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「供養塚」。

2015.07.03 12:20

(あしあと その218・南区の56・南沢の1)

南区の南沢から、硬石山の西側を回って白川に抜ける市道があります。中ノ沢南沢通の交差点からその市道に入って約100メートルほど行った先の右手に、「供養塚」という石碑が建っているのがわかります。

自然石でできたこの碑の碑面には、筆太の文字で「供養塚」と彫り込まれており、ところどころ石の地が見えることから、白く塗られたものであることがうかがえます。

碑の背面には、「昭和十九年夏建之 小重園育種農場」と刻まれています。

私は、この碑の出自についてはよくわかりません。南区のHPでは、「山崎長吉氏の著作「さっぽろ歴史散歩 山の辺の道」でこの碑が「鶯塚」、また他の冊子「首塚」または「馬頭観音」などと呼ばれている」と紹介されています。なぜ「鶯塚」などと呼ばれていたのかについて、山崎氏はその著作の中で「この辺にウグイスがいたからだろう」と述べていますが、実は南区のHPや山崎氏の著作でこの碑の写真が紹介されていますが、いずれも上部約3分の1が欠けた状態になっています。つまり、「供養塚」の「供」の一文字が欠けて、「養塚」の部分しか残っていないのです。この残された「養」の字体から、「鶯」と読まれてもやむを得ないでしょう。いつごろこの碑が「供養塚」に修復されたのかは定かでありません。上部の欠けた部分を載せた後、セメントなどで接着したことがわからないように碑の表面が白く塗られたのではないかと思われますが、その経緯は近隣住民の方に直接お伺いしなければわからないことでしょうね。