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「史蹟環状石垣之跡」碑と副碑。

2016.11.12 05:00

「あしあと その417・西区の11・発寒の6)

発寒神社の社殿前に、「馬頭記念碑」と並んで立つのが「史蹟環状石垣之跡」碑です。

本碑は細長い石柱状のもので、碑面に大きく「史蹟環状石垣之跡」と刻まれています。

本碑の脇には副碑があり、その碑面には、

「史蹟の復元について

先住民族の遺物は発寒地域より数多く出ているがこの環状石垣は昭和七年十一月この地より発掘された当時の二重墳墓の跡と思われる

推定八百~九百年以前のものである調査の記録に基づいて大体復元したが使用した碑石及び石垣は発掘当時のものである開道百年 天皇皇后両陛下の本道行啓を記念し有志 相謀りこれを建立せり

昭和四十三年戊申九月」

と刻まれています。さらに、この碑の周囲には大小の石が整然と並べられていて、環状石垣を復元したものとなっています。

発寒地域には、今から約五千年以上前から人が住んでいたと言われており、出土した土器や石器は新石器時代のものであるとされています。この地で発掘された環状石垣は、かつてのストーンサークルに、後代の人間が墓として使用した二重墳墓であるとされ、出土した副葬品からアイヌによる墓とされています。