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「札幌遊郭(通称白石遊郭)跡」。

2015.09.14 14:05

(あしあと その258・白石区の8・菊水の5)

市道南郷通を豊平川方向に向かい、白石区菊水5条1丁目から豊平方向に曲がってすぐ左手に、菊水公園という小公園があります。この公園の入り口に、「白石歴しるべ」の説明板が建てられており、そこには、この地域一帯が「札幌遊郭(通称白石遊郭)跡」であることが記されています。

説明板には、「昭和23年に米軍が撮影した写真。遊郭の名称は昭和4、5年のもの」と題された航空写真が添えられており、それには、細長い「田」の字を二つつなげた形状の道路に囲まれた区域の中心となる道路上の、この説明板がある付近に遊郭の出入口になる東門が、その反対側の菊水1条2丁目の交差点に西門が建てられ、その遊郭の区域内に33の妓楼の名前が記されています。また、

「明治初期、札幌本府建設に集まった大工たちを目当てに料飲店や売女屋が増えたため、開拓使は街外れの薄野に札幌遊郭(一般に薄野遊郭と呼ばれた)を定めてこれらを一カ所にまとめた。

薄野が市街化すると遊郭の移転が計画され、周辺の村は遊郭誘致に名乗りをあげたが、リンゴの病害虫で悩む白石村の果樹園主たちが遊郭用地を札幌区に寄付して誘致に成功した。

大正9年までに移転を終えた札幌遊郭は地名をとって白石遊郭と一般に呼ばれた。写真のように通りに面して30軒ほどの妓楼が建ち並び、通りの中央に小川が流れていた。遊郭の東西の端に大きな門があり、国道36号からこの門に到る道は大門通と呼ばれた。

戦後の昭和26年(1951)、札幌市の風俗取締条例制定とアメリカ軍の撤退で廃業する妓楼が相次ぎ、昭和33年(1958)の売春防止法完全施行で白石遊郭は姿を消した。」

と記されています。

ちなみに、写真に記されている妓楼は、大門通の北側に、西門から東門に向かって松島楼、昭和、千代田、栄清楼勇喜、金洋楼角ゑび、太田楼、朝日開進楼、新橋高砂、富山北国、栄楼、柏楼長谷川、玉楼、正月観月、新盛楼、昇月、いな葉ときわ、三日月、釣月甲子楼が並び、大門通の南側に、東門から西門に向かって大正楼、宮島楼、岡田楼、いな葉、北越、東京閣喜美川、丸喜楼、朝日楼、富士楼、一二三楼、喜久川、福寿美、敷島、日光楼、源氏楼が並んでいます。