「北海道暗渠排水施設発祥の地」。
2017.05.20 12:00
(あしあと その513・白石区の32・川下の1)
北13条北郷通と厚別川が交差する付近の閑静な住宅街の中に、個人住宅の敷地にひっそりと立てられている説明板があります。これは、「北海道暗渠排水施設発祥の地」を示すものです。
説明板の左側には、「昭和10年頃の暗渠排水施設造成工事」という説明書きのある白黒写真が掲げられ、その右側に次のように記されています。
「北海道暗渠排水施設発祥の地
明治26年、長野県有賀村から入植した中澤八太郎は、付近の地勢と厚別川の水利を見て、この地が必ず水田地帯になると確信しました。
しかし、泥炭地のため水が抜けず、身が没するほどの田んぼを前にして、排水施設の必要を痛感、故郷の桑畑で用いられていた通称「水道」と呼ばれる暗渠排水施設を思いたちました。
それは、水田の畦道に沿って、幅約40センチメートル、深さ約1メートルの深い溝を掘り、さらにその底に水の落ち口として、幅約15センチメートル、深さ約30センチメートルの細い溝を掘ったものでありました。
そして、水の落ち口となる細い溝の上に割り板と雑草で蓋をし、最後に土をかぶせたのです。
中澤八太郎は、明治28年から2年の歳月をかけ、約1ヘクタールの水田に、この暗渠排水を築いたのです。
彼の造った独特の暗渠排水は、この地を稲作地帯としたばかりでなく、広く全道に普及していきました。」
水抜きと呼ばれるこの暗渠施設は、肥沃な泥炭地の排水能力を高め、コメの収穫量を飛躍的に高めました。この説明板が立てられている中澤氏の子孫の住宅敷地内には、氏の功績を讃えた記念碑があるそうです。