「興産社の馬頭観世音」。
2015.05.30 09:50
(あしあと その194・北区の7・篠路の2)
「仙人庚申塚」からさらに西方向に向かうと、ペケレット湖の辺りの道路沿いの左手に大きなレリーフがあり、その裏側の雑木に紛れて石碑があるのがわかります。レリーフには、馬の絵とともに「興産社の馬頭観世音」と記されています。
このレリーフの背後には、大小の石碑が建っているのがわかります。その中でひときわ大きい石碑が、ここに記された「興産社の馬頭観世音」です。
碑面には、時代とともに風化しつつある三面八臂の観音像が象られており、その上部に「馬頭觀世音」と刻まれています。
また碑の左側面には、「明治四拾壱年八月拾八日」と刻まれています。
碑の台座の正面には、「谷農場中」と刻まれたその下に、発起人として11人の氏名が記されているのが見て取れます。
レリーフに向かって右側には案内板が立っています。それには、
「興産社の馬頭観世音
藍の栽培と製造を行った興産社農場は、安価な輸入染料によって経営が行き詰ったことから、事業家の谷仙吉が農場を譲り受けて谷農場となった。谷農場の耕作農家にとってかけがえのない農耕馬や繁殖馬の健康を願って、同農場の18名によって明治42年(1909年)にこの馬頭観世音が建立された。同観世音の周囲には、大正年間に建立された馬頭観世音もある。」
と記されています。
興産社は、徳島県からこの地に入植した滝本五郎が創設した農産組織です。徳島名産の藍の栽培を主力として大成功を収めましたが、安価な輸入品の登場で衰退しました。その後、特産品であった藍の生産は断たれてしまいましたが、現在は「あいの里」の地名になって引き継がれています。