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Da vicino nessuno è normale.

MONDOCANE【メロギア】

2020.02.07 13:50

第一部 生物と無生物のあいだ

「成功した遺伝子に期待される特質のうちで

もっとも重要なのは非情な利己主義である。」

                           リチャード・ドーキンス



風はおもいのままに吹く

・1997年7月5日 摂氏25.6度 湿度53% 晴れ

四月に蒔いたダリアの蕾が膨らんでいる。

 透ける花弁の色はオレンジ、マゼンタ。チョコレート色の花は咲いていない。どうやら種が腐ってしまって芽吹かなかったようだ。近頃はいよいよ陽射しが強くなってきたので、遮光ネットの購入を検討する。

・1997年7月6日 摂氏23.8度 湿度82% くもりのち俄雨

 マツリカの花が満開になる。雨上がりの夕方には素晴らしい芳香がする。冬に剪定した甲斐があった。仕事は丁寧にするに越したことはない。傷んだ花は切って風呂にでも入れよう。ギアッチョが気にいると良いが。

・1997年7月9日 摂氏28.1度 湿度55% 晴れ

 イルーゾォに水遣りを頼んだのが失敗だった!そこら中水溜りになっていて、これでは折角の花が根腐れしてしまう。リーダーかホルマジオに頼むべきだった。几帳面さを評価するなら、ギアッチョの方がまだマシだ。このフラットの屋上は兎に角水捌けが悪過ぎる。繊維強化プラスチックが貼れれば良いが、そんな経費をリーダーが許す訳がないな。

§

「オメェはよくよく分からねえ人間だな。人殺しの癖に植物には愛着があるのか。」

 アジトのソファで煙草を咥えながら、プロシュートはメローネのノートをパラパラと眺めていた。ダークブルーの万年筆で方眼ノートにみっしりと書かれていたのは、多様な植物の成長記録。メローネはアジトの屋上に私的な庭を拵えており、その世話に多大な労力を払っていたのだ。

 プロシュートはノートをテーブルに放り投げると、目の前でキーボードを打ち込んでいるストロベリーブロンドの少年を一瞥する。メローネは眉ひとつ動かさず、冷たい眼差しでモニタを見つめながら薄い唇を開いた。

「プロシュート、花の命は短いんだ。花は俺たちが生命を奪わずとも、風に吹かれれば終わるもの。その儚さを大切に思う事は、そんなに可笑しな事だろうか?俺は今を愛してるんだよ。」

「お前のそういうところが、分からねえって言ってんだよ。」

「ホントは分かってる癖に。」

 プロシュートは煙を濛々と吐き出しながら、ソファに凭れて天井を見上げる。この少年が心に持っている天秤は、とっくの昔に壊れている。今更油を挿しても螺子を巻いても、決してなおることはないだろう。だからと言って、不幸であるとは限らないのが人間なのだ。



破壊衝動

 物が壊れる瞬間は、心も傷つくような気がする。形あるものはいずれ必ず壊れるものだ。いつも使っていたマグカップ、遮光ガラスの薬瓶。アッと思った次の瞬間に、些細なきっかけでばらばらに砕け散っていく。一度壊れてしまった物は、もう二度と元の姿には戻らない。幼い頃に破裂した自分の眼球と同じように、後には空虚な感覚だけが残される。自分の目を潰した母親を殺したとしても、空っぽの眼窩にガラス製の目玉を押し込んだとしても、やはりこの目は二度と光を感知しない。

 壊れたら、それでおしまい。

§

「だからさギアッチョ、大切なものほど、壊れる前に壊しておこうと思った訳。一度スタンドを使っておけば、こいつは二度と壊れないんだ。衝撃を受けた瞬間に分解され、そして再構成される。もっとも、燃焼には敵わないが。」

「ハァ?何の話だ。」

 ベイビィフェイスでモトグッツィをバラバラに変形させている最中、親友は眉間に皺を寄せるばかりだ。ギアッチョの反応は予想通り。「本当に欲しいものなら奪ってでも手に入れる。」と豪語する親友は、大切な物は何を差し置いても守り抜こうとする。自分のように、考え方が屈折していないのだ。

―親友のそういう真っ直ぐな輝きが、時々眩しくて堪らない。

(本当はさギアッチョ。お前の事も、壊しておきたい位なんだよ。)



MONDO CANE

 

 澄み切った空、輝く海。ネアポリスの港は今日も黙々と働いている。133万6000平方メートルに及ぶ広大な敷地の内、コンテナターミナルはその約一割、13万平方メートルを占めている。延々と広がる鉄の箱の山。燻んだ色合いのコンテナは、毎日途方も無い数が港へと運び込まれ、そして出て行く。欧州へ、米国へ、極東アジアへ。積荷の種類は多岐に渡る。メイドインイタリーの札を縫われた高級衣類の紛い物、セッティングの甘い750CCバイク、一万体のプラスチック製の人形、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ。

 積荷の六割は税関をすり抜け、五万件の受け渡し証は偽造である。18世紀の文筆家がその景観を褒めたたえたネアポリス港は、遠目から見れば現在においても間違いなく美しい港だ。だが近づいて見れば、労働者の誰もが裏の世界を意識せずにはいられない。

 ガントリークレーンがひとつのコンテナを吊る。青い空の中を、赤茶けたコンテナが高く高く昇っていく。運転手は慎重にハンドルを操作して、それを貨物船に載せなければならない。風を読み、重さを理解して均衡を取る。毎日の仕事。何年も繰り返された動作。だがリールの回転が止まり、コンテナが空中で静止した瞬間、その場にいる人々の目を疑うような事態が起きる。コンテナはバラバラと賽の目状に分解し、あっという間に姿を消す。代わりに空から落ちてきたのは、何十人分もの死体である。それも、凍った人間の。

 その惨劇に、ある者は口を開けて立ち竦み、ある者は掌で顔を覆い、ある者は縺れる脚を叱咤して走った。凍った死体は港のアスファルトに落ちると、玩具の様に割れて崩れた。強い日差しで表面が溶けると、まるで市場に捨て置かれた売れ残りの魚の様に、死体からは薄く染まった液体が滲み出す。

 誰もがそれを、制裁なのだと理解した。このメッセージを受け取る者が一体何者なのか、それは労働者達には一切関係の無いことだ。ただ、誰もがこの恐ろしい所業を、制裁なのだと認識した。それが最も、重要なことだった。

§

「なかなか壮観だね。」

「ケッ、面倒な仕事だったぜ。」

 メローネとギアッチョは、港の様子を少し離れたところから眺めていた。片手に双眼鏡を、もう片方の手にロールピッツァを持って、路肩に停めたオープンカーの中から自分達の仕事を確認していたのだ。海岸線沿いの道には穏やかな潮風が吹いている。今日は絶好のピクニック日和だ。

「まあでも中々、乙じゃあないか?無機物が有機物の死体に変わるんだ。命の無いものから命を失ったものが現れる。おもしろいと思うね。」

「ハァ?また良く分からねえことを言うな。」

 シーフードピッツァの砂っぽい浅利を齧りながら、ギアッチョは砕け散った死体をレンズ越しに覗く。この所業は低俗なヤラセを仕込んだドキュメンタリー映画のそれと同じ、手の込んだ嫌らしい演出に他ならない。人間の残虐性を強調し、憎しみと恐怖とを際限なく増長する。そして、支配する者と支配される者との間にある溝を、これ以上ない程明瞭に際立たせる。まったく、命だって?ネアポリスでは金の方が、命よりもずっと価値が高いのだ。それ以上の理屈など、理解したって意味がない。だがその時ギアッチョは、親友の言葉にひとつの疑問を抱く。命があるもの、命がないもの。そして、そのあいだにあるもの。

「なあメローネ、お前のスタンドって、セーブツってことでいいの。」

「エ?」

「だってよォ、女を受胎させてベイビィを生み出すんだろ?子供を作れるのは生き物だけだろうが。でもスタンドっつうのは精神エネルギーの具現化したものなんだよな?つうことはやっぱり生物じゃあ無いのか?」

 メローネは双眼鏡から目を離すと、親友の横顔を眺める。眼鏡のフレームと同じ色の双眼鏡、ツンと尖った鼻先と控えめな鼻梁、その下では存外に小さな口がロールピッツァを一生懸命に食んでいる。

「意外だな。そんなにも俺のスタンドに興味を持ってくれているとは。」

「ア〜?良いから教えろよ。どっちなんだ?」

 それはかなりの難問だ。人間は未だに生物の定義を確立させてはいないのだから。メローネは油に濡れた唇を舐め、食べ終わったロールピッツァの包装紙を車の外に放ると、ダッシュボードからメンソールの煙草を一本取り出した。こちらは今のところ風下だ。食後の一服くらいは許されるだろう。

「ギアッチョ、残念ながら生物の定義はまだ確立されていないんだ。だがまあ、多くの科学者の意見を大雑把に捉えると、外から栄養を摂取して代謝し、自己を複製し、環境に適応しながら成長していく、そういう高度な秩序のことを、人は生命と呼んでいる。」

「ん。で、オメーはどう思ってんの。」

「ハ?」

「お前がどう思ってるのかが一番大事だろォが、こういうことはよォ〜。」

 多分、自分はギアッチョのこういう態度を好んでいる。メローネはメンソールの息を吐きながら、仕事のたびにデリートしてきたベイビィたちのことを考える。母親を殺し、父親を探し、始末するだけに生まれたベイビィたち。自分の分身。複製と言ってもいい。自分とベイビィとの違いはと言えば、自分は結局、未だに父親を探すことが出来ていないという点だ。その意味で、ベイビィ達は自分よりもずっと優秀なのだった。

「俺は……多分、生き物だと思う。」

「ン、俺もそうだと思う。そもそもベイビィはオメーの一部であり、同時に全部でもあるからな。」

 メローネは親友のふわふわした巻き毛が風で揺れるのを眺めながら、『科学者なんて大嘘吐きだ!』と思う。

“成功した遺伝子に期待される特質のうちで、もっとも重要なのは非情な利己主義である。普遍的な愛や種全体の繁栄などというものは、自然淘汰と進化の過程においては殆ど意味がない。”

 ストリートという厳しい環境において強さ故に生き残ったギアッチョは、本来ならば誰よりも利己的であるべきだ。勿論科学者は、何事にも例外はあるのだと言うのだろうし、利己的遺伝子は、個のレベルにおいては利他的行動の要因になりうるのだ、と言うのだろうが。

(俺がどう答えようと、それを受け入れるつもりだったんだろ。)

 親友は、強くて、残酷で、同時に優しい。

 凡ゆる命を否定する氷の世界に生きている癖に、その中にはあたたかく柔らかな魂を抱えている。手の込んだ演出などなくとも、メローネにはそれが見たまま分かるのだ。



永訣の日


 灰色の瞳を瞬かせながら、メローネはアジトの洗面台に血を流していた。自分の血でもターゲットの血でもない。アジトにストックされている、盗品の輸血用血液製剤を廃棄しているのだ。

 陶器の白い洗面台は黒ずんでいて、イルーゾォが出入りする鏡はひび割れている。緑がかった蛍光灯は切れかけていて、時々クリック音を鳴らして自らの寿命を告げている。

「一週間だ。」

「何が?」

 背後から一緒に洗面台を覗き込んでいるギアッチョは、特に知りたいと思わぬことでも、メローネの為なら適切に会話を続ける用意がある。

「この、輸血用血液製剤の寿命。正しく保存されれば三週間は持つ。けれどもウチでは冷蔵庫で保存しているだけだから、一週間で溶血し、使い物にならなくなる。」

「イルーゾォがキレる訳だ。いつも何処かに血だの薬だのを盗みに入ってるんだからな。」

「どこかの誰かさんが怪我ばかりするからだろ。」

「うるせえなァ〜。」

 廃棄した血液製剤は1200ml。わずかに黒ずみ透明度を増したそれは、既に命を失っている。

「古代南米の人々は、生贄を殺し、その血の流れによって未来を占ったそうだ。」

「へえ。ならこれはどうなんだ、メローネ。」

 メローネの灰色の瞳は、洗面台を染め上げた血が蛍光灯の明かりを浴びて、光りながらゆっくりと渦を巻いていく様をじっと眺めている。

「ギアッチョ、未来なんて占う必要が無いんだ。俺は毎朝、今日こそが永訣の日なんだと、そう思っているんだならな。」


氷のナイフ

 ガラスを擦り合わせるような、高く透明な音がアジトの中に響いている。時間が経つにつれて肌の表面温度は下がり、身体中の産毛がぞわりと逆立つ。息をするたびに肺の奥へと刺し込まれる冷気。ホワイトアルバムは、絶対零度をいとも容易く実現する。原子運動を停止させ、あらゆる生命を否定する。

 しかし命を削るその冷気は、どういうわけか世界を澄み渡らせる。親友に殺される人間は、これほど美しい世界の中で死ぬ事ができるのだ。

「できたぜ。」

「すごいな。」

 ギアッチョがメローネに差し出したのは、氷のナイフだった。メローネは両の掌で氷のナイフを受け取ると、それを左右に傾けて光を当てる。気泡の無い、どこまでも澄み切った氷。氷柱に良く似てはいるが、扁平なそれには鋭い刃がある。テーブルの林檎にナイフの刃を軽く当てると、その鋭さ故に、力を入れずとも刃は降りる。林檎は鮮やかな香気を立てながら身を晒し、あっさりと二つに割れた。

「コイツで人を殺したら、証拠は何も残らない。凶器は水に戻るだけだからな。」

「ああ、でも勿体無いな。」

「何が?」

「こんなに綺麗なナイフが朝になれば消えちまうだなんて。なんだか魔法みたいだ。」

「馬鹿言ってんじゃあねえよ。」

 そう言いながら、ギアッチョの目は笑っている。メローネは手元に視線を落とすと、美しい氷のナイフの刃先に触れる。ぷつりと切れる皮膚。

 メローネは自身の指先から滲む血を眺めながら、ギアッチョが氷のナイフを使う姿を想像する。バネのついた脚が助走の後に跳ね上げられ、弧を描いて標的の鳩尾に吸い込まれる。脳震盪を起こした標的は、成す術もなく氷のナイフで喉笛を掻っ切られるのだ。命は、一瞬で終わりを告げる。―なんて優雅な野獣だろう。

(……お前に殺される奴は幸せ者だな。)




雪の朝


―雪が降っている。

 早朝の青い光を浴びたネアポリスの街並みは、ただ静かに細雪を受け止めている。粉砂糖の様な雪は歪んだ窓枠の外に積もりつつあり、世界が完全に目覚める頃には、街は雪の底に沈んでしまうに違いなかった。

フラットの窓の結露を手で拭ったメローネは、隣に寝ている親友の肩を軽く揺すった。

「ギアッチョ、雪だ。雪が降ってる。」

「ンン〜……?」

 ネアポリスでは雪が積もることは珍しい。メローネがこれほどの雪を見たのは、十年前に一度きりだ。

「ディモールト、綺麗だ。外へ出よう、ギアッチョ。」

 もぞもぞとシーツから身体を起こしたギアッチョは、眉を顰めた不機嫌な表情のまま窓の外に目を向けた。

「……ホワイトアルバム。」

「エ?」

 次の瞬間、ベッドルームには雪が降った。割れたガラスが弾け飛ぶ様に、天井から微細な氷の粒が降ってきたのだ。

「そんなに雪が嬉しいなら幾らでも降らせてやるよ。だから今日はまだ寝かせろ。」

 シーツの中に戻っていったギアッチョの髪に、六角形の清冽な結晶がいくつも降りる。

「ハハッ!ギアッチョ、お前って本当に最高な奴だな!」

 メローネはすっかり冷え切った自身の身体を毛布で包むと、親友の熱い身体に寄り添った。ただの無防備な人間として、もう少しだけ眠っていよう。目が覚めたなら、二人は殺し屋として世界に足を踏み出さなければならないのだ。




箱庭


「引越しをする。」

 チームのメンバーが増えて、いよいよアジトも手狭になった頃合いだった。アジトの移転に意義を唱える者は無かった。だがリゾットがアジトの引越しを皆に提案した時、ギアッチョの頭にはひとつの疑問が浮かんだ。なあ、メローネの庭はどうするんだ?

§

「どうもしないよ。」

「エ?」

「だって、次のアジトは屋上が使えないんだ。庭は置いていくよ。そのうち勝手に枯れるだろうし、大家が適当に捨てるだろ。」

「それでいいのか?」

「ウン。」

 自室のベッドに寝ころんで分厚い写真集を捲っているメローネは、至って淡白な様子だった。シャワーから出たギアッチョは、下着姿で髪をタオルでかき混ぜながら、これは一体どうしたことかと思いを巡らせる。

 匂い立つ白いマツリカ、鮮やかで傷みやすいダリア、毒々しい花弁を揺らすアネモネ、モヒートを作る度に摘み取ったミント。朽ちてボロボロになったコンクリートの上に、メローネは極めて豊かな庭を実現していた。

そこまで思い出したところで、ギアッチョは自分が随分植物の名前に詳しくなっていたことに気が付いた。甲斐甲斐しく庭の世話をするメローネに付き添っているうち、ギアッチョにはごく自然に知識が染み込んでいたのだ。

「オメエがいいならいいけどよ、俺は。」

 ギアッチョはベッドに乗り上げメローネの隣に寝転がると、親友の見ている写真集を覗く。A1版で大写しになっているのは、高度に構図化された花々のモノクロ写真である。アップにされたチューリップの束、垂れ下がる一輪のカラーリリー、モダンなシルエットの花器に挿された蘭の花。ギアッチョはページを捲った。

「なんだこれは。」

「ロバート・メイプルソープの写真集だよ。美しいだろ。」

 次の見開きは花の写真ではなかった。そこにあったのは、尿道に指先を差し込まれた男性器と、ディルドを突っ込まれた男性の臀部の写真である。

「美しい?」

「ああ、見なよ、この構図。さっきの花と同じだろう。ペニスも花のおしべも、その役割は何も変わらない。だったら性器を写真におさめて、一体何が悪いんだ?」

 ぱちぱちと長い睫毛が羽ばたいて、冷たい視線が真っ直ぐに写真へと落ちる。花を見る時も人を見る時も、メローネの瞳の色は変わらない。灰色の眼で静かに儚いものを感じとり、それを慈しみ、そしてあっさりと捨てたりする。大体、花であれ人であれ、メローネの能力の前では一瞬で物に変わってしまうのだ。メローネが魂の中に持っている天秤では、命があるものと命が無いものの区別がつくだけである。

§

 メローネはプロシュートと連れ立ってフランスへと仕事に行き、アジトの引越しはその間に行われた。リトル・フィートで小さくした家具を、マンインザミラーを通して新しいアジトへと運ぶ。作業自体にさしたる時間はかからず、古いアジトはあっさりと打ち捨てられた。

 いずれ大家は家賃が振り込まれないことに気がついて、鉄のドアを苛々しながらノックする。ドアノブを捻れば鍵は開いており、伽藍堂の空間を唖然としながら眺めるのだろう。生活の気配は既に無く、ただ屋上の枯草だけに時の経過を知ることになるのだ。

「前のフラットより新しいな。ワンフロア全部借りたんで、部屋も人数分あるらしいぜ。」

「フーン。」

 メローネとプロシュートは新しいアジトへと帰った。ドアの向こうからは賑々しい声が漏れており、引越し祝いと称して酒をしこたま飲んでいるであろうメンバーの顔が思い浮かぶ。プロシュートは、いつものように思い切りドアを蹴り開いた。

「帰ったぞお前ら!」

「おう、お帰り。リゾットの部屋は一番奥だ。お待ちかねだぜ。」

 プロシュートが報告の為にリゾットの部屋へと去っていくのを見届けると、メローネは酒盛り中のメンバーの間に割り入ってギアッチョの隣に腰掛けた。慣れ親しんだ草臥れたソファーも、置かれる場所が変われば違って見えるから不思議なものだ。

「メローネ、これ、やる。」

 珍しく酒を飲んでいるギアッチョは、アルコールの所為で耳たぶまで赤く染まっている。親友から差し出されたのは、ひとつのインスタントカメラだった。観光客がよく持っている、黒いプラスチック製のフィルムカメラ。

「これ、どうしたの?」

「庭の写真を撮ったんだ。もう前のアジトには行かないだろ。植物は全部写真におさめたつもりだが、万が一抜けていても勘弁してくれ。大体、写真は初めて撮ったんだ。」

 メローネの瞳が、驚きの為に大きく見開かれる。花を見る時とも、人を眺める時とも違う瞳の輝き。灰色の瞳に、頬を赤く染めた親友の顔が映り込む。

「ギアッチョ!アンタって本当、ディモールト最高だッ!」


第二部 健康で文化的な最低限度の生活

「もしナポリ人が、

神と悪魔との間に挟まれていることを感じないなら

確かに彼らは一種特別な人種に違いない。」

                     ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ


Paint it Red


 寝食を忘れて一心不乱にキーボードを叩いていたと思ったら、数時間続けて絵を描いたりもする。ギアッチョにとってメローネは、いかにも不思議な少年だった。一日違いでチーム入りした自分たちは、どうやら同世代であるとみた。だがギアッチョが慣れ親しんだストリートには、こういうタイプの人間は一人としていなかったのだ。今日もメローネはアジトの居間にある机に向かい、黙々と鉛筆を走らせていた。ギアッチョは、邪魔せぬように静かに向かいのソファに腰かける。

「なあ、何の絵を描いてんだ。」

 声をかけると、滑らかに動いていた鉛筆がピタリと止まった。その代わりにブロンドとマゼンタの斑色をした髪の毛が揺れ、色素の薄い灰色の瞳がギアッチョを見つめる。

「ああ、ベイビィの教育用に絵本を描いてるんだ。これはオオフウチョウと言ってね、極楽鳥の一種だよ。主にパプアニューギニアに分布していて、16世紀にマゼランが標本を持ち帰った時には、欧州ではエデンの鳥と呼ばれてもて囃された。雄は求愛のダンスを踊るんだ。教育にピッタリだろう。」

「ん……よくわからんが、お前、絵が滅茶苦茶うめえな。俺にはそういう才能ねえからよ。」

「そ?嬉しい。ありがと。」

 メローネは目を細めて一瞬だけギアッチョに笑いかけると、またすぐ作業に没頭していく。繊細な長い尾が特徴の熱帯の鳥は、緻密な画風によってその全容を現しつつあった。

ギアッチョは絵の完成を見届けることはせず、静かに立ち上がるとメローネを置いて部屋を出る。メローネはスタンドのために、仕事のために努力しているのだ。ならば自分も鍛錬せねば。

§

「ギアッチョ、お前の靴のエッジ、人を切るのに向いてるな。身体の部位を削ぐってのは、最も簡単な拷問の方法だ。ちょっとやってみろ。」

 リゾットは標的の口に差し込んだ漏斗にガソリンを流し込みながら、背後に立つギアッチョに声を掛けた。今日は久方ぶりに拷問を要する仕事であったので、ギアッチョはメローネと一緒にリゾットの仕事を見学していたのだ。椅子に縛り付けられた標的は、むせ返って身体を戦慄かせている。

「ん、こういうことか?」

 ギアッチョは標的の右側に立つと、思い切り脚を振り上げる。鋭い風切り音と共に、標的の左耳はすっぱりと切れて吹き飛んだ。廃倉庫のコンクリートの壁に、勢いよく血飛沫が掛かる。リゾットの仕事を大人しく見ていたメローネは、その様を見て急に興奮したらしい。今まで聞いたことのないほどの大きな歓声がメローネから上がる。

「カッコいいな!まるでジャクソン・ポロックの絵みたいだ!」

「ハ?」

「ドリッピング技法だよ!ギアッチョ、絵心があるじゃあないか!もう一回やって見せてくれ!」

 全く、このメローネという少年の考えることは分からない。だが彼の楽しそうな顔を見るのは、悪くはない気分なのだ。ギアッチョにはこれまで、仲間と呼べる人間はただの一人としていなかった。だがチームに入ってからは確かに帰る家ができ、同世代の仲間もできた。ギアッチョはもう一度脚を振り上げた。標的の右耳が側頭部の皮と一緒に吹き飛び、壁に新たな絵が描かれる。

「ン、なんだ……絵なら俺も描けるぞ。」

 それを見ていたリゾットが呟くと、標的の痩せた頬から四本の釘が飛び出した。標的の悲鳴が響く中、釘はそれぞれゆっくりと皮膚を切り裂き、滑らかな曲線を描いていく。

「ワアッ!可愛いな!」

「おもしれェッ!」

 リゾットが描いたのは、スマイリー・フェイスだった。目からも口からも血を垂れ流し、ニッコリとした優しい表情を向ける、可愛らしい笑顔のマーク。

「もっと見せてよ、リーダー!」

「仕事が終わったらな。」

「ヤッタな!」

 ギアッチョはメローネと、ごく自然にハイタッチをした。なんて楽しいチームだろう。

―これから毎日、きっと素晴らしい日が続くに違いない。




レコードを聴こう!


 馴染みの古本屋から届いたインゼル文庫の油紙を解いていたメローネは、フラットの廊下から聞こえる足音に気がついて顔を上げた。ギアッチョの足音ならば、いつ何時でも分かるのだ。

「入るぞメローネ!」

「もう入ってるだろ?」

 フラットのドアを勢いよく開けたギアッチョは、いつも通りの顰めっ面である。だがメローネから見たその表情は、どこか機嫌が良さそうだった。メローネはギアッチョの腕に抱えられている箱型の機械に目を留める。フライヤーよりも大きなサイズの、木とアクリルで出来た物々しい箱。

「ンン?なんだこれ、レコードプレイヤー?」

「よく知らんが下に捨ててあったぜ。音楽が聴けるんだろ、これ。」

 記憶によれば、下の階の住人は一昨日このフラットを出て行ったのだ。メローネは去って行った住人の顔を思い出す。細面を薬物中毒ならではの青白い顔に染めた、ミュージシャン崩れの青年。今頃リップスティックもギターも注射器と一緒に捨てられて、施設で白い拘束着でも着ているのだろう。

 メローネはギアッチョからレコードプレイヤーを受け取ると、針を覗いたり台盤を取り上げたりしてみる。

「ン、みたところ、ゴムが切れているくらいだな。すぐに直せる。だがギアッチョ、プレーヤーだけじゃあ音楽は聴けないんだぜ。フォノイコライザのあるアンプが必要だ。それから勿論、スピーカーも。」

「よく分からねえけどよ、それじゃあ、そいつらを入手しなくてはな。」

 普段、親友の関心は肉体の鍛錬と車とに注がれているから、ギアッチョが自ら何かをしたがる事は珍しい。メローネは親友の関心を惹いたらしいレコードプレイヤーの蓋をそっと撫でる。

「よし、それじゃあ早速準備に取り掛かろう、ギアッチョ。」

「そうこなくてはな、メローネ。」

§

「そういうわけだイルーゾォ。」

「待て待て待て。」

 何かを盗むという事に関して、イルーゾォのマンインザミラーほど便利なスタンドは存在しない。少なくともメローネはそう思っている。生活の中に溢れた鏡という出入り口から、イルーゾォはあらゆるものを盗みだす。暗殺の仕事について言えば、盗み出すのが命であるというだけのことだ。

 メローネとギアッチョはアジトでイルーゾォを捕まえると、その両脇を抱えてソファに抑えつけ、家電量販店から必要な機材を盗んでくれるように頼んだのだった。

「スピーカーと、それからフォノイコライザのあるアンプだよ。勿論、銅線もね。」

「それ、俺一人に運べっていうのか?大体タダで働くわけねえだろうがッ!」

 気位の高いイルーゾォを動かすにはそれなりの工夫が必要である。だがメローネは、その点において準備を怠らない男だった。メローネはニタリと笑うとイルーゾォの胸に頭を擦り寄せる。

「なるほど、人足については勿論俺たちが働こう。報酬については、そうだな……イルーゾォ、この間殺したカモッラの幹部から、リゾットに申告せずに金を抜いただろ。かなり小遣い稼ぎが出来たはずだよなァ〜?」

「ハ、何のことだよ……。」

「俺、会計帳簿を調べるのは得意なんだ。表裏合わせてね。辻褄を合わせるなら金庫と表裏の帳簿、全部合わせなきゃあ意味ないぜ〜?俺みたいに趣味で数字を追いかける奴がいるんだからさァ。リゾットに言ったらどうなるかな。リゾットが許してくれても、ソルベが許すかな?」

 イルーゾォはメローネの邪悪な笑みを見るなり、盛大に舌を打った。金が絡んだ時のソルベは厄介だ。この物騒な若者達よりもずっと。イルーゾォはつい他人の口癖を口走る。

「あァッ!しょうがねェなァ〜ッ!」

§

「な、そういう訳だからよ、ホルマジオ。お前の出番だぜ?」

「待て待て待て待て。」

 自宅で猫を撫でていたホルマジオは、思わずリビングの鏡を振り返った。鏡の中から半身を出しているイルーゾォは、怠そうに欠伸をしながらその枠に身体を預けている。

「だってよ、運ぶの怠いだろ?リトル・フィートでちょいと傷付けてくれりゃあ、アンプだろうがスピーカーだろうが、軽く運べるじゃあねえか。良いオーディオほど木材が重たいんだ。オメーの能力は本当にくだらねえ能力だが、便利に使ってやるって言ってんだぜ?働けよ。」

「上から目線過ぎるだろ〜。大体俺になんのメリットがあるんだ?言ってみろ。」

 ホルマジオがそう言って鏡に向けて猫を放ると、イルーゾォは不敵に笑って猫を避けた。

「ンン〜?ホルマジオ、メローネから聞いたぜ〜?お前、クラブで知り合った女を妊娠させたってなァ〜。逃げ回ってんだろ?ここの住所、女に教えてやっても良いんだぜ?」

「ハ……、」

 ホルマジオの背すじを悪寒が走る。艶やかなブルネットが自慢の女の鋭い目つきを思い出し、ホルマジオは思わず小さくかぶりを振った。

「殺しちまえばてっとり早いのによ、お前もよくよく甘いよなァ。自分の子供かどうかなんて分からねえだろ?あ、俺が始末してやろうか?」

「やめろ!」

自分でも驚くほどに大きな声が出て、ばつが悪くなったホルマジオは坊主頭を掻き毟る。ホルマジオはイルーゾォから目を逸らして煙草を一本咥えると、目の前の悪魔にひとつの提案をした。

「しょおがねえなァ、だがわざわざ家電量販店なんぞに行く必要はねえぜ。金のかかる娯楽ならな、その手のプロに聞くのが一番早いんだ。」

§

「そういう訳だ、プロシュート。金持ちのオーディオマニアなら、お前、一人か二人知ってんだろ。」

「テメエ、枯らされてェなら早く言えよ。」

 プロシュートはバーカウンターで勢い良く煙を吐き出した。噎せ返ったホルマジオの、ラディッシュ色をした頭が揺れる。

「良いだろォ〜?ケチケチすんなよ。この間の借りを忘れたか?」

「テメエに借りなんかある訳ねェだろ!」

 プロシュートは鼻で笑ってアードベックを煽ると、嫌味なほどに長い脚を大仰に組み直した。それは、話を聞くつもりは皆無であるという時の、プロシュートお決まりのポーズなのだ。だがホルマジオには、このゲームに必ず勝てるという自信があった。ホルマジオは自分の煙草に火をつけながら、薄い唇を引き上げて人の悪い笑みを浮かべると、とびきりのカードを切る。

「あ〜、俺になくても他のやつにあるんじゃあねェのォ?プロシュート、お前この間カプリでメローネと仕事をした時、勝手にペッシを連れて行ったんだってなァ?挙句にお前、ペッシのヘマで怪我したらしいじゃあねえか〜?カプリでゆっくりしてから帰るなんて言ってよォ、実際は女医をタラし込んで看病させてたんだろォ〜?それ、リーダーに報告してないんだってなァ?」

「……。」

「勝手な行動の挙句に怪我までしてよ、リーダーに報告も無しじゃあな。バレたら手酷く仕置きされるんじゃあねえかなァ〜?」

「……トッレ・デル・グレーコの宝石商。」

「ハハッ!話が早いぜ!」

「リゾットには黙ってろよ、全くシャレにならねェ。」

「しょおがねえなァ〜!」

 カラカラと笑ったホルマジオは、じっとりとした視線を向けてくるプロシュートの背中を軽く叩く。プロシュートは舌打ちをすると、灰皿に強く煙草を押し付けた。

「だがよ、ホルマジオ。オーディオを盗むだけの為に人殺しなんてやってられねえぜ。家主が居ない時にやらなきゃあならねえ。」

「そういう事が得意な奴が、うちのチームには二人もいるだろ?」

「……それはかなりの難関だぜ。」

「お前なら口説けるさ。腕の見せ所だぜ、プロシュート!」

§

「そういう訳だ、ジェラート。テメーの出番だぜ。」

「プロシュート、テメエ薬でもキマってんのか?そうでないならその残念な脳味噌を今すぐぶち撒けてやるからレインコートでも持ってこい。光栄に思えよ。的にしてやる。今日はまだ射撃場に行ってねェからな。」

「まあまあ落ち着けって、ソルベはどうだ?」

「……幾らだ?」

「そうこなくっちゃあな!ターゲットは宝石商だ。俺たちがオーディオを盗んでいる間、たっぷり仕事が出来るはずだぜ。なあに、元より血に汚れたダイヤモンドだ。盗んだところで警察に届けを出せる訳がねえ。」

「……乗った。」

「愛してるぜソルベ!」

 プロシュートはアジトのソファで身体を引っ付けている二人に歩み寄ると、ソルベの頬に自分の頬を寄せた。すぐさまジェラートの盛大な舌打ちが鳴る。

「嘘だろソルベ!ああもう畜生ッ!」

「ジェラートも手伝ってくれるだろ?」

プロシュートはソルベの脇にしゃがみこむと、ジェラートの方へ営業用の笑顔を見せる。

「ソルベの為だ、プロシュート、お前の為じゃあ無い!ソルベの為だ!」

「愛してるぜジェラート!」

「テメエの愛なんか要らねえよッ!」

 プロシュートは軽く笑ってから立ち上がり、二人に投げキッスを送って部屋を出る。東洋においては人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んでしまうと言うが、このキレている二人の場合、引き際を見誤ると鉛玉が飛んでくる。元イタリア陸軍の狙撃手二人は、常にツーマンセルで動き、チームの情報収集を担っている。ソルベのスタンドはどこまでも遠くの音が聞こえるし、ジェラートのスタンドはどこまでも遠くの物を見透すことができるのだ。二人が家主の生活パターンを押さえてさえくれれば、あとは問題なく邸宅に盗みに入ることができるだろう。プロシュートは懐の煙草を探りつつ、携帯電話でメローネの番号をコールする。

「Sycral(軍事衛星)の買収は完了したぜ!」

「ディ・モールト・ベネ!」

―かくしてメローネの目論見通り、役者は揃ったのである。

§

「結局みんな揃ってるじゃあねえか!」

 ギアッチョは宝石商の邸宅に入るなり、そこに居並ぶ顔を見て思わず声を上げた。マホガニーの無垢材で固めた防音室には高級オーディオの類が犇いているが、仲間たちは露ほどの関心も見せずに煙草を吸ったり物をひっくり返したりと、既にやりたい放題である。

「ハン!お前らの遊びに付き合ってやるって言ってるんだ、感謝しろよ。」

「ジジィ、ペッシを連れ回すのもいい加減にしろよな。」

「仲間外れにしちゃあ可哀想だろ?」

「俺は別に気にしてないですよ。それに、それを言うならリーダーのほうじゃあないですかい。」

「バレたらメタリカ確定だろ?絶対だまってろよ。」

口の減らない仲間たちを横目に、黙々と手を動かしているのはメローネただ一人である。一方の仲間たちといえば―、ペッシは棚から数枚のレコードを抜き、プロシュートは寝室のワインセラーから二本のシャンパンを選んだ。イルーゾォとソルベ、ジェラートはオーディオには一切の関心を示さず、さっさと隣の部屋に引っ込んでダイヤモンドルースや珊瑚のカメオを盗んだ。その間メローネは、オーディオラックの裏に入って銅線を外し、それらを巻き取ってシステムを解体していく。アンプ、ウーファー、スピーカー。どれも最高級の品々で、マニアなら垂涎もののオーディオセットに違いなかった。作業自体は数分で完了し、ホルマジオのリトル・フィートで小さくなった高級オーディオ一式は、無事にギアッチョのポケットの中へしまわれたのだ。

「よし、帰ってアジトで音楽会だ!ピッツァと酒でお祝いしよう!」

機材をしまったメローネが機嫌よく叫ぶと、ギアッチョがすぐに呼応する。

「そうこなくてはな!メローネ!」

§

「アジトにリゾットはいねェんだな?ソルベ、ジェラート。」

「ああ、物音ひとつしない。」

「視認もできない。」

 二人の能力は仕事の上でも折紙付きだ。プロシュートを筆頭に、皆は安心してアジトの居間に通ずる鏡の門を潜ったのである。だが全員が鏡の外に出たところで、死神の声は背後から突然に浴びせかけられた。

「俺も随分と舐められたものだな。バレねェとでも思ったか?」

「リゾッ……、」

 これはひとつの発見だった。リゾットのステルス能力は、ソルベとジェラートをも欺くことがあるのだ。二人は表情を凍らせたまま立ち竦んだ。その昔は、リゾットが如何に人の目を欺こうと、二人はその姿を捉えていた。我等がリーダーは、間違いなく成長している。

「いや、リーダー、その、」

 肌を粟立たせたメローネは、この最悪の状況からの脱出を図るべく、何とかフォローをしようと口を開いた。リゾットの冷たい目玉は、メローネの頭ひとつ分上にある。誰よりも殺しに長けた男の目の前に立ってしまうと、手練れのメローネでさえ凄まじい恐怖を覚えるのだ。リゾットが背中の後ろに組んでいた手を動かす気配がした瞬間、メローネはメタリカによる攻撃を覚悟した。メローネだけではなく、恐らくその場にいる者全員が身構えた。できれば目玉や喉、そういうナイーブな箇所は避けて欲しい……。

 全員の緊張が頂点に達した瞬間に、突然リゾットが笑い出した。それも、微笑むとか少し声を溢すとか、そのような生易しいレベルではなく、珍しく大声でゲラゲラと笑いだしたのだ。その姿は、はっきり言って怖すぎた。これならむしろ無表情でいてくれた方が、余程心臓に良いと言うものだ。案の定、プロシュートは我慢できなくなったらしい。

「おいッ!リゾット!テメー何を笑ってやがるッ!」

「ああ、すまない。お前らの表情があまりに面白くてな……。」

 リゾットは目の端に滲んだ涙を拭うと、ギアッチョとメローネの前にさっと手を出した。その手に掴まれていたもの。二人の前に差し出されたのは、真っ白なジャケットのレコードだった。

「リーダー?!」

「お前らがコソコソ何をやっているか、わからぬ訳がないだろう。お前たちがチームに入って明日で丸三年だ。お祝いだよ。特別に許してやる。」

「……!!」

「最高のプレゼントだ!リーダー!」

“The Beatles” ビートルズにとって10作目のオリジナル・アルバム。印象的な白い無地のジャケットから、ホワイトアルバムの愛称が付いている。

「ハン!リゾット、オメーにしては気がきくな!」

「何か勘違いしているな?お前の怪我の件は全く許してねェぞ、俺は。」

 固まるプロシュートを尻目にホルマジオはリトル・フィートを解除し、メローネとギアッチョはいそいそとオーディオを組み立て直す。電源と銅線を繋ぎ直し、針を取り替え、新しいゴムバンドをレコードプレイヤーの台盤に填める。セッティングが終わったら、あとはレコードを聴くだけだ。摘みを33回転にセットしてレコードを回し、慎重に針を下げれば良い。ギアッチョは、静かにレコードの針を落とした。アルバムの中央に落とした針が、溝の埃を踏みながら軽快なピアノの伴奏を鳴らし始める。

ob la di, ob-la-da, life goes on, bra

La-la, how the life goes on

And if you want some fun, sing ob-la-di, bla-da

オブラディオブラダ 人生はこうして続いていく

もっと楽しみたいのなら 歌おう オブラディオブラダ!




ピアノ・レッスン


 ターゲットの本職はクラシックコンサートのイベントオーガナイザーであったらしい。夢に破れて裏方へ回ったところまでは良かったのだろうが、金に目が眩んで良くない連中と付き合ったのが運の尽き。目玉を抜かれた初老の男の醜い死体は、邸宅の一室で倒れたタワースピーカーの下敷きになっている。

 部屋の中央にはスタインウェイのグランドピアノが鎮座しており、壁一面にクラシックのレコードが所狭しと並べられている。高級な真空管アンプ、著名な指揮者と撮った白黒の写真、煌めく数々のトロフィー。それらの品々は単なる自己顕示欲の現れで、この部屋には真に実用的なものなどひとつもない。

 メローネはグランドピアノの蓋をあけると、象牙の鍵盤を人差し指でなぞる。レミソラドシラソ。滅茶苦茶に鳴らしても流石は高級ピアノといったところで、丸く磨かれた水晶の如き音は人殺しの耳にも心地よかった。メローネは鍵盤の前に置かれた革張りの長椅子に腰掛けると、唯一弾くことの出来る曲を思い出す。べートーベンの月光ソナタ。ただし、初心者向けに簡略化されたヴァージョンの。メローネが鍵盤を叩く度、正確ではあるが面白みのない、単調な音が部屋の中へと転がっていく。

「……下手くそ。」

「知ってるよ。興味も才能も無かったんだ。」

 隣の部屋から札束を持って現れたのはプロシュートで、グランドピアノへ煙草を押し付けると、メローネの指先を覗き込む。

「俺は今までこんな不器用な奴に縫合されてたのか。四の指が震えてるぜ。譜面の正確さを自分に求め過ぎて身体が無理をしている。性格が出るもんだな。」

 プロシュートは札束をグランドピアノに放るとメローネの隣に腰掛けた。間髪入れずに細い指が鍵盤を叩き、プロシュートはメローネより一オクターブ低い場所で月光ソナタを奏で始める。

「エ、アンタ、ピアノが弾けたの。」

「ハン!俺にくだらない教養を押し付けたがる人間はゴマンといたのさ。今となっては何の役にも立たねえがな。」

 そう言って笑うプロシュートが操るピアノの音は、正確さには欠けるが豊かな色に満ちていた。銀の光が湖面に揺れる、詩情あふれる絵が浮かぶ。プロシュートとひとつのピアノを奏でながら、メローネは相手の素直さに好感を持った。プロシュートには、美しいものを真っ直ぐに受け止める感性が、ごく自然に備わっているのだ。

「プロシュートが先生だったら、俺も少しはピアノが好きになったかも。」

「馬鹿、お前は俺の手には負えねえよ。」

 繊細なコーダが描く流線型、デクレッシェンド、ピアニシモ。穏やかな第一楽章。連弾はもう間もなく終わる。

―仕事の時間だ。




サンタ・ルチア


Sul mare luccica l’astro d’argento.

Placida è l’onda, prospero è il vento.

銀の星が輝ける海

波は穏やか 風はそよいで

Venite all’agile barchetta mia,

Santa Lucia! Santa Lucia!

わたしの小舟にお越しなさい

サンタ・ルチア! サンタ・ルチア!

 ホルマジオはよく歌う。少なくとも、自分と比べて。ギアッチョはそう思っている。野良猫に声を掛ける時も鼻唄混じりであるし、時には本格的に歌っている時もある。煙草と酒で灼けた喉をしている癖に、それが歌うと妙に味があるように聞こえるのだから不思議なものだ。

「ホルマジオ、オメーはよく歌うな。」

「歌のひとつやふたつ、ベッラを口説くには必要だろォ?」

「ハア?猫の間違いだろうがッ。」

「猫も女も同じガッティーナだろォが。俺を癒してさえくれればそれで良いんだ。」

「ケッ!」

 ホルマジオがよく口ずさんでいるのはカンツォーネ・ナポレターナ。つまり、ネアポリス民謡である。ホルマジオは生粋のネアポリスっ子で、ティーンエイジャーの頃は安い麻薬をローマまで運んだり、カーセックス中のカップルを襲ったりして小銭を稼いでいたという。

「先公が嫌いで学校に通うのが怠くてよ。11歳からパッショーネの末端組織で働いたのさ。麻薬で捕まると数年は塀の中だが、ここらのガキはバイク欲しさに麻薬をローマまで運ぶんだ。捕まったとしても、組織は一切関知しねえ。ガキはただ切り捨てられる捨て駒さ。俺の仲間はみんなブチ込まれるか、事故かリンチで死んでった。頭の悪い奴と優しすぎる奴、漏れなく全員な。」

「で、アンタは生き残った?」

「頭も顔も良いからなァ〜!悪いのは性格だけだからよ、俺は!」

「良く言うぜ!」

 ギアッチョはアジトのキッチンでホルマジオと並び、黙々と鍋底をかき混ぜていた。ギアッチョは、ホルマジオが作るネアポリス風ラザニアが好きである。素朴なラザニアの決め手となるのは、様々な部位の肉を煮込んだラグーソース。手間暇がかかるために大抵はどの家庭でも週末に作られると言い、チームにおいては日曜のサッカー観戦に備えてホルマジオが拵えるのが慣例だ。ギアッチョは味見ができるという理由から、時々こうしてホルマジオを手伝っている。ホルマジオは付け合わせにするポテトの皮を剥きながら、掠れたテノールで歌い出す。

In' fra le tende bandir la cena,  

In una sera cosi' serena.  

テントの下で食事の用意を

夕方には小雨が降るから

Chi non dimanda, chi non desia;   

Santa Lucia! Santa Lucia!

誰も頼まず、誰も望まなくとも行こう

サンタ・ルチア! サンタ・ルチア!

§

Mare sì placida, vento sì caro,

Scordar fa i triboli al marinaro,

穏やかな海、心地よい風

苦しみさえも忘れてしまう

E va gridando con allegria,

Santa Lucia! Santa Lucia!

大きな声で陽気に

サンタ・ルチア!サンタ・ルチア!

 そう口ずさみながら、ホルマジオはモルフォ蝶の標本の上にターゲットを固定した。自ら収集した昆虫標本に虫ピンで磔にされた男は喚き泣いていたが、その悲鳴は虫の鳴き声と同じでホルマジオにとっては意味が無い。管理が悪い為にダニが湧いている青い羽の上で、磔刑にされたターゲットの拷問は粛々と始まった。標本製作用の細く尖ったピンセットが、男の左目をぷつんと潰す。力は不要。何でもない風に軽く摘むだけで、男の眼球はたちまち破裂しくり抜かれる。

「サンタ・ルチア、サンタ・ルチアってよ〜、結局誰の名前を港につけてんだァ?」

 ホルマジオの拷問を横目で眺めながら、ギアッチョはターゲットの書斎にある本棚を端から端までひっくり返していた。その行為は仕事とは全く関係がなく、メローネが好みそうな本を探してやる為のものだ。

 既にギアッチョは数冊の本に目星をつけており、それらは乱雑に机の上へ放られている。出来るだけ精巧な絵が描かれた図鑑が好ましい。目にも楽しくベイビィの教育に有用な本が。

 ホルマジオは標的の肩に追加の虫ピンを刺しながら、ギアッチョに新しい知識を授けてやる。

「聖ルチアってのはシチリア生まれの殉教者さ。権力者からの求婚を断り、さらにカトリックの信仰を捨てなかったが為に、拷問で両目をくり抜かれた女だよ。ちなみにルチアってのは、光という意味だ。」

「アァ〜ン?盲目の女の名前が光だと?ふざけてんのかッ!」

「目が見えずとも世界の美しさは分かるって事じゃあねえの。音楽しかりだぜ。世の中、目に見えるものだけが全てじゃあねえしな。大体、スタンドだって普通の人間には見えねえが、確かに存在してるんだ。」

 ギアッチョは新しい本を一冊机に放り投げると、勢いよくホルマジオの方を振り返った。

「俺はそういう理屈は好きじゃあねえ!音楽だって譜面にすりゃあ見える!俺にはスタンドが見える!それに、俺のスタンドは普通の奴にも見えるんだからな!見えないものが大切だなんて、そんな綺麗事は聞きたくないぜ!」

「おうおう若いね〜。」

 お前のそういうところ、俺は可愛いと思ってるんだぜ。ホルマジオはそう思ったものの、口には出さずにおいたのだった。そんなことを言った日には、きっとギアッチョは怒りだしてしまうに違いないのだ。

 だが言葉にならない感情は、必ず出口を見つけてしまう。表情、仕草、時々涙。ホルマジオの場合は、それが歌だということだ。

O dolce Napoli, o suol beato,

Ove sorridere volle il creato!

美しきネアポリス 豊穣な土地

創造主でさえ笑顔になる

Tu sei l’impero dell’armonia!

Santa Lucia! Santa Lucia!

お前こそは調和の帝国

サンタ・ルチア! サンタ・ルチア!


静かに泣く


 大麻が齎す効果というのは様々あって、リラックスできるという者もいれば鬱状態になるという者もいる。メローネは、時々大麻を吸う。何も考えたくない夜、頭を極限まで鈍らせたい夜に。自分の脳味噌は特別優秀にできていて、覚える必要のない物事をすぐに記憶してしまうし、余計な事を思い出す。目に入るすべての数字を勝手に計算し関連付けて、雑多なデータからでさえありもしない物語を紡ぎだす。ひどく疲れている夜は、自分の脳の働きに振り回されるのも億劫なのだ。

 草臥れてコイルの死んだ革のソファに転がって、モーツァルトのレクイエムを聴きながら煙を吸う。カラヤン指揮のこのレコードは、以前プロシュートと一緒に仕事をした際、標的の家から盗ってきたものだ。視線の先にあるアジトの天井はひび割れている。その枝分かれしたコンクリートの模様を目で追いながら、メローネは口の中で小さく歌う。自分はもうすぐ眠りと死との間に落ちて、暗い安らぎを得るだろう。

「我らに希望を与えたもう。我らの望みが、我らにふさわしからずとも。」

 だがブツリとしたノイズと共に、突然レクイエムは中断された。メローネは灰色の瞳をレコードプレイヤーに向ける。針を上げたギアッチョと、メガネのレンズ越しに目が合った。

「辛気臭ェ曲ばかり聴いてんじゃあねェ。」

「……良いところだったのに。」

「耳が腐りそうだぜ。踊りにでも行くか?」

「そんな気分じゃあないな。」

 ギアッチョは片方の眉を一瞬だけ上げると、静かにレコードを取り換えた。以前リゾットから贈られた、ビートルズ10作目のオリジナル・アルバム。

「ギアッチョはその曲が好きだね。何て曲?」

「……While my guitar gently weeps.」

 ギアッチョはメローネの転がるソファの端に腰かけると、親友の虚ろな瞳を覗き込む。どうしたら彼に安らぎを与えることができるのだろう?世界は一度だって、自分たちにその手の贈り物を齎してくれたことなどなかったのだ。なればこそ自分たちは、こうして支えあって生きてきた。

I look at the world and I notice it's turning

世界を見れば、全ては滞りなく回っているのに

While my guitar gently weeps

僕のギターは今も静かに泣いている

With every mistake we must surely be learning

あらゆる過ちから 僕たちは学ぶべきなんだろう

Still my guitar gently weeps

僕のギターはまだ静かに泣いている

I don't know how you were diverted

どんなふうに君が道を違える羽目になったのか 僕は知らない

You were perverted too

君はもう堕ちていたから

I don't know how you were inverted

どんな風に君が歪められたのか僕は知らない

No one alerted you

だれも君に忠告しなかったんだ

I look at you all, see the love there that's sleeping

君たちを見ると その愛が眠っている場所が分かる

While my guitar gently weeps

僕のギターは今も静かに泣いている

I look at you all...

君たちを見ると……

Still my guitar gently weeps

僕のギターはまだ静かに泣いている




Soon It Will Be Cold Enough


「今日はもう上がっていいぞ、ギアッチョ。」

「ウッス!」

 手早く機材を片付けて事務所を発ち、バックパックを背負ってモトグッツィに跨る。アシスタントカメラマンにとって休みは貴重だ。いつもはファッション誌を中心に活躍しているプロカメラマン―名をプロシュートといい、元は名の知れたモデルだという―のアシスタントとして働いているが、本来自分は静物の写真を撮ることが好きなのだ。一輪の花とシンプルな花器で以って、画面の中に静謐な世界を構成する。自由時間にはなるべく自分の好きなモチーフに触れていたい。

『顔に似合わねえなァ〜ッ!』

『意外ッ!それは花ッ!』

 仲間達には散々な言われようだが、唯一、ルームメイトのメローネだけは自身の嗜好を理解してくれている。

『ギアッチョの撮る花には媚びが無い。実に洗練された構図だよ!ウン、それがベスト!ディモールト・ベネ!』

 生物分子学の博士課程に在籍しているメローネとは、シェアハウス仲間を募るSNSで知り合った。髪をショッキングピンクに染めた大学院生の姿に最初は驚いたものの、自分の髪とて派手な水色なのだ。バックグラウンドの全く違う二人であったものの、どういう訳か意気投合して約三年、今年も契約を更新した。

 今のところは、二人でネアポリスの古びたフラットの一部屋を借りている。浴室の鏡はひび割れているし天井にもクラックが見られる傷みようだが、屋上を自由に使って良いのが魅力的な物件だ。メローネは屋上に私的な庭を拵えており、その世話には余念がない。匂い立つ白いマツリカ、鮮やかで傷みやすいダリア、毒々しい花弁を揺らすアネモネ、モヒートを作る為に育てているミント。メローネは時折水捌けの悪さを口にするものの、よく手入れされた小さな庭は愛おしいものだ。

 バイクをポーチに停めて階段を駆け上がる。軋む鉄のドアに鍵はかかっておらず、今日はメローネの方が先に帰ってきたことが分かる。大方庭の手入れでもしているのだろう。翌年の春に美しい花を咲かせる為には、晩秋から冬にかけての剪定が必要なのだ。

 テーブルの上に放置されていた灰皿を片付けてから、棚にびっしりと並んだレコードの背表紙を人差し指でざらりとなぞる。数枚を選んでサイドテーブルに置き、その内の一枚を窓辺に置いたレコードプレイヤーにセットする。真っ白なアルバムジャケットはこれ以上なく潔いデザインと言えるが、円盤の中にはそのシンプルな見た目を裏切るほどの、多様な音楽が詰まっているのだ。レコードプレイヤーのつまみを33回転に合わせ、そっと優しく針を落とす。

「あ、ギアッチョ帰ってたの、おかえり。」

「おう。」

 庭仕事用のエプロンを着けたまま屋上に繋がる階段を降りてきたメローネは、ポニーテールを揺らしながら窓辺に近づく。

「ねえ、ギアッチョ。今日は良いものを買ってきたんだ。」

「ン〜?」

 メローネがエプロンのポケットから取り出したのは、ゴルフボール大のガラスのオーナメントだった。カッティングされたクリスタルガラスが光を透いて乱反射し、周囲に七色の光を撒き散らす。メローネはワイヤーを引っ掛けたそれをカーテンレールに吊るすと、指先でオーナメントを軽く叩いた。

「サンキャッチャーって言うんだ。光の分散を利用したオーナメントだよ。氷みたいで綺麗だろ。」

 ギアッチョは揺れる透明なガラスのオーナメントを眺めながら、窓ガラスに手を触れる。ひんやりと冷たいそれは、もうすぐ季節が冬になる事を教えてくれる。ギアッチョは冬が好きである。空気が澄んで、世界のすべてが明瞭に見えてくる季節。氷点下まで気温が落ちる日は一層良い。だが何故そう思うのか、理由は良く分からない。普通の人間は寒さを嫌がる。ギアッチョは冷たいガラスをなぞると、きゅっと口角を引き上げた。

「……氷だって?心配しなくとも、すぐに寒くなるぜ。冬はもう直ぐそこなんだ。」