「開田碑」。
2016.03.08 14:00
(あしあと その337・白石区の17・中央の2)
白石中央3条5丁目に、白生公園という運動公園があります。公園の西側に沿って、望月寒川という月寒川の支流となる川が流れていますが、その川に接した公園の敷地の一角に、「開田碑」が建てられています。
札幌軟石で組まれた台座の上に置かれた石碑の碑面には、大きく「開田碑」と刻まれ、その右側には「明治十四年起業共有水田地」と、左側には「昭和十五年十一月十日建之」とそれぞれ添えられています。
碑の背面には、おそらく碑が建立された謂れを刻んでいるものと思われますが、刻まれた文字は風化して読み取りにくくなっていますが、資料によると次のように刻まれているそうです。
「明治四年奥州白石藩士移住開村以来稲作ヲ試ミ苦心惨憺拮据奨励研究ヲ重ネ遂ニ成功シ同十四年共有水田ノ払下ゲヲ受ケ墾田シ同十六年登熟シ種籾七十俵ヲ得 是レ中部北海道稲作成功ノ元祖ナリ 爾来吾人之ヲ継承シ 益々研究開発シ 今日盛況ヲ呈スルニ至ル 其功績誠ニ偉大ナリトス 茲ニ往時ヲ追懐シ 転 感慨ニ堪ヘザルモノアリ 仍テ有志相図リ紀元二千六百年ノ好機ニ際シ碑ヲ建テ後世ニ伝フ」
台座の側面には、「建立者共有水田組合員」として、「組合長」、「副組合長」、「幹事」、「顧問」、「相談役」の役職にある方々の氏名が刻まれています。
白石には、旧仙台藩からの移住者が入植して開拓を行いましたが、寒冷な気候のため米作が思うように進みませんでした。そんな中、この白生公園周辺では、二十数戸の農家が共同して水田経営を行うことによってリスクを回避するという方法により、稲作を成功に導きました。