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「天皇陛下皇后陛下 北海道開道札幌市創建百年行幸啓記念」碑。

2016.04.02 04:00

(あしあと その348・中央区の126・円山公園の5)

北1条通側の円山公園の敷地内に、白御影石と黒御影石を組み合わせて造られた碑が建てられています。これが「天皇陛下皇后陛下 北海道開道札幌市創建百年行幸啓記念」碑です。

本碑の碑面には、

「天皇陛下皇后陛下

北海道開道 札幌市創建 百年行幸啓記念

昭和四十三年九月二日

札幌市長 原田與作 書」

と刻まれ、その台座の一部には「植樹と建碑 北円山町内連合会」と刻まれています。

碑の背面にまわると、本碑には次のように刻まれています。

「我が郷土北円山は安政四年(一八五七)早くも中川中島の両人等がチネセプ川のほとりに入り米作をこころみ 次いで早山清太郎が入地したとつたえられる

明治天皇は明治二年七月(一八六九)開拓使をおかれ八月エゾを北海道と改め札幌本府創建にあたり島判官は北海道總鎮守新大社を現在の地に定められた 明治三年五月開拓使は現在の北一條より北は西二十二丁目より東え北一條より南は道の西側の土地へ山形縣人(當時酒田縣)日田豊三郎等三十戸を入地させ庚午三の村と称した 明治四年岩村判官の命名により札幌郡円山村と改称した

この年官幣大社札幌神社(現北海道神宮)が造営せられた 明治三十九年山鼻村と合併し藻岩村となり 昭和十三年発展著しく町制を施行して円山町となり 昭和十六年四月一日札幌市と合併した 隣保組織としての部落会町内会は入地と共に自然発生した大東亜戦争のときには隣保班公区円山連合公区に編成せられたが 昭和二十年八月十五日(一九四五)終戦後まもなく解体した

昭和二十二年円山地区は市の行政上北と南に分割せられ南三條より北は札幌北円山区出張所区域となり 昭和二十七年地域の振興市民福祉向上のため北円山振興会が組織せられ各町内に分区をおき運営したが昭和四十一年北円山町内會連合會に改組せられた

北円山は北海道神宮の神苑を中心として繁栄し面積三十六平方キロ戸数九千七百余戸人口三万三千四百余人に達し生活環境に恵まれ発展の一途々あり 時あたかも北海道開道百年札幌市創建百年の年を迎え九月二日神宮外苑競技場に

天皇陛下皇后陛下の行幸啓を仰ぎ北海道開道百年の記念式が行われたことは北円山市民として最大の光栄であり喜びである

當会は十月二十六日記念式を行い原始の密林に入った開拓先駆者の遺徳をしのび地域の発展市民福祉の向上に永年努力された多くの先歿者に慰霊の誠を捧げ七十五名の諸氏に感謝状を贈って謝意を表し 當会の役員と町内有志の協賛によりここに記念植樹を行いこの碑を建て 風雪百年北円山の歴史をきざみ百歳一遇の光栄を輝く未来の世紀に傳えんとするものなり

昭和四十三年十一月三日(一九六八)

札幌市北円山町内会連合會長 宮本平八郎撰

北海学園大学 学長 北海道大学名誉教授 農学博士 高倉新一郎〇」

また、本碑の支柱石の背面には「植栽 雪印種苗株式会社 施工 小野石材工業株式会社」と刻まれています。

白御影石の石柱に黒御影石でできた石板がはめ込まれており、「協賛町内有志芳名」と「北円山町内連合会役員」の氏名が刻まれ、その下に「老朽化の為 平成4年8月27日改修 円山町内会連合会」と刻まれた小さな石板がはめ込まれています。