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「山下秀之助歌碑」。

2015.06.14 05:10

(あしあと その205・中央区の104・円山公園の4)

円山公園内のうっそうとした原始林に囲まれた中に、人目を忍ぶように「山下秀之助歌碑」がたたずんでいます。自然石でできた碑の碑面には、「志ろがねに かヾやく雲の 空に満ち 無際限なる いのちの流れ 秀之助」と刻まれています。

また、碑の背面には、

「山下秀之助先生は明治三十年鹿児島市に生れ 東京帝国大学医学部卒業 大正十一年三月以来本道に在ること三十有五年 現在札幌鉄道病院長の職にある

大正の初期より作歌に精進して夙に名声あり 大正末期及び今次戦後に「原始林」を発行 その間 歌集「冬日」を初め四巻その他の著作によって昭和二十七年北海道文化賞を授与される

先生は廉直にして高潔 英資温容によく衆望をあつめ 医学界 文壇歌壇の指標として業績甚だ顕著である

ここに高風を慕うものら相図り その還暦を祝い 特に自筆を乞い碑に刻して後年への記念とする

昭和三十二年八月二十五日 建碑 山下秀之助先生歌碑建設規制會 設計 天羽正愛」

と、建碑の経緯が刻まれています。

山下秀之助は、大正11年に新設されたばかりの北大医学部に助手として赴任し、その後昭和22年に札幌鉄道病院の院長となってから昭和33年に定年退職するまで北海道に在住、退職後は東京の市ヶ谷に移りました。昭和16年には、北海道歌人協会、北海道文芸協会の設立に尽力するなど、道内の歌壇界における指導者的立場にありました。