「清華亭」。
(あしあと その448・北区の45・北大周辺の7)
偕楽園緑地の北側に、札幌市指定有形文化財に指定されている「清華亭」が保存されています。建築は明治13年。札幌最初の都市公園として設置された偕楽園の施設として建てられ、翌年の明治天皇の北海道行幸の際に御小休所として利用されました。
建物は洋風の木造で、個人に払い下げられてからは料亭や貸家などに利用され、その後札幌市に寄贈されて市職員住宅などに使用されました。
正面玄関上部の破風飾りには、開拓使のマークである星形が彫られています。日差しがある時にはその影が壁に映り、とても美しく見えます。
間取りは、洋間と和室が一間ずつある和洋折衷で、昭和52年から53年にかけて復元工事が行われ、現在も当時の姿で開放されています。
敷地の出入り口付近には説明板が立てられており、小さな説明板には「室内の展示品」と題された建物内部の白黒写真が掲げられています。
大きな説明板には、文字が薄れて判読しにくい個所もありますが、次のように記されています。
「札幌市有形文化財 清華亭
清華亭は、この地域が偕楽園という公園であった明治13年に、貴賓の接待所として開拓使工業局の設計監理によって建てられました。その庭園は、和洋折衷の美しいものでした。翌14年、明治天皇の北海道行幸の際に御休息所となりました。
偕楽園は、明治4年に札幌最初の公園として開設されました。清華亭などの庭園造りをしたドイツ系アメリカ人、ルイス・ベーマーが園芸の指導にあたるなどして、園内には数百種類の植物が栽培され、北海道の産業振興の目的を担った農業試験場でもありました。
その後、規模を拡張して育種場と改め、博物場、温室、工業試験場などが付設されました。また、園一帯には清冽な湧き水がほとばしり、それらを水源とするシャクシコトニ川が流れていました。この川は「鮭の道」でもあり、鮭、鱒の孵化場も設けられました。
開拓使の時代が終る明治15年以降、各施設が移転されるなどして、偕楽園はその機能を失い、自然の杜へとかえって行き、清華亭も民間人の所有となり忘れ去られます。
しかし、清華亭周辺の自然は、子供たちが駆けめぐる天国となりました。葦や笹が生い茂り、ガケや谷地や斜面があり、せみ、クワガタがおり、青大将がでてきました。清流と大小の池にはフナ、八つ目鰻、ザリガニなどがすみ、アキアジものぼってきました。
昭和5年、建物は河野常吉氏の提唱で保存が図られ、同8年、札幌市に寄贈されました。
昭和36年6月7日、建物は北海道開拓の黎明期の歴史を象徴するものとして、また、開拓使の建築技術者が洋風建築に和風様式を導入した貴重な例として、札幌市有形文化財に指定されました。
そして、この地区にある「精華亭遊園」と「偕楽園緑地」に、かつての偕楽園の池地、御膳水の湧泉、子どもたちの水遊び場の証跡をとどめております。
札幌市」
建物内の各部屋は、展示室として開放されており、清華亭を中心とした開拓期の札幌を知ることができます。