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「水天宮」の碑群 その1。

2019.03.16 13:30

(あしあと その725・中央区の227・中島公園の12)

中島公園の西側にある水天宮の境内には、古くからの碑が幾つか残されています。それらは、鳥居をくぐって左手の手水舎の付近に置かれています。

手水舎には、側面に「奉納」と刻まれた自然石のままの手水石が置かれています。その上面はかつて清めの水を受けていたように見られますが、現在は形だけで水は流されていません。

手水舎の後方には、2枚の石板が横に並んで建てられており、いずれも「奉納」と刻まれています。

向かって右側の石板には、「奉納」の下に11名の氏名が刻まれていますが、その一部は風化して読み取れません。その末尾に、「昭和二年九月 石工石谷匠太(郎)」と添えられています。

左側に並ぶ石板には、「奉納」の下に「發起者」の2名に続いて12名の氏名が刻まれています。発起者の一人に佐藤源八郎の氏名があり、現在地に水天宮を移した人物が佐藤源八郎で同一人物かと思われますが、発起者の鍋田源七と連名になっていて、この2人は昭和初期に南9条西6丁目にあった映画会社マキノ・プロダクションのマキノキネマ北海道配給所の支配人と営業部長の関係にあります。このことから、2代目の佐藤源八郎に当たるのではないかと思われます。ちなみに、山崎長吉氏の「さっぽろ歴史散歩 中島公園百年」には、水天宮の境内にある2つの小祠が「初代佐藤源八郎が寄進したものである」ことが記されています。