「植村澄三郎翁」像。
2017.03.06 14:40
(あしあと その479・中央区の166・創成川以東の11)
サッポロファクトリーにあるアトリウム東側の構内札幌神社と同じ敷地に、ブロンズ製の胸像が建てられています。これは「植村澄三郎翁」像です。台座の正面にはめ込まれたブロンズ板に、「植村澄三郎翁」と記されています。
台座の背面にはめ込まれたブロンズ板には、
「男爵佐藤昌介表題
翁ハ幕臣植村厚十郎君ノ嫡男文久二年十月甲府ニ生ル天資篤厚明達才徳雙備ス明治十二年上京諸官省ニ歴任シテ令譽アリ後諸會社ヲ兼總シテ〇績髙シ特ニ札幌麦酒會社竝我大日本麦酒會社四十有餘年ニ亙ル建設経營ノ偉功ハ内外ノ鑚仰スル所蓋シ翁ハ本邦麥酒業ノ創成者ニシテ又其開拓者タリ今其喜壽ヲ機トシテ翁ノ温容ヲ蒙リ之ヲ由縁ノ地ニ樹テ以テ其徳業ヲ不朽二記念ス
昭和十三年十月十一日 社長髙𣘺龍太郎撰竝書
右壽像昭和十八年六月大東亞戦争ノタメ供出シタルヲ以テ茲ニ本胸像ヲ再建スルモノ也
昭和二十五年十月」
と記されています。
胸像の前には説明板があり、それには、
「植村澄三郎像
札幌麦酒設立の発起人の一人であり、明治を代表する実業家である澁澤栄一の知遇を受け、明治27年(1894)札幌麦酒株式会社の専務取締役に選任される。
以後、明治39年(1906)3月の麦酒3社の大合同による大日本麦酒株式会社の誕生まで、実質的には社長として手腕を振った。また、合同後の大日本麦酒では馬越恭平社長に次ぐナンバー2として昭和5年まで24年間経営の重責を担った。長男植村甲午郎(第3代経団連会長)は、この地(北2条東4丁目)で育ち、昭和47年(1972)札幌オリンピック冬期大会開催では、事務総長を務めた。」
と記されています。