舞台上の彼ら
1.大きくまぁるいルイスの瞳(ウィリアムとルイス)
→パンフでお兄ちゃん二人に瞳の大きさをいじられる末っ子が可愛かった。
「それで、庭師の方の手入れを真似ていたらアルバート兄様が来てくださって、一輪だけ薔薇を摘んでも良いと言っていただけたんです」
「そう、良かったね」
「十分な開花は少し先になるようなので、部屋に飾ってしばらくは楽しめるだろうと言っていました」
「楽しみだね、ルイス」
「はい」
ロックウェル伯爵家を出て、引っ越した先での新しいモリアーティ邸。
見事な薔薇園を完備している絢爛な屋敷の手入れは学業を控えた三兄弟だけには難しく、通いでそれぞれの業者がやってくることになっていた。
だが庭師が定期的にやってきて管理している庭はいずれルイスが管理を担当することになるだろうと、今のルイスは懸命に植物についての見解を深めている最中なのだ。
今日もウィリアムが所用で出ている間、図鑑片手に庭を散策していたらしい。
そしてそんなルイスの元にアルバートがやってきて、自分のために薔薇を一輪贈ってくれたのだと嬉しそうに報告する様子があまりにも歓喜に満ちていて、見ているウィリアムの方が満たされてしまうほどだ。
けれどもウィリアムの目はルイスの手元にある赤い薔薇ではなく、それを見つめている幼い顔にばかり向いていた。
いや、正しくはその薔薇よりもよほど濃い赤を持つルイスの瞳ばかりを見つめている。
「すごく瞳が大きいね」
「え?そ、そうですか?」
「うん。町でも学校でも、ルイスほど大きな瞳の人は見たことがないよ」
小さな顔の面積で一際大きく幅を取るその目元はウィリアムのものとよく似ている。
だがウィリアムの瞳が少しばかり切れ長なのに対し、ルイスは大きくまぁるい瞳をしているのだ。
色味はルイスの方が濃く、熟成したワインのように深みのある赤色である。
燃えるような緋色をした自分の瞳よりも落ち着いたその色は、ウィリアムにとって安堵の象徴のようだった。
ルイスが心臓を患っていた頃、夜寝たらもう二度とその瞳を開けてくれないのではないかという不安が襲うこともあった。
朝になってその赤色を見せてくれることがどれだけウィリアムの心の安寧に繋がっていたのか、ルイスは知らないのだろう。
教えるつもりもない。
自分とそっくりな容姿をしているのに瞳の大きさはルイスの方がずっと大きくて、そしてその大きさによく見合った可愛らしい顔立ちの弟を、ウィリアムはとても愛している。
大きな瞳を見せてくれるのはルイスが生きている証拠だ。
見ていると不思議なほどに心が落ち着いて、吸い込まれてしまいそうなほどに魅力的である。
だからついつい一連の会話を遮ってしまうほど唐突に、常々考えているその事実を口に出してしまうのだ。
「えっと、それでこの薔薇、せっかく兄様に頂いたので、ウィリアム兄さんにも見せたくて」
「そう、ありがとう。本当に大きくて綺麗な瞳だね、ルイス」
「は、はい…?虹彩の部分が大きいからでしょうかね…?」
唐突な切り替えを疑問に思いながら話題を戻そうとしても、返事をされたのにまたも切り替えられてしまった。
手元の薔薇を差し出そうとしたけれど半端になってしまって、ルイスの腕は宙ぶらりんのまま赤い薔薇を握っている。
目の前には自分のことを、いや自分の瞳をじっと覗き込む兄がいる。
紅い瞳には己の姿が映っていて、きっとウィリアムも同じようにルイスの瞳に己の姿を見ているのだろう。
だが実際のウィリアムはルイスの瞳に映る自分の姿など見ておらず、深く濃い赤色だけをひたすら見つめて気を穏やかにしているだけである。
しばらく互いに見つめ合っていたけれど、兄の瞳に映る自分が少しばかり気恥ずかしくて、ルイスは思わず視線を逸らしてしまった。
視線を逸らされてしまっても別の角度から見る赤い瞳すら大きく綺麗だと思えるのだから、ウィリアムは敢えて咎めることもしない。
「ルイスの瞳、僕はすきだな」
「はぁ…僕も兄さんの瞳、すきですよ」
いまいち話の流れが分からなくて首を傾げるその仕草はとても可愛らしくて、大きな瞳と合わせて随分と幼く見える。
昔のルイスは兄弟なのにウィリアムと少しだけ違う色をした髪と瞳を悲しく思っていたけれど、ウィリアムとしてはとても好都合だった。
自分の半身と言っていいほどそっくりな弟は、ちゃんと自分だけの色を持っているのだから。
他の誰にも代用できないルイスだけの色を、最後の瞬間まで自分が守ってあげたいとウィリアムは考えている。
その大きな瞳を開けて自分を見てくれることはウィリアムにとっての幸せで、その大きな瞳に映すものは穢れなどない限りなく純粋なものがいい。
より多くの美しいものを視界へと収めるため、ルイスの瞳はウィリアムの瞳よりも大きいのだろう。
「すごく瞳が大きいね、ルイス」
大きな瞳が映すに相応しい世界はウィリアムが目指すべき理想の大英帝国そのものだ。
世界に溢れているはずの綺麗なものをたくさんたくさん、出来うる限りルイスに見せてあげたいとウィリアムは願う。
自分の瞳では見ることが出来ない景色でも、ルイスの瞳ならばきっと見ることが出来るはずだ。
きっとそのためにルイスの瞳は大きくて、それを叶えるためにウィリアムはルイスの兄として生まれてきたのだろう。
大きくまぁるいルイスの瞳。
それはウィリアムにとってとても大切な、目指すべき世界を納めるための宝箱。
ウィリアムだけが知っている、誰にも秘密の宝箱だった。
2.ルイスの告発(アルバートとルイスとモラン)
→カテコでモランからのいじりをアルバート兄様にチクるルイスが可愛かった。
ルイスがアルバートに頼み事をすることなど滅多になかった。
それは兄であり屋敷の主人でもある彼の迷惑にならないよう、無意識に根付いてしまったルイスの性分からくるものだ。
アルバートに頼らずとも自分だけで解決できるものは解決するし、解決できなければ彼ではなく昔からの習性でウィリアムを頼ることで対応する。
ルイスに頼られてアルバートが迷惑に思うことなど絶対にないのだが、それを伝えたところでルイスの考えが変わることもない。
そういうものなのだと、少しばかり寂しく思いながらアルバートは日々を穏やかに過ごしていた。
「兄様、少しお願いがあるのですが…」
「構わないよ。何だい、ルイス」
だが今のルイスは昔と違い、極々些細なことではあるけれど、アルバートに頼み事をすることが増えた。
それは初めて作るレシピの味見だったり、新調するカーテンの色合いについての相談だったり、古めかしい地図の解読だったり。
本当に些細すぎる頼み事ばかりだ。
おそらくはルイス一人でも解決できるものだろうに、わざわざアルバートを探して少しだけそわそわとした雰囲気を漂わせながら、薄く色づいた唇から「お願いがある」と言葉を紡ぐのだ。
いつから始まったのかは忘れてしまったが、少なくともルイスがウィリアムと似た顔を隠すために髪を伸ばし、眼鏡をかけ始めた頃からだったように思う。
その頃からルイスはアルバートに対し、段々と心を見せてくれるようになったのだ。
口実なのだろう。
日頃忙しいアルバートとの時間を作りたくて、けれども兄に対し大きな負担をかけない程度の困りごとをわざわざ探して持ち込んでいるのだ。
出会った頃は手負いの猫のように警戒心が強くて、名実ともに本当の兄弟になってからも時間をかけて距離を詰めようとしていたルイスが見せる可愛らしいアピールに、アルバートの心は大層癒されていた。
「実は、モランさんのことなんですけれど…」
「大佐がどうかしたのかい?」
「モランさん、僕が何度言っても屋敷の床に煙草の灰を落としてしまうんです」
いつもはそわそわと、アルバートと話す機会が持てるとばかりに嬉しそうな雰囲気を携えて頼み事をしにくるというのに、今日のルイスは眉を顰めていて本当に困っているのだと表情だけでも伝わってくる。
それに加えて口調も刺々しく、けれどもアルバート相手だからなのか苛立ちよりも申し訳なさの方が際立っているかもしれない。
アルバートはルイスの言葉を遮ることなく、静かに弟の訴えを聞いていた。
「吸い殻自体はきちんと処理をしているようですが、灰が絨毯に紛れて変色するから止めるよう言っても聞いてくれないんです」
「なるほど…大佐の頭は飾りなのかも知れないな」
「僕もそう思います。そこで、兄様にお願いがあるのです」
「何だい?」
ルイスからの告発の内容は疑いようもなく事実なのだと、そうアルバートに実感させた。
それはモランの日頃の行いゆえなのか、ルイスが自分に嘘偽りなど報告するはずもないという自信ゆえなのかは分からない。
分かるのはルイスが困っているという現状だけだ。
「僕がいくら言っても聞いてくださらないので、アルバート兄様からモランさんに注意していただけないでしょうか?兄様の言葉ならモランさんの頭にも入っていくかと思いますので」
「お安い御用だ、ルイス。私に任せなさい」
懇願するように自分を見つめるルイスの肩を持ち、アルバートは端正なその美貌に整った笑みを浮かべる。
ルイスは彼を正すことが出来なかった自分を恥じながらも、了解の意を返した兄の顔を喜ばしげに見つめていた。
さすが兄様は頼りになります、と言葉にせずとも伝わってくる弟からの尊敬の眼差しを受け、アルバートは穏やかに微笑みながらルイスの背に腕を寄せてともに歩き出した。
向かう先はもちろん、話の中心にもなる人物の元だ。
「モランさん」
「ルイスじゃねぇか。アルバートも。どうかしたのか?」
「実はルイスから、最近見られる大佐の悪行について報告を受けましてね」
「ゲッ…」
トレーニングルームでしばしの休憩をしていたのか、モランはタオルを首に掛けて汗を拭っていた。
元よりモランに対して萎縮することを知らないルイスは戸惑うことなく彼に近寄り、ともに付いてきてくれたアルバートの腕を抱いたまま高い位置にあるその顔を見る。
汗にまみれてよく分からないが、恐らくはトレーニング前にも一服しているのは間違いないだろう。
その灰をどこに落としたのかは聞きたくもない。
ルイスは隣にいるアルバートを見つめ、期待の眼差しで兄の言葉を待った。
「な、何の報告だよ」
「モラン大佐、屋敷の中に煙草の灰を落としているというのは事実ですか?」
「…ルイスがチクったのか?」
「チクっただなんて人聞きの悪い。ルイスは私のために屋敷を清潔に管理しようと懸命なのに、どこかの誰かがその努力を台無しにしていると聞いては黙っていられないでしょう」
「僕が何度言っても聞いてくださらないのでアルバート兄様にお願いしたんです。兄様の言葉なら聞いてくださるかと思いまして」
しれっとモランの言葉を肯定するルイスの顔が珍しくも堂々としていて、言うなれば「どうだ」と言わんばかりのドヤ顔をしている。
まるで自分を最終奥義のように頼る弟を微笑ましげに見るアルバートの心は優越感に満たされていく。
ルイスに頼られることは互いの関係が打ち解けていることの証明で、甘えられているようで気分が良いのだ。
そんな弟が居候兼使用人に迷惑を被っているというのは見過ごせない状況であり、アルバートの清潔観念から考えても許されざる行為である。
煙草の灰を目につく場所に落としたまま放置などあり得ない。
「僕は絨毯の汚れが取れなくなるから止めてくださいと何度も言ったではありませんか!」
「おまえなら問題なく落とせるだろうが!ケチケチすんなよ!」
「そんな手間をかける暇があるなら兄様と兄さんのために出来ることが他にあるんです!僕だって暇じゃないんですからね、モランさんはサボってばかりで暇かもしれませんけど!」
「何だと、この!」
「大佐」
アルバートという味方を得たルイスは一回り上のモランにも臆することなく言い募る。
敬愛する兄達には決して見せない様子は新鮮に映るが、屋敷のため兄のために頑張ろうとするルイスの努力を台無しにするモランの所業は注意すべきだ。
アルバートはよく通る声で静かに、けれどもはっきりと圧を感じさせる色で言葉を出す。
「モラン大佐、あまりルイスをいじめないでやってくれますか。私の可愛い弟なんですよ」
いじめてねぇよ、というモランの突っ込みと、論点はそこじゃねぇだろ、というモランの心の声はアルバートには届かない。
結局アルバートはルイスに甘く、兄として弟のことを庇い構ってあげたいだけなのだ。
ルイスはそんなアルバートの心遣いに感激したように瞳を輝かせ、兄の腕を掴んだまま離そうとしなかった。
3.筋肉の塊(三兄弟とモラン)
→モラン役の彼のツイート、「俺はおまえを背負っていく」シリーズより。
力を入れている腕には筋が浮かび、互いの力の差は拮抗しているのだと物語るように合わせた腕が震えている。
そう長くもない時間が過ぎてから、それぞれの腕は片側へと倒れていった。
「っチクショー!」
「ガッハッハッ、まだまだ甘いなモラン!これでワシの10連勝だな!」
「クソッ…」
倒された腕の持ち主であるモランは目の前で得意げにほくそ笑む己の師を仰ぎ見た。
もうそこそこの歳になるだろうに、若く体力に満ち溢れているモランよりも腕力があるジャックの肉体がいっそ恐ろしい。
モランとて軍人として鍛えていた過去があり、その筋肉は無駄なく均等に付いている。
一対一の訓練だってそこそこの勝率を上げてきており、肉体美にだって自信がある。
そうだというのに、腕相撲だけはジャックに勝てないのだ。
力を入れて怠くなった左腕を軽くほぐしながら、モランは笑い声をあげるジャックを振り返らずに部屋を出た。
「何なんだあのジジイ…白髪が目立ち始めてるってぇのに一向に耄碌しやしねぇ。筋トレが足りないのか?いや、もっと負荷をかけた方がいいのか?」
モランがブツブツと独り言を言いながらリビングへの扉を開ければ、そこにいたのは茶髪の青年一人と金髪の少年二人だった。
背の高いモランからすれば金髪の少年二人は随分と小さく見える。
実際に二人とも適正な時期に栄養が足りていなかったため小柄ではあるのだが、モランにとってはどうでもいいことだった。
そのうち一人、アシンメトリーに髪を伸ばそうとしているちんまりとした子どもを見てモランは良い方法を思いつく。
「ルイス、おまえ今時間あるか?」
「僕ですか?いえ…今は特に」
「丁度いい。ちょっと付き合え」
アルバートとウィリアムとルイス。
三兄弟で仲良くお茶でもしていたのか、和やかな雰囲気の空間に突如入り込んだモランはその中で一番小柄なルイスに近付き、その体を軽々ひょいと抱き上げた。
「なっ、何ですか!?えっ!?」
「んーまぁ丁度いいだろ。ルイス、筋トレ付き合え」
「き、筋トレ?今日のトレーニングはもう控えるよう、兄さんにも兄様にも言われているのですが…」
「うん。モラン、ルイスにはもう無理をさせないでくれるかな」
「別にこいつを鍛えようってんじゃねぇよ。ただ俺が腕立てするときの重し役になれってだけの話だ」
「重し?」
「あぁ…また先生と腕相撲勝負でもしてたのかい?モランも懲りないね」
モランはルイスを抱きかかえたままおおよその体重を見繕い、そのまま肩へと抱え上げる。
まるで荷物を担ぐような扱いにムッとしたのはルイス本人で、威勢の良い鶏のトサカのような髪の毛をペシペシ叩いて抗議した。
けれども大したダメージにはなっておらず、モランはそのままウィリアムとアルバートを引き連れて部屋を出て行こうとしている。
三人の会話から察するに自分は何もせずただモランの重しになれば良いだけのようだが、なぜ自分が付き合わされなければならないのだろうか。
僅かに頬を膨らませたがウィリアムもアルバートもそんなルイスに気付くことはなくて、けれど二人も一緒に来てくれるならば良いかと、ルイスはモランに担がれたままトレーニング室に連れられていった。
「よしルイス、背中に乗れ」
「はぁ…では」
腕立て伏せの姿勢を取るモランの背中を見て、ルイスはウィリアムとアルバートの顔を見てからおずおずと馬乗りになった。
本人が乗れと言うのだし、どちらの兄も頷いているのだから拒否する理由もないだろう。
見た目通り大きな背中に乗り上げて、思いのほか安定感がある乗り心地に驚いていると体がゆっくりと上下していった。
モランが腕立て伏せを始めたらしい。
筋肉への負荷を十分かけるようなその動作は、およそガサツなモランらしくなく丁寧なものだ。
まるで何かの遊具に乗っているような心地になったルイスは思わず瞳を輝かせた。
遊具に乗って遊ぶ経験などルイスにはないし、全くもって初めての体験だ。
少し楽しいかもしれない、と思いながら黙ってモランの腕立て伏せに付き合っていると、突然モランの動きが止まる。
「ルイス、おまえ軽すぎだろ…これじゃ負荷にもなんねーよ」
「なっ…モランさんが乗れと言ったんじゃないですか!それに軽くないです、普通です!」
「おいウィリアム、おまえも乗れ。ルイスの後ろな」
「僕もかい?潰れても知らないよ」
ルイスを乗せて腕立てをすれば良い負荷になるだろうと見込んだのだが、思っていたよりもルイスが軽すぎた。
鍛え上げているモランにとってルイス程度の体重では望む負荷がかかるはずもなく、これでは打倒ジャックなど夢のまた夢だ。
小さいルイスに軽く舌打ちをしてからその兄に声をかけ、驚いたように目を見開くウィリアムへ背中に乗るよう視線で誘導した。
二人分ならさすがに丁度いい塩梅になるだろう。
モランの考えが手に取るように分かるウィリアムは、ルイスの肩を支えにしながらその後ろに座り込む。
座り込んだ先は勿論モランの広い背中の上だ。
あまりルイスと距離を取っても腕立て伏せがしづらいだろうと、ぷりぷりと怒っているルイスの腹に腕を回して密着する。
そうしてゆっくりと乗った体が上下していき、ルイスとウィリアムを乗せているのに震えることなく腕立て伏せが出来ているこの状況に思わず驚いた。
「凄いね、モラン。重くないの?」
「何とか、なっ。丁度いい、くらいだ」
「…さすが筋肉の塊」
「おいルイス、今、なんて言った?」
「いえ何も」
ルイスとウィリアムは上下する背中の上、遊具に揺られている心地でモランの筋トレに付き合っている。
小柄な子どもとはいえ二人分となるとかなりの重さになるだろうに、潰れることなく何度も何度も腕立て伏せを繰り返す。
そんなに腕相撲で負けるのが悔しいのだろうかとルイスは首を傾げるが、何かのアトラクションのようで面白いからそのまま揺られていた。
そんな三人を少し離れた場所で見守っていたのがアルバートである。
背も伸びて成長期真っ只中の彼は相応に体重もあり、モランの目的からは外れてしまうのだろう。
それを理解してはいるが、目の前には可愛い弟二人が図体のデカい大人と一緒に遊んでいるようにも見える状況だ。
何とも微笑ましい光景で、見ている方としても楽しいと感じてしまう。
三人で楽しそうに過ごす様子をつい羨ましく思ってしまったアルバートに罪はないだろう。
アルバートはそろそろと三人に近寄っていき、そのままウィリアムの肩に手を添えてモランの背中に腰を下ろした。
「ぐぇっ」
途端に下からカエルを轢いたような声がして、安定感抜群だったはずの背中があっという間に潰れていった。
背中越しに宙へと浮いていたルイスもウィリアムもそのまま床へと降りていく。
元凶であるアルバートは少しだけ翡翠色の瞳を見開き、振り返って自分を見つめてくる弟二人の顔を見つめていた。
「…兄さん?」
「…兄様?」
「…やれやれ。モラン大佐もまだまだですね」
「何だとてめぇ!アルバート!」
びっくりしたように揃いの瞳をしてアルバートを見る弟達の無垢な表情へ優雅な微笑みを返し、その先にいるモランに向かって至極残念だと言うような声をかける。
潰れるだろうと予測はしていたが、本当に潰れるとは思わなかった。
何だかんだ筋肉の塊であるモランならば三人分の重さくらい支えてくれるだろうと無意識に信じていたのだ。
ルイスに「大佐は筋肉の塊なんだよ」と教え込んでいたアルバートは己の信頼を裏切ったモランに対し、嘘偽りのない素直な心を込めた言葉を贈る。
「大佐。我々三人程度を支えられないようでは、先生に勝つなど到底無理でしょうね」
潰れたモランから誰一人降りることなく、モリアーティ家の三兄弟は互いに頷き意見を交わす。
モランは三人分の重みに内臓を圧迫されながらも生意気なその言い分に、上等じゃねぇか!と声を絞り出して奮闘するように腕と体幹を頼りに体を起こし、何とか5回の腕立て伏せを完遂したのだった。
4.ルイスには表情が無い(ウィリアムとルイス)
→ステのウィリアムとルイスは永遠にすれ違ったまま、同じ目線に立つことはないと思う。
あぁ、僕の思いが届くことはないんだな。
ルイスがそう気付いてしまったそのときから、もうずっとずっと、ルイスは本当の笑い方なんて忘れてしまった。
モリアーティ家に拾われた養子の末弟は表情が無いという。
まるで人形めいて整った顔に乗せるものは透明無色、ただひたすらに色が無い。
喜びも嫌悪も驚きも悲しみも怒りも恐れも何もかもを持ち得ていないかのように、その末弟の顔には何も無い。
淡々と己の為すべきことを為し、ふとした瞬間にはそこに存在していることすら忘れてしまう。
あまりに変わらない表情は本物の人形のようで、冷たさすら感じられるほど凍てついた無表情の彼を「アイスドール」と呼ぶ者さえ存在した。
気味が悪いと揶揄する者もいれば、神秘的だと高く評価する者もいる。
けれどどちらの声も末弟の耳をすり抜けて、結果として残るのはやっぱり何も無い表情一つだけだった。
「ねぇルイス」
「何でしょう、ウィリアム兄さん」
「僕との時間はつまらないかな?」
「つまらない、とは?」
書斎で読書に耽るウィリアムの元へ、いつものようにルイスは淹れたばかりの温かい紅茶を届けに行く。
馴染んだ空間で最愛の兄と過ごす時間であろうと、アイスドールと評されるルイスの表情には何も無い。
透き通りながら影を落とす赤い瞳はとても大きく、目の前のウィリアムをしかと映していた。
そうだというのにどこか虚ろで、何故か視線が交わらないのだ。
ウィリアムは緋色の瞳を揺らめかせ、ソファに腰掛ける己の傍に佇む弟の腕を引き、互いの色を合わせて視線を交わす。
そこまでしてやっと、ウィリアムはルイスの意識に入り込めるのだ。
「どうしてそんなに無表情なんだい?」
「…無表情?」
ルイスはウィリアムの言葉に少しだけ困惑を乗せた表情を見せる。
無表情ではないけれど、だからと言ってウィリアムが望んだ表情でもない。
幼い頃から警戒心が強く、自分以外の気配を感じると途端に顔が強張ってしまう臆病な弟。
変化を嫌い、新しいものを拒み、現状を維持することだけが心の安寧を保つ方法だったように思う。
そんな弟の性分を知りつつ、ウィリアムは階級社会が全てである大英帝国を根本から変えようとしている。
ルイスが自分から離れることはないのだという確信を持って、ルイスに最も負担を強いるであろう変革に付き合わせているのだ。
罪悪感がないわけではないけれど、ウィリアムは弟の安寧よりも美しいはずの英国をこの目で見てみたかった。
そしてその美しい世界で、穢れたこの身を失くしてしまいたかったのだ。
ウィリアムがそんな理想に向けて計画を練るにつれ、可愛い弟は段々と一つ一つの表情を無くしていく。
今この空間にはウィリアムとルイスしかいないというのに、まるで凍りついたように変わらない表情は知らない内に心を抉る。
己のやり方は間違っているのだと、暗に言われているようだった。
「僕は無表情なのでしょうか」
「…そうだね。君の本当の顔を、もう随分と見ていない気がするよ」
「…」
自分を見上げる兄の顔を見て、ルイスは瞬時に考えを巡らせる。
アイスドールと揶揄されていることは知っていた。
だが、自分にそれほど表情がないとは思わない。
相応に喜ぶし、嫌悪するし、驚くし、悲しむし、怒るし、恐れている。
それを表情に出しているかと問われると否かもしれないが、改めて言及するほどのことでもないと思うのだ。
ルイスはウィリアムの顔を見つめ、少しばかりの戸惑いを胸にガラス越しの緋色へ己の赤を向けていた。
「…ルイス、笑うことは出来るかい?」
「はい」
「…そう。ありがとう」
ウィリアムが要求する通り、ルイスは目元を緩め口角を上げ努めて楽しい気持ちを表現した。
貼り付けたような不自然極まりないルイスの笑顔。
それを見たウィリアムは諦めたように瞳を伏せてルイスから視線を逸らした。
昔はよく笑ってくれていたのに、今では少しの瞬間も笑ってくれない。
屈託の無い、安心に満ちたルイスの笑顔を、もうずっとずっと見ていないのだ。
どうして笑ってくれないのだろう。
どうして表情を見せてくれないのだろう。
ウィリアムがそう思い悩んでいることなど知らないまま、兄弟としての繋がりゆえなのか、ルイスの口から自然と言葉が溢れていく。
「…だって、兄さんは僕のことを見てくれないじゃないですか」
「え?」
「…何でもありません」
「…ルイス?」
不意に口を突いて出てしまった言葉にルイス自身が驚いた。
無表情に驚愕と恐怖を乗せて、ルイスの顔は僅かなりとも青褪める。
漏れ出た言葉を頭の中で反芻すると、すとんと心に何かが降りてきた。
ウィリアムはルイスのことを見ていない。
ルイスはウィリアムのことを見ているのに、ウィリアムはルイスのことを見ていないのだ。
ルイスにとってウィリアムは世界の中心であり全てだ。
彼のために生きていたいし、彼のために死に絶えたい。
けれどウィリアムはルイスと生きるつもりはないし、ルイスとともに死ぬことも考えていない。
そのことにルイスは気付いてしまっている。
彼の考え全てを理解することは出来ないけれど、この大英帝国を変えようと決意してからの彼の瞳は、ルイスをちゃんと映してくれなくなってしまったのだ。
どんなに尽くそうと関係ないし、懸命に追いかけても追いつけない。
結局ルイスの思いは一方通行で、決してウィリアムに届くことはない。
それをルイスは知ってしまった。
唯一の人である彼に必要とされない事実は間違いなくルイスの心を蝕んでいて、無意識に心を保とうとすれば表情など二の次になる。
言い知れない寂しさと虚しさばかりが募っていくのを、ただひたすらに耐えることしか出来ないのだ。
ルイスが無表情なのはウィリアムのせいだ。
ウィリアムがルイスを見ず、他の誰も連れようとせず、ただ一人堕ちていくことに快感を見出した結果なのだ。
ウィリアムが美しい大英帝国で死ぬことを夢見る限り、ルイスが表情を取り戻すことはきっとない。
どうしてルイスが無表情なのかなんて、考えるまでもなく分かりきったことだった。
5.モリアーティ家次男、マウントを取る(ウィリアムとルイス)
→ウィリアム役の方がツイッターで「今日のルイス」という強者による匂わせをしていて面白かった。
ルイスは基本的に社交界という煌びやかな空間が苦手だ。
ウィリアムとよく似た顔を大多数に見られることも、大きな火傷跡を貴族の好奇に晒すことも、所詮は貴族ではない養子だと疎まれることも、アルバートとウィリアムが貴婦人に囲まれている姿を目にしなければならないことも、全てが全て得意になれない。
そもそも三男であるルイスに招待が来ることも稀だし、アルバート直々にルイスの参加を水面下で食い止めているのだから、ルイスがその華やかな場に出て行くことも月に一度あるかないかだ。
だが有能で優秀なルイスのこと、たまにしかない場においても己の感情を殺し、恥ずかしくない振る舞いをすることには長けていた。
「兄さん、これは?」
「僕のチーフだよ。一晩貸してあげるから、今夜はこれを身につけておいてくれるかな」
「分かりました」
細身のシルエットをした燕尾服に着替え、髪を軽く撫で付けて支度を整えたルイスの元にウィリアムがやってきた。
今夜はルイスを含め、三兄弟全員が招待されてしまった社交界が催される。
気乗りはしないが、アルバートにもウィリアムにも申し訳なさそうに参加を促されれば断るわけにもいかない。
愛しい二人の兄に恥をかかせることのないよう、ルイスは念入りに身嗜みのチェックをしていたところだった。
洒落たアレンジが足りないかと、フレッドに頼んで花の一輪でも胸に飾ろうか考えていたところ、前髪を上げて華麗に支度を整えたウィリアムがチーフを持ってやってきたのだ。
どうしたのだろうかと思うよりも前に、ウィリアムの私物を借りることに嬉しく思う。
「ありがとうございます、ウィリアム兄さん」
「よく似合っているよ、ルイス」
「そうでしょうか。ふふ、嬉しいですね」
ルイスは胸に添えられたチーフに手を当て、普段よりも美しい顔がはっきりと強調されているウィリアムを見る。
変わらず緋色の瞳は燃えるように煌めいていて魅力そのものだ。
今夜もさぞたくさんの貴婦人を虜にするのだろうと容易に想像がついてしまう。
兄に余計な虫が付かないようお守りせねば、とルイスが決意を固めていると、ふいに慣れた香りが漂ってきた。
「…このチーフ、兄さんの香水をかけてあるのでしょうか?」
「あぁ。嫌いではなかっただろう?この香り」
「はい、勿論」
鼻を通るスッキリとしたハーブのような深い香りはウィリアム愛用の香水のものだ。
外に出るときには習慣のようにプッシュする姿を見ているし、ルイスにとっても馴染みがある。
今もうっすらと彼から漂う香りは、ルイスが思わず安心するほどのウィリアムらしさを表していた。
社交界という場に香りという魅力を連れていくのは不思議なことでもないが、それにしてはあまりにすぐ近くで香るものだから気付いてしまったのだ。
自分のすぐ胸元で香る真白のチーフ。
意識的にそこへ視線をやってみれば、まるでウィリアム本人が近くにいるように感じられて心強い。
まだ自分用の香水を身に付けていなくて良かったと、ルイスは数分前までの自分に感謝した。
「そういえば以前もアルバート兄様がカフスを貸してくださいました。その前にはウィリアム兄さんの蝶ネクタイを借りましたし、何か理由でもあるのでしょうか?」
「何もないよ」
「そうですか」
理由は特にない、というのならば、少なくともルイス個人に対してはっきりした目的はないのだろう。
にっこりと笑みを深めるウィリアムを見て、これ以上追求しても答えが返ってくることはないと判断した。
まぁ物の貸し借りくらい大した理由などないのが普通だろうと、ルイスはウィリアムそっくりの顔で彼よりも少しだけ物憂げで美しい笑みを浮かべる。
理由がなくともウィリアムの物を身に付けられるというのは嬉しいものだ。
「さぁ、そろそろフレッドが馬車を準備してくれる時間だ。用意は済んだかい?」
「はい。いつでも出発できます」
「じゃあアルバート兄さんを迎えに行こうか」
そう言って部屋の外へ出ようとするウィリアムに続いて、ルイスは足を進めて行く。
コツコツと靴音を響かせてアルバートの私室に向かうまでの間、ウィリアムは横目で弟の姿を確認した。
暗い金髪は上げられている左側だけムースで固められている。
パーティ用にやや太めのフレームをした眼鏡は涼しげな目元をより印象深く演出していた。
そして光沢のある燕尾服の中で、真白のチーフが一際美しく映えているように感じるのはウィリアムの欲目だろうか。
ルイスに己が所有するチーフを持たせる理由など、ウィリアムにもアルバートにも一つしかない。
彼への影響というよりも、彼に群がるであろう周囲への牽制なのだ。
滅多に社交界に参加しないルイスは一部界隈では高嶺の花だと称されている。
ルイスの頬の傷と俯き加減の姿勢から彼を暗く気味の悪い人間だと揶揄するものもいれば、神秘的な憂いが漂う魅惑の殿方だと惚れ込むものもいた。
前者であろうと後者であろうと、ウィリアムにとっては邪魔な存在だ。
どんな理由であろうと世界で一番愛おしい弟に近付くことなど許せない。
だが社交界の目的は当然のことながら周囲との交流であり、常にウィリアムがルイスを見張っていることも叶わない。
だからこそ、ルイスに自分が愛用する物を身に付けさせ、自分の香りを纏わせることで相手を牽制するのだ。
趣味の良いチーフだと褒めればそれはウィリアムが見繕ったものであり、漂う香水を良い香りだと感じればそれは本来ルイスではなくウィリアムが纏う香りである。
結局相手はルイスのことを理解しきれず今夜を終える。
ルイスと最も親しく彼に相応しいのは他の誰でもない自分なのだと、価値を知らない貴族へ暗に知らしめることが出来るのだ。
「アルバート兄さん、そろそろ出発できますか」
自分に彩られた弟を見て気分を良くするウィリアムは、僅かに浮き足立った気持ちのままアルバートの私室をノックした。