久しぶりに…
年も明けて、もう2月…
皆さま「明けましておめでとうございます!今年もマイペースでゆっくり更新になろうかと思いますが、気長にお付き合い頂ければ幸いです。」 <(_ _)>
もっとも、最近は講演会を聞きに行ったり、家でホームワーク的読書が多くなっててストック写真も大分時差が出てきている始末。
ですが、そんなホームワーク続きでも、「本」との出会いがありましたので、少しご紹介したいと思います。
「天の蛍」江尾十七夜物語
先ずは、鳥取県日野郡江府町江尾の「十七夜」にまつわる物語のコミックです。
江尾十七夜とは、盂蘭盆の17日に行われる盆踊りです。
「天の蛍」はその十七夜にまつわる戦国時代に翻弄された踊り子と、城主蜂塚氏の伝承をもとに描かれた歴史小説です。(私が読んだのはコミック化された方です)
紹介用の動画もありましたので。よければ見てください!
何が良かったか!
踊り子になる主人公「波留」は尼子氏の拠点である冨田の出身です。
幼馴染は「山中鹿之助」。
もうこれだけでも何かワクワクするんですが、実は・・・。
って、内容を書くわけにもいかないので、地理的なこと等を少し。
江府町は、鳥取県西部を流れる日野川の中流域(と、言っても山の中ですが)に当たります。
日野川は、北は鳥取県の皆生温泉・日本海まで注ぎ、南は日野町ー日南町を源流とし、岡山まで通じる出雲街道を南北に流れています。
江府町江尾は日野川に沿って南へ進めば、日野ー日南ー新見ー岡山市方面へ。
東に山越えをすれば、蒜山ー真庭ー大阪方面へと街道の分かれ道でもあり、大きな宿場でもあった場所です。
また、北東には大山がそびえる、奥大山への玄関口でもあります。
余談ですが奥大山と言えば、サントリーから出ている天然水。奥大山のものはちゃんとここで取水されているんです。CMでは宇多田ヒカルさんが小川に浸かったりしてましたね。
「天の蛍」の中でも少し語られていましたが、この日野川流域・・・と、言うか、この中国山脈の一帯には、「たたら」・「野だたら」の跡が沢山あります。
そして、当然ながら大きな河は、この「たたら」で作られた「重い鉄」を搬出する為の貴重な天然の交通手段でもあったのです。
現に日野川流域には、「金持神社」・「楽楽福神社」など、製鉄に関わる神社も多くあります。
「楽楽福神社」は御祭神が孝霊天皇=桃太郎のお父さんですよ!
そればかりでなく、孝霊天皇が鬼を退治した伝承が流域には点々とあるのです。
こういった立地上の歴史を踏まえると、戦国時代、この拠点を巡っては尼子と毛利が相当激しく争っていたことが窺えます。
なので、「天の蛍」興味のある片は是非お勧めです(^^)b
「この音とまれ!」
2つ目は、本では無くアニメです。
ホームワークの合間や寝る前になんとなくアニマックスを見ていたら、一気に引き込まれてしまいました!!
ジャンプSQ(スクエア)にて連載されていて、22巻まででているようですが、私はアニメ推しです!
「この音とまれ!」は筝曲部を舞台にしたお話で、平たく言えばお琴を弾くお話です。
ジャンプSQさんのHPにはYoutubeにアップされた合奏を一部聞くことが出来ますが、アニメでは、話の展開で他校の楽曲だったりとか、色々な琴の曲を聴くことが出来ます。
私自身、そんなに琴の曲を聴くこと等なかったので(せいぜいお正月の番組とかでちょろっとながれているのくらい)、音楽は聴いていて心地良いものはジャンルを問わず聴く方で、最近のお気に入りはcoldrainの「MAYDAY」とかCrystal Lakeとかちょっと激しい感じのがお好みだったんですが、180度方向転換ですね(笑)
アニメで流れる琴の心地よい音色にうっとりで、お話も面白いです!
アニメは現在2クール目まで。漫画の巻数がどんな感じか正確ではないですが、多分15巻くらいまで
がアニメになっている感じですかね(汗)
もしよかったら見てください(^^)b
あ、曲だけでも聞いてみてください。
宿題の回答
実は、と、いうか最初に夜神楽にお邪魔して以来、毎年勝手に波多神社の夜神楽にお邪魔しています!
17年の最初は無我夢中。18年は動画を、19年は写真をってことで、こちらになアップせず、インスタのみで写真をアップしていましたが、昨年の夜神楽では波多神社の神様とご神職・勝部様のお陰で、研究者の方、御二方と出会うことが出来ました。
御一方は古文書のエキスパートの方で、最近はAIが進化して、古文書を読めるようになって来たと仰られてました。でも、人の字って癖が強いので、まだまだ人の力が必要とも仰られていました。
もう御一方は神楽のエキスパートの方で、島根県のみならず、色々なところの神楽を見てこられて、地域によっての神楽の違いなどを研究されていらっしゃる方でした。
本の僅かな時間でしたが、名刺交換したり、おしゃべりしたり、楽しいひと時を過ごさせていただいたのですが、神楽のお話の時に不意に
「あぁ、そういえば、この辺(出雲地方)ではなぜか安来には神楽が無いんですよねぇ」って仰られたんです。
それから、何故かどうしてもそのことが頭から離れませんでした。
どうしてだろう?
どうして安来には神楽が無いのだろう?
考えても、家にある本などを眺めても答えなんてあるはずありません。
(あー、これってきっと宿題なんだな。)
いつしか、そんな風に思って、思いついたことを直ぐにメモに残すようにしていました。
それから2か月ほどたった12月。
和鋼博物館で、「野見宿祢・のみのすくね」をテーマにした講演会に行って来ました。
「野見宿祢」とは、安来の能義神社出身で、昨年世界遺産に選ばれた百舌鳥・古市古墳群にある大仙古墳=仁徳天皇陵の仁徳天皇の前で初めて相撲をして、勝者になりそのまま召し抱えられた人でもあります。(その際にもらった領地にある神社が片埜神社です)
そして、この「野見宿祢」は仁徳天皇の御后さまが亡くなられた際に、初めて埴輪を作るように進言した人でもあります。
一昨年には、関和彦さんの講演で出雲国造から遡って、この「野見宿祢」にも焦点を当てたお話を聞いていました。
今回は、「野見宿祢」にまつわる伝承と実際にあったで考古学的な事象との比較。そんな感じのお話を聞くことが出来ました。
ボーっと聴いていたわけではないのですが、お話を聞いて一旦情報をガ―っと脳内に叩き込むのですが、それらの得た情報を自分なりに整理して、消化出来るまでに非常に時間がかかります(汗)
ですが、この講演を聞きに行って良かった。
お陰で、宿題やっと自分なりに答え出せそうです(笑)
「野見宿祢」を再整理します。
「野見宿祢」の祖は天穂日。
現、出雲大社・千家さんと同じご先祖で、やはり出雲国造であった。
天穂日から続く子孫なので、天皇家ともある意味近く、もともと位は高かったと思われる。
「野見宿祢」子孫を見ていくと、土師氏(埴輪などを作る一族)、忌部氏(斎式を司る一族)、一番有名なのが菅原道真。
地理から安来を再整理します。
西の出雲・東の安来と言われ位に、弥生時代からの墳丘墓・古墳が多く点在。
出雲ー安来で交互に大きな墳墓が作られていたが、空白の100年間が安来にある。
「野見宿祢」が埴輪づくりで出雲から職人を呼び寄せた伝承があり、空白の100年と一致する。
私の勝手な答え
以上の二つを考えると、空白の100年の時に、「神楽」の舞手や伝承者も当然一緒に移動したのではないかと思う。
もしかしたら、片埜神社さに「神楽」の伝承など残ってる(淡い希望・願望)
(今度機会があって片埜神社いったら、忘れずしつもんしてみよう・・・)
おそらくは、「野見宿祢」が天皇に召し抱えられているので、宮中の猿女に吸収されているのが本筋かなぁと思っています。
「野見宿祢」は晩年、出雲に帰りたいと懇願し、出雲へ帰る途中で、播磨の国(兵庫県)で病死してしまいます。
荼毘に臥された「野見宿祢」の遺骨はそのまま播磨で埋葬されたのち、出雲から知らせを聞いた宿祢の一族が分骨をして、現在の菅原天満宮のところへと持ち帰って埋葬されたと伝わっています。
安来では無く、宍道という出雲に近い場所に埋葬されたのも、天穂日(一族)は最初は安来と鳥取の県境にある支布佐神社からスタートして、能義神社ー神魂神社ー熊野大社ー出雲大社と、出雲国造の拠点が移り変わって行っているところでの出来事だったのではないだろうか。だから、宿祢の出雲に残っていた一族は安来から出雲に近いところへと移住していたので、自分たちの近い場所へと埋葬したと思われる。
うし、こんな感じです(笑)
ホームワークまだまだあるなー(汗)
ホームワークに負けずに、また載せていきます。
では、またでーす(^^)ノシ