「札幌焼窯跡」。
(あしあと その151・中央区の79・界川の1)
南9条通を旭ヶ丘の方向に向かってまっすぐ突き当りまで行くと、札幌市内を一望できる小高い山の中腹に、'70年に札幌市創建100周年を記念して開園した旭山記念公園があります。公園の駐車場の入口には門があり、その右手前に屋根が設けられた土山があります。これが「札幌焼窯跡」です。
札幌焼は、大正時代の短い期間にこの地で生産された陶器の呼び名です。その概要を記した説明板が、この土山の傍らに建てられています。
「札幌焼窯跡
大正3年10月、札幌郡藻岩村大字円山村に札幌陶器製造(株)が設立されたが、翌年になって解散しました。これを中井賢次郎(三国屋支配人)が引継ぎ、中井陶器工場として新発足しましたが、大正14年10月終始償わず閉鎖されました。この間、生産された製品を札幌焼といいます。
札幌焼は、円山付近の粘土、豊富な沢水と林内のマキ材料に依存して起業されました。窯は登り窯で三基ほどあり、大きい窯は、焼成室(間)が六つほどありました。
札幌焼は実用品で、かめ、はち、すりばち、花びん、茶わん、とっくり、きゅうす、湯たんぽ、沈子(網用)などが知られています。」
※ 「沈子」とは、漁網を海底に沈めるための錘のことをいいます。
大正時代、札幌では陶器を入手することが大変困難であったため、円山の豊富な土と水、木材を利用して札幌焼が始められました。最盛期には、函館焼、小樽焼と並んで道内屈指の陶器の生産拠点に発展しました。しかしながら、次第に本州産の陶磁器に押され、さらには出資元となっていた酒類・食料品雑貨商の三国屋が倒産したことなどが原因で、その役目を終えました。今では幻の陶器とも呼ばれて、とても貴重な存在になっています。歩道の脇に設けられた屋根の下には、笹やぶに覆われるようにしてレンガ様のがれきが散乱しています。