ハリソン君との遭遇
1991年の大卒後、大阪の企画会社に入社した。本当は新聞社に入りたかったが、落ちた。でもしつこく受けていたら1992年2月に大阪のスポーツ新聞社に補欠で受かった。即行で転職。配属先は報道部。新人記者が長期休暇を取れるワケがなく、しばしば海外旅行はお預け。ちょっと休みができると愛車に跨がって、琵琶湖や日本海、四国や九州へとふらふら遠出し、疼く海外への夢を紛らわせていた。
そんな時、世界の方からやって来た。「スター・ウォーズ」シリーズでお馴染みのハリソン・フォードが、映画『逃亡者』(1993)のPRで来日したのだ。しかも成田空港着ではなく伊丹空港着で。今ならハリウッド・スターが関西へ立ち寄るのは珍しくないが、当時は稀。何事か?と各所に探りを入れてみると、大阪でCMの撮影をするという。これまた当時は稀、いや、もうこれは事件だ!
取材に動いた。大阪の某大手代理店が仕切っている情報までは手にした。その先の伝がない。自社の広告局に出向き、その代理店担当のDさんに先方と繋いで欲しいとお願いした。Dさんは休日を返上して、私を連れて代理店へ出向き、一緒に取材交渉してくれた。それがまさか出始めの携帯電話、しかも、後にジャネット・ジャクソンやブラピも出演して話題を振りまくことになるツーカーホン関西の立ち上げ第一発の社運を賭けたCMだったとは!!
撮影は1993年8月24日。大阪・難波の戎橋で、人混みを避けた早朝7時から。浪花のビジネスマンになったハリソン君が、携帯電話で「まいど、おおきに」と取引先と会話をする内容だ。演出は映画監督でもある市川準さん。「サントリー・オールド」や「タンスにゴン」シリーズを手掛けたCM界の巨匠の仕事ぶりを間近でみられるというのもまた、記者冥利に尽きるというもの。
嬉しすぎて、思わずパチリ。
代理店の方が取材時間も設けてくれた。ただし「ハリソンに何かプレゼントを」。考えましたよ。選んだのは、蝶のマークが入った森英恵デザインのお箸セット。つまり家族分。しかしご存知の通り、当時の脚本家の妻とは離婚しちゃったのよね。母さん、あの時の箸はどこへ行ったのでしょう?
翌日、記事は無事に掲載。でもDさんは代理店にお叱りを受けたとか。そりゃ、そうだ。整理部が付けた記事の見出しは、
「逃亡者、大阪で荒稼ぎ」
今では信じられないような、代理店にもスポンサーにも一切、忖度なし(苦笑)。
それが原因というわけではないですが、Dさんは今、大阪・北新地で「Bar Jin 仁、」を営んでおります。
ダンディーで優しいマスターが、あなたに憩いのひとときを提供します。
と、感謝とお詫びを込めまして、120%増しで宣伝してみました。