「労農運動犠牲者之碑」。
(あしあと その280・豊平区の39・月寒の10)
月寒小学校から月寒公園の東端に沿って下る一方通行の坂道。その途中のマンションの敷地手前にうっそうとした木々に囲まれた空地があります。その敷地の入り口に、「北海道解放運動無名戦士の碑小公園」と書かれた看板が立っており、奥に変わった形の石碑があるのがわかります。
公園内に足を踏み入れてみると、前衛的なデザインの石碑の存在がとても目を引きます。
碑の前面には、「だれが斗わずにいられよう 斗うであらう 斗わねばならぬ」と記された石板と、「勞農運動犠牲者之碑1949」と記された紋章がはめ込まれています。
碑に向かって右側には説明版があり、それには
「碑の由来
かつて専制と圧迫が支配する北海道において、生活と権利、平和と民主主義のためにたたかい官憲に捕われ拷問を受けて惨殺された人たち、あるいは灰色の獄中であるいは迫害と尾行に家郷を追われ窮乏裡にその生涯を閉じた人たち、戦後解放運動の先頭にたってたたかい倒れた人たち。
これら先駆者の功績をながく讃え、その不屈のたたかいにまなび遺志を継ぐ誓いの碑として、一九四九年全道のはたらく人びとの決意をあつめてこれを建立し一九六六年九月この地移す
北海道解放運動犠牲者合葬追悼会実行委員会」
と記されています。
碑は、道内出身の彫刻家山内壮夫氏の設計によるもので、労働運動の象徴ともいえるハンマーを象ったものと言われています。
この碑が建立された昭和24年当初は、当時の労農救援会に縁の深い弁護士宅があった大通西9丁目にありましたが、昭和41年に現在地に移設されました。碑面の一文は、昭和23年に、当時の国鉄石勝線狩勝トンネルの入り口で国鉄側に抗議するために列車に身を投じて自殺した国労幹部に捧げられた追悼の詩の一節からとったものです。