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「望豊碑」と副碑。

2014.11.06 13:45

(あしあと その139・南区の43・石山の7)

南区の柏丘から常盤に向かう地点にある国道453号の跨道橋である石山陸橋の南西側に、道路を挟んで小さな公園があり、そこに「望豊碑」の石碑が建てられています。

碑の脇には、その由来が書かれた副碑も建てられています。

東向きに建てられた「望豊碑」は札幌軟石でできており、その背後には、石山から川沿に広がる景色が望めます。碑面には大きく「望豊碑」の文字が浮彫りされており、その下には「昭和十三年六月十五日 建之 豊平町青年 石山分團」と刻まれています。

その左側に置かれた副碑には、

「望豊台の碑由来

その昔石山で切り出された札幌軟石は荷馬車に積まれて札幌へ搬出された 当時の石山陸橋は砂利道のしかも急勾配の山道であった 石材を積んだ荷馬車にとっても人馬共に汗を流す難所であった 頂上に着くと待機している二十頭から三十頭に及ぶ馬車に石材を積み替える中継の場所でもあった 交替を終えた馬は附近の草を喰み人は憩いのひと時を過ごしたわけである 彼方には父なる藻岩山が優しく坐り眼下には母なる豊平川の清流がとうとうと流れているのであった 郷土石山を愛する豊平町青年団石山分団の人々はこの先人の苦労を偲び開拓の心を後世に伝えようと昭和十三年六月十五日望豊台碑を建立したのである 時は流れ今やここ石山陸橋は真駒内西岡支笏湖定山渓へと五本の道路が交叉する札幌の南の交通の要所であり交通渋滞の難所でもあった この解決策として真駒内と支笏湖を結ぶ高架道路の建設となったわけである

昭和六十一年十一月三日この高架道路の開通を機会に半世紀に及ぶ石山の歴史を見てきた「望豊台」の碑を保存するために移設したものである 石山に生まれ石山に育ち石山を愛した当時の青年団のみなさんの志を受けこれが新しい時代に引き継がれることを願い ここにその由来を記すものである

昭和六十一年十一月三日 石山望豊台の碑保存会」

と刻まれています。

この碑の移設に際して、50年後に再び札幌軟石の歴史が後世に伝えられるように、碑の下にはタイムカプセルが埋められているそうです。