論語読みの論語知らず【第51回】「速やかならんことを欲すなかれ」
永らく囲いの中で割合穏やかにかつ平和に生きてきたのに、それがあるとき突然取っ払われ、「弱肉強食」の掟が適用されたら当然ながら誰だって戸惑う。それでもとにかく生存していくためにアジャストしようと必死になり行動した。明治維新から日清・日露戦争を経ていく日本の近代史を見つめているとそんな感想を覚える。国際社会ではいろいろな思惑が行き交い利害がぶつかる。テーブルの上には理想主義的な上品な文言が並ぶ一方で、テーブルの下でそれを潰すべく蹴り合いをしている。そんな虚々実々の駆け引きのなかで日本は大いに戸惑った。弱者が生き抜くためには、強者と組まざる得ないときがあり、それがいわゆる同盟となる。もっとも強者からみて弱者と組むメリットがなければその同盟は成立しない。
日清・日露戦争はどちらも歴史小説の題材となりよく知られているが、その間には有名な日英同盟が締結されている。この同盟について文献をいろいろと読んでいると同盟とは何だろうとつい考えてしまう。明治維新当時、軍事的には極めて脆弱だった日本も時とともに力をつけて、1894年に始まった日清戦争で連戦連勝が続くと、当初清国に肩入れしていたイギリスは次第に日本寄りに変わってきた。その後、義和団の乱での日本軍の働きなどから親日論が高まりついに1902年に日英同盟へと至る。
もっとも、イギリスが日本と同盟した大きな理由は、それまで世界のいかなる場所でも海軍力の優勢を確保して、パックス・ブリタニカ(イギリスの力に守られた平和)を保ってきたイギリスも、ロシアが新型軍艦を次々と極東へと回航させて、東洋においてその勢力がロシアに抜かれてしまった。したがって、日本と組むのが得策という現実的な判断があった。この同盟のお陰もあって日本は日露戦争を継続し勝利のうちに終える部分があったことは否めない。
この日英同盟は利害が複雑に転変する度に3回にわたって更改された。最初はどこか他人行儀で「お互い敵対しないようにしましょう」、次はぐっと蜜月になり「お互い共に戦いましょう」、最後は互いに気持ちが冷めて「やっぱりもう少し距離を保ちましょう」となった。その後、1921年のワシントン会議が折となり同盟は解消された。
この同盟がまだ続いていた最中の1914年に第一次世界大戦が勃発した。そして、英米露仏などから欧州に日本陸軍を派兵することの要請を受けた(なお、欧州は日英同盟の本来適用範囲外)。日本は軍の「唯一ノ目的ハ国防ニ在ル」として、遠く欧州へと陸軍を派兵することを不可とした。(国内からも強い反対があった)それで派兵要請は再三にわたり続き、痺れを切らしたイギリスのバルフォア外相は「一体日本国民ハ日英同盟ノ範囲以外ニ於テハ何故戦闘ニ協力セズト言フ考ナリヤ」と非難がはじまり、後に英国議会を含め反日的な空気が醸成される。
最終的には日本軍は地中海に巡洋艦などを派遣して輸送船の護衛作戦などに従事はしたが、大規模な陸軍部隊などを欧州正面に派兵することはなかった。なお、この大戦は戦闘員900万人以上、非戦闘員700万以上が戦死・死亡した凄惨な戦争であった。戦後、ベルサイユ講和会議に「戦勝国」として参加した欧米からも冷たく扱われた。それでも国際連盟の常任理事国にはなるが、日本が提議した連盟規約の変更などは却下されている。この後、徐々に日本は孤立していくことになる。ところで、論語に次のような言葉がある。
「子夏 莒父(きょほ)の宰と為り、政(まつりごと) を問う。子曰く、速やかならんことを欲する無かれ。小利を見ること無かれ。速やかならんと欲すれば則ち達せず。小利を見れば、則ち大事成らず、と」(子路篇13-17)
【現代語訳】
子夏が莒父という地の長官となり(赴任に際して)政治の心構えをおたずねした。老先生はこう教えられた。「成果を急がないことだ、目前の小利を求めないことだ。速く成果をと思うと、(障害が現れ、目的に)到達しない。小利に目がくらむと、大きな仕事が完成しない」と(加地伸行訳)
子夏は孔子の弟子のなかでも「文学には、子游・子夏あり」と評されるくらいに知識が豊富であり、学者としては優秀であった。だが、為政者としての力量について孔子は危うく思っていたのかもしない。故に、このような説諭を残したのだろうか。
さて、歴史を考えることは簡単ではないと常に感じている。それが近現代史となればホットになりやすく、議論によってはときにまったく噛み合わない不毛なものにもなる。繰り返すが明治維新、突然囲いが取っ払われ、新たなルールが押し付けられた。そのなかで、何が政(まつりごと)で、何が小利で、何が大事なのか・・その時代を生きていた当事者たちは限られた時間軸のなかでそれを選んだ理由がある。そして、今を生きる者たちは、その時代の当事者たちの理由を天秤にかけて批評し次の選択に生かしていく義務もあるだろう。
日英同盟の下であっても日本は欧州へ派兵を拒絶した。もし仮に実現していたならばその後世界がどう変わったかなど軽々に想像はできない。ただ、同盟が国家の間で何かしらの意思と機能を共有するものでありながら、一方で、政(まつりごと)、小利、大事などのすべてを共有できるケースなどはまずもってないことはリアリティなのかもしれない。
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筆者:西田陽一
1976年、北海道生まれ。(株)陽雄代表取締役・戦略コンサルタント・作家。