「火産霊神」碑。
(あしあと その212・中央区の111・伏見の5)
伏見稲荷神社の境内の西側に、ひときわ目立つ大きな黒御影石でできた石碑が建っています。これが「火産霊神(ほむすびのかみ)」碑です。
碑に向かって右側には赤い小祠がありますが、これは「火産霊神」を祀ったものだそうです。
碑の正面上部には、筆文字で「火産霊神」と刻まれ、その下には
「國家ノ富國民ノ幸福瞬間ニ破壊滅失シテ悲惨無涯ノ損害ヲ興フルモノハ火災ヲ以テ最トナス本市ハ既徃幾度カ此猛襲ニ遭ヒ被害甚大殊ニ明治四十年五月ノ大火ハ惨事其極ニ達ス當時吾人ハ思ヒラク堅實ニ本區ノ発展ト住民ノ安寧トヲ望マンニハ此火災ヲ未前ニ防止スルノ方法ヲ講スルヨリ外良キハ無シト乃チ大火直後官民有志相謀リ第一ヨリ第四十一ニ至ル火災豫防組合ヲ創設シ本組合ニ役員ヲ置キ何レモ蹶起奮勵克ク其事ニ當リ實ニ豫期以上ノ成績ヲ擧ク斯テ明治四十四年ニ至リ夏期畏クモ先帝陛下尚東宮ニ座シテ本道ニ行啓ノ御沙汰アルヲ拝聞シ我組合ハ此千載一遇ノ御盛事ニ際シ當區ニ前年ノ如キ大火アリテハ恐懼措ク所ヲ知ラスト爲シ絶對ニ之カ防止ノ根幹トシテ聯合會ヲ組織シ協力一致統制アル行動ノ下ニ顕著ナル効果ヲ収メ無碍鶴駕奉送迎ノ要事ヲ了セリ爾来爰ニ満二十年本會ハ常ニ此尊キ創設ノ大精神ニ基キ終始一貫本事業ノ徹底ニ努力シ今ヤ組合ハ六十四ニ増加シ火災度數ハ年ト共ニ激減ス本市ノ爲メ誠ニ欣賀ニ堪ヘス之レ畢竟各組合役員ノ宣傳宜シキヲ得タル結果ト市民全般ノ覺醒ニ依ルハ勿論ナリト雖抑モ亦峻嚴崇高ナル火神ノ守護瞑助アルニ非サレハ焉ソ能ク斯ノ如キヲ得ンヤ故ニ本會ハ此記念スヘキ年ヲトシテ碑ヲ建テ甚深無邊ノ神恩ニ報ヒ併セテ永遠鎭護ヲ仰キ且ハ本碑ヲ中心ニ火災豫防ノ信念ヲ堅固ニシ以テ永久ニ本市ノ隆盛ト全市民ノ幸福トヲ祷祈スト云爾
昭和六年四月 札幌市火災豫防組合聯合會長阿由葉宗三郎撰 伊澤廣曹書」
と刻まれています。
更に碑の背面には、「札幌市火災豫防組合聯合會役員」や「札幌市火災豫防組合正副組長」などの名前が細かく並べられています。
この碑の撰文者である阿由葉宗三郎は栃木県の出身で、20歳のときに最年少で札幌神社の宮司に任ぜられました。神職を退いた後は札幌区議会議員、道会議員に当選し、さらには札幌市議会議員をも務めました。火災予防活動には特に力を入れ、市の火防組合を連合組織にまとめるなど、札幌市における火災防災事業の先駆となりました。