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シューマン記念館(デュッセルドルフ)を訪れて③

2020.02.07 12:32

シューマン夫妻の子供達

 次はシューマン家の子供達のお話です。

 館長・ラブゼックさんにとって「子供達の存在は非常に興味深いもの」と言います。それはシューマン夫妻の作品、特にロベルトの作品には『子供達の様子が多彩に織り込まれている』ということ、また夫妻の規則正しい穏やかな生活ぶりが子供達の生活をいかに大切にしてきたのか、を物語っていること、そして子供達との生活の様子を現す数々のエピソードは、シューマン一家がここに存在していたことをリアル感じさせてくれることでもあるから、だそうです。

 館長・ラブゼックさんはとても身近なものとしてお話をしてくださいました。


 クララは10回ほど妊娠しましたが、そのうちの8回は無事出産を終えることができました。とは言っても、長男のエミールは1歳で他界。結果、夫妻は7人の子供を育てたのでした。


 クララは演奏活動は控えていたものの、自身の音楽家としての時間と、母親、妻としての生活を両立させるため、複数のベビーシッターと家政婦を雇っていました。中でもベビーシッター長であったベルタ・ボリンガーはクララの片腕となり、精力的に子育てに取り組みクララを支えたそうです。

 

 シューマン夫妻は非常に社交家でもあったので、この家には多くの知識人たちが集まり(童話作家アンデルセン、グリムなどもシュー マン夫妻を訪れたそう)、夫妻はデュッセルドルフの社交界の中心的存在でもありました。ですから、家政婦さん達の仕事は子育ての手伝いをするだけではなく、たくさんの訪問者を迎えるための準備や、社交の場への完璧な対応が求められたそうです。


 1855年に撮影されたこの子供達の写真の真ん中に抱かれている一番小さな赤ちゃんは、末息子のフェリックス。この写真が撮影されたのはロベルトはすでにライン川に身を投じ自殺未遂を図った後で、ロベルトはボン郊外のエンデニッヒの精神病院に入院していました。

 クララはロベルトが不在の中で育つ幼い末息子のフェリックスをロベルトに見せたいと思い、この写真をロベルトに届けたそうです。


 “フェリックス”。

 この名前は夫妻と親しく力になり続けてくれたメンデルスゾーン(メンデルスゾーンは自分の作品の出版のためにメンデルスゾーン 自身の弟の名“フェリックス”を借りて出版していたことがあるので、 メンデルスゾーン自身の名前ではないのですが)への感謝の意味を込めて、夫妻の末息子に付けた名前です。

 フェリックスはのちにヴァイオリン奏者になりました。また彼は詩の才能も見出されていたようで、ブラームス作曲の“我が恋は緑”などはこのフェリックスの詩による作品です。


写真の左からルードヴィック、長女のマリー、マリーに抱かれているのがフェリックス、マリーの後ろに立っているのが次女のエリーゼ、その手前の男の子がロベルトの精神疾患の一部が遺伝し発症してしまったと言われている)、その手前がオイゲニー、ほかにこの写真に写ってはいませんが三女のユリアがいました。


 「とても残念なことに!!...」と館長・ラブゼックさん。

「夫妻の子供達の中には偉大な音楽家になった子供はいなかったんです。長女のマリーと次女のエリ ーゼはピアニストとしてピアノに取 り組んでいたし、その時の様子をクララが書き記したものも残っていますが、クララのような有名な優秀なピアニストにはなりませんでした。フェリックスもかなりのヴァイオリンの腕前で演奏していましたが、ヴァイオリストとして活動したとは言えないですね。」とのことでした。

 今日のドイツの音楽教育は、情操教育のようなところがあり、慣れ親しむことに重きを置いています。音楽が、演奏するにしても、聴く側になるとしても楽しむものであることがとても大切なことです。

 私はクララのように英才教育を施されたピアニスト、練習のしすぎで手を壊したロベルトが、自身の子供に同じ境遇を望むのではなく、音楽本来の楽しみ方を備えた音楽教育を望んだのではないかと想像しました。

子供達が使っていたものと同じ遊具(使っていた遊具そのものではないけれど、同じ物だそうです)

 音楽家の方には作品の中に織り込まれた発想の元となった、こちらの遊具も興味深いのではないでしょうか。


 これらはシューマン家の子供達が当時使ってい たのと同じ時期に作製された子供用のおもちゃ、シュトッケン プフェルトと当時の女の子用の遊具です。

 このシュトッケン プフェルト。ドイツの小学校では今でもこの馬の頭のついた遊具が置いてあり、子供達は休み時間になるとこの遊具の取り合いをして遊ぶ、という昔ながらの遊具ですが、日本の小学生にはあまり見られないだろうこの姿を、私はついニンマリ、微笑ましく眺めてしまいます。

 ドイツ人の子供、特に女の子は馬好き、乗馬好きです。現在小学校で使われているものは、子供に怪我をさせないように車輪部分はないのですが、1800年代後半はこの車輪に乗っかって玉乗りにみたいに車輪を蹴って遊んだかもしれないね、と館長・ラブゼックさんは楽しそうに話していました。

 作品 Op 15“子供 の情景”の第9曲「木馬の騎士」では、まさにこの遊具で遊んだ様子が表現されています。館長・ラブゼックさんは「この木馬に乗っている様子を知らなければ、 あの曲の面白さは想像しきれないし、伝わり切らない」と言います。

 

 この日私は9歳の娘をお供に来館したのですが、ラブゼックさんは作品の演奏でその様子がわかるように、音源を用意してくださり、実際に記念館のこの一室で、作品を紹介してくださいました。

 演奏はまさにこのシュトッケン プフェルトの車輪と、その車輪を蹴る子供の様子が表現されているようで、一定になりにくいリズムと、今にも落ちそうになりながら走る様子が、想像しやすく展開されています。

 娘も館長・ラブゼックさんの語るエピソードとおもちゃの様子、音楽が流れる中での解説がとてもわかりやすく、あっという間に曲に引き込まれ興味を深め、すっかりシューマンファンになったようでした。