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「開拓紀念碑」。

2014.10.25 15:45

(あしあと その133・南区の40・滝野の1)

国道453号を常盤から滝野方向に向かい、左手に滝野霊園の敷地を見ながら進んでいくと、左側に滝野神社の鳥居が見えます。

石段を登って鳥居をくぐり境内に入ると、左手手前に石碑や石像が並んでいます。向って一番右側に建つのが、ひときわ大きい「開拓紀念碑」です。

札幌軟石で組まれた基礎となる台座の上に置かれた、高さ約1.5メートルほどの自然石の石碑の正面には、太く大きな文字で「開拓紀念碑」と刻まれ、さらにその右側に「開拓創始者 阿部仁太郎翁」と刻まれています。

その碑の下に置かれた石の台座の周りには、正面に「発起人総代」の3名のほか、それに続いて左側面から後面にかけて、「寄附者人名」として約60人ほどの氏名が刻まれています。

碑の背面には、「開拓功労者 阿部由太郎 山岸儀太郎 髙井長次郎 國方清平 松本次喜 岡部(不明)」の名前が刻まれ、また左側面には、「大正二年一月建之」と刻まれています。

滝野は、明治初期から札幌の開拓に伴う木材の供給地して切り開かれましたが、明治23年頃には資源が枯渇して製材の器械所が閉鎖されました。その後の明治32年に、碑面に刻まれた阿部仁太郎が開墾を始め、やがて農業を中心にして拓かれることになりました。阿部仁太郎は人望篤く、滝野開拓の功労者であるだけでなく、豊平神社の前身となる小祠を建て、豊平村総代に選ばれ、経王寺の境内に豊平小学校の前身である保育所を建て、さらには豊平郵便局を開設するなど、当時の豊平村の発展に大きく寄与しました。