「発寒稲積開拓記念碑」。
2018.12.26 14:35
(あしあと その698・手稲の24・新発寒の1)
下手稲通と追分通の交差点の角に、下手稲通に面して石碑が3基並んでいる一角があります。
その一つが、「発寒稲積開拓記念碑」です。白御影石が積まれた台座の上に、黒御影石でできた碑が置かれており、碑面には「発寒稲積開拓記念碑」と大きく刻まれています。
碑の背面には、
「大正三年先人北渚(ほくちょ)より来たりてこの地を故園(こえん)と定む汒汒(ぼうぼう)たる原野泥炭土にして地味瘠薄(せきはく)なり昭和九年乳牛を誘い全戸酪農を営む幾多の風雪に堪え艱難(かんなん)共にしこの地を豊穣の地となすここに先達(せんだち)の辛楚(しんそ)をを偲びこの碑を建立する
昭和九年自作農 昭和十九年第二開拓入植 期成会 会長 副会長 (氏名)」
と刻まれています。
台座上部の背面には、「昭和61年9月吉日 建之」と施工会社名が刻まれています。
手稲区のHPによると、碑に隣接する「馬頭大神」碑の台座を補修をした際に、この碑が建てられたそうです。