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「豊平外三ヵ村聯合用水路跡」。

2016.03.06 00:00

(あしあと その336・白石区の16・東札幌の3)

米里行啓通から東札幌と白石中央の境界となる通りを東に向かってしばらく進むと、右手にテニスコートに隣接するもつき公園があります。この公園の一角に、「豊平外三ヵ村聯合用水路跡」の説明板が立っています。

説明板の左側には、「1号用水路。豊園小学校から白石区側を見る(昭和33年)」と解説が添えられた白黒写真があり、右側に説明が記されています。

説明には、

「飲料水などの生活用水路として精進川から取水して豊平川へ注ぐ平岸用水堀が明治6年に造られていたが、稲作が盛んになると、この用水堀からさらに豊平、平岸、白石、上白石の各村へ注ぐ1号~4号用水路が豊平外三ヵ村聯合用水組合によって造られ、以後明治45年(1912)までに5号~15号用水路が造られた。この標示板がある通には1号用水路が流れていた。

用水路は用水組合によって共同管理され、修理は全村あげて一斉に行われ、その後の慰労会は4村組合員の交流の場となった。また物価が高いときは、田植え、草取りなどの賃金協定を行い、お互いの負担を軽くする役目も果たした。

昭和22年以降の農地改革で自作農が増え、用水はますます活用されたが、都市化が進むと水田耕作者が減り、昭和36年(1951)に聯合用水組合は解散した。」

と記されています。