「北海道大学予科記念碑」。
(あしあと その405・北区の27・北海道大学の1)
北大の正門から構内に入ると、右手の敷地内に巨岩でできた碑が置かれているのが見えてきますが、これは「北海道大学予科記念碑」です。
巨大なかんらん岩で造られた碑の碑面には、大きな筆文字で「大志を抱いて」と刻まれています。
碑の背面には、
「北海道大学予科記念碑 二〇〇四年建立 かんらん岩(上部マントル) 日高・アポイ岳 記念碑建立期成会 会長 有江 幹男」
と刻まれ、その右側に予科の帽章である桜星章が刻印されています。
碑の前には説明板が立てられていて、それには
「北海道大学予科記念碑
北海道大学予科は、1907(明治40)年、札幌農学校が東北帝國大學農科大學に昇格したときにその大學豫科として発足。学年定員は100名。生徒は三年間の在学ののちに本科(農家大學)の各学科に進んだ。
札幌農学校の校章であった桜星章がひきつがれて豫科の帽章となる。翌年、校舎が現北大事務局の位置に落成した。
1918(大正7)年、北海道帝國大學の発足によりその豫科となる。第二次世界大戦後の1947(昭和22)年には帝國大學の呼称廃止により北海道大學豫科となり、新制大学の発足にともない、1950(昭和25)年に豫科は43年の歴史を閉じた。学年定員は1941(昭和16)年以降400名。閉校までに11100余名がここで学んだ。
この北海道大学予科記念碑は、札幌農学校からひきつがれた予科の伝統と足跡を記念し、あわせて北海道大学の大いなる発展を祈念して、かつての予科生と多くの有志の醵金によって建立された。
かんらん岩
アポイ岳はかんらん岩の山です。日高山脈の生成期に、地下数十キロメートル以上深部の上部マントルから地表まで押し上げられてできました。かんらん岩は上部マントルを構成する主要な岩石で、主にオリーブ色のかんらん石からなり、それに褐色の斜方輝石、濃緑色の単斜輝石、黒色のスピネルが含まれています。このかんらん岩には、かつて高温高圧の下にあった上部マントルの姿を、そのまま見ることができます。」
と記されています。