれに反応できない」(p64)からだ

共産党を滅ぼすのは習近平、というリスク

一方で「チャイナ3.0」について中国国内の状況に目を向けてみると、習近平率いる中国は、国内的にもかなり高いリスクを背負いながら政権運営をしていることがわかる(p70)

習近平は腐敗撲滅キャンペーンによって党の幹部から末端まで10万人規模の党官僚を摘発した。そのなかには政敵によって仕組まれ、冤罪に追いやられた例もあるかもしれない。しかし司法制度が整っていない中国では冤罪を証明する手立てさえない。その一方で習近平は、自分の身内の不正や太子党には手をつけていない。それによって恨みを買い、暗殺の危険を背負っている、とルトワックは指摘する。

実際のところ、習近平は極めてリスクの高い危険を冒している。(略)習近平が置かれている状況は、他の先進国の政治家の場合とは話が違う。(略)殺されたり、失脚させられたり、撃たれたりして一瞬で職を失う危険性が最も高いのは、他の誰でもない。中国という巨大で不安定な国家を統治している習近平なのだ。(p75)さらに中国が不安定だという最大の理由は、習近平が失脚あるいは暗殺されたあとの後継体制が、誰によってどう決定されるのか、まったく不透明だという点にある。

さらに習近平が冒している危険といえば、習近平こそ、共産党一党独裁体制を崩壊に向かわせる「元凶」かもしれないということだ。共産党支配の正統性を維持するためには、反腐敗撲滅キャンペーンが必要だが、皮肉にもこの反腐敗運動自体が、共産党への求心力を弱め、そのエネルギーを奪う結果になっている。若者が共産党に入るのは、何らかのメリット、うまみがあるからだが、反腐敗運動や贅沢禁止令はそうした動機ややる気を奪う結果となっている。習近平は、ソ連共産党体制を滅ぼしたゴルバチョフのようにはなりたくないと望み、反腐敗運動に着手したのだが、結局は同じ運命をたどる可能性が高い。

過去の歴史から分かるのは、国家の性質は二つの要素から成り立っていることだ。ひとつは物質的に計測可能な要素、人口、経済規模、軍事力、技術力など。もうひとつは物質的に計測不可能な要素、つまり国民の多くに同意され、国民的コンセンサスを持ったその国の精神や文化で、これを「戦略文化」と名づける。戦略文化が強く「勝利的」であることは国際政治で大きな影響力を持っていることを意味する(たとえば英米やロシア)。一方、戦略文化が弱い国は戦争に負ける文化をもっている(中国や独・伊)。中国の場合、戦略文化が弱いのは、「内的コンセンサスの欠如」と「外的な理解の欠如」に原因がある。(p158)

そもそも習近平には、誰も真実を伝えていない。習近平の2015年9月の訪米は「完全に失敗だった」と伝えるメディアもない。彼には正確な情報をフィードバックするシステムが存在しないのである。(p121)