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「屯田兵もやい井戸跡」。

2019.05.17 13:30

(あしあと その756・北区の71・新琴似神社の16)

新琴似神社の境内の奥に、本殿と並んで新琴似屯田兵中隊本部の建物が保存されています。建物は創建された当時の姿に復元されたものですが、中に入ると屯田兵に関する資料室となっています。

当直室という看板が掲げられた狭い部屋の中には、開拓にあたって使用された各種の道具に囲まれて、木製の大きな桶のような形状をした物が置かれています。

その前に説明板が立てられていて、そこには

「もやい井戸 屯田兵の井戸

明治19年に新琴似屯田兵村が建設された時、4戸ごとに作られた井戸です。直径約90㎝高さ約70㎝の桶を地中半分まで埋め、桶の底から水源までは竹筒が使われました。水源までは、深さが30㎝近くもあったそうです。

もやいとは、共同という意味です。井戸のそばには風呂も作られました。」

と記され、復元したイラストも掲載されています。

中隊本部の建物の前には、北区によって立てられた説明板もあり、そこには

「屯田兵もやい井戸跡

明治20年(1887年)新琴似に九州出身を中心とする屯田兵146戸が入植。その生活を支えた井戸は4戸の共同使用で、風呂が併設されていた。「もやい」とは「共同」の意味。

この井戸は水脈までモウソウ竹を打ち込んだもので、水が30センチほど自噴していた。

丈の長さは約30メートル、継ぎ目にはコンブが巻かれていたと言われている。」

と記されています。

以前、区の説明板は個人住宅の敷地の一角に建てられていて、その場所にもやい井戸があったものと思われます。現在は当時のもやい井戸の一部と共に中隊本部に移設されているので、その場所は判然としません。