「島義勇判官銅像」と副碑。
(あしあと その57・中央区の48・北海道神宮の4)
北海道神宮拝殿に向かう神門手前の左側の植え込みの中に、高さ約4メートルの巨大なブロンズ像が直立しているのが見えます。これが、石狩平野を一望する神宮の裏山に立つ島義勇の勇姿を再現した「島義勇判官銅像」です。
明治2年、島判官は明治天皇から開拓使に託された大国魂神(おおくにたまのかみ)、大那牟遅神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこのかみ)の開拓三神の御霊代(みたましろ)を捧持して、函館から困難な陸路を踏破して札幌に入り、三神を祀る社地を円山の地に定めました。この像は、開拓三神の御霊代を捧持する器を背負い、左手を差し伸べて円山の丘陵から石狩平野をはるかに見渡す島判官を再現したものです。
この像の前には、碑文が刻まれた板がはめ込まれた自然石が置かれています。
これは、この像が建立された昭和49年当時の宮司である前田勝也氏の手によるもので、そこにはこう書かれています。
「島義勇判官銅像建立の記
明治二年九月二十日 明治天皇は 東久世通禧長官以下の開拓使を北海道に御差遣になりました これより先 宮中に於て開拓の守護神として 大国魂神 大那牟遅神 少彦名神の三神を御奉斎になり この神々を開拓使に御託しになりました 開拓使は函館に仮の役所を設けましたが 札幌本府建設の命をうけた島判官は 三神の御霊代を自ら背負って険難の陸路を踏破し 同年十月札幌に入り 先づ三神を鎮斎する社地をこの円山に定めて 新大社創営の大計を樹立し この地を起点として 昔の平安の都に倣って雄大な札幌市街を計画したのであります この銅像は往時の勇姿を再現したものであります 当神宮は 昭和三十九年に御造営を竣工し 明治天皇の御神霊を併せて御奉斎申し上げ社号を北海道神宮と改めました その満十年の記念事業の一つとして 広く篤信者の浄財を得てこの銅像を建立したのであります
昭和四十九年九月 宮司 前田勝也 識」
北海道の地を拓くに当たって、開拓三神の御霊代(みたましろ)を鎮座させる場所を選んだ島判官の功徳は、北海道に生まれ暮らす私たちは決して忘れてはいけないものだと思います。