「郷土愛育」碑と副碑。
(あしあと その705・東区の25・丘珠の4)
丘珠にある札幌飛行場の南側の住宅街に栄ヶ丘会館という地区会館があり、その敷地の一角に巨大な自然石でできた石碑が置かれています。
石碑には「郷土愛育」と刻まれ、その下に「札幌市長板垣武四書」と添えられています。
碑に向かって右側には、赤色の御影石でできた副碑が建てられており、L字型に配置された副碑の側面には、「役員名」として「理事長」以下14人の氏名が刻まれています。
副碑の正面側には、
「事業完成記念碑
この地一帶は、もと「オクカイタムチヤラパ」といい、男が刀を落とした処を意味した川の名であると伝えられる。明治三年先人たちが太古の夢を秘める原始林に開拓の斧を入れて以来、度重なる凶作と幾多の苦難に耐えて肥沃な土地とし、長年に亘り玉葱の栽培に工夫改良を重ね、札幌玉葱としてその名を全国に広めた由緒ある土地柄である。しかるに札幌市の急激な発展と宅地の受給不均衡改善の要望に応えるべく有志相諮り先人の初心を顧りみ、且つ新らたな観点からこの地の将来像を描き、万難を排して組合を設立、関係当局の適切な指導の下、組合員一同「和」の精神を持して事業を推進し「住みよく明るく美しい街づくり」の基礎を完了した。
ここに区画整理事業の完成に当り札幌市市長板垣武四殿の揮毫により記念碑を建立す。
昭和五十七年九月吉日
組合設立認可 昭和五十三年一月五日 組合員 六十七名 総面積 一六.・四ヘクタール 総事業費 七億三千萬円 札幌市栄ヶ丘第一土地改良区画整理組合」
と刻まれています。
このちいきは、かつては丘珠烈々布(れつれっぷ)と呼ばれた地域に当りますが、上記の副碑の説明に記された地名の由来となる「オクカイタムチヤラパ」の「オクカイタム」から、「丘珠」と名付けられたとされています。ちなみに、明治3年に山形県人が入植した当時は、この年が庚午の年に当たっていたことから、「庚午ニの村」と呼ばれていました。