「日曜小説」 マンホールの中で 2 第二章 4
「日曜小説」 マンホールの中で 2
第二章 4
要するに、一時的そして金に換えるとかの問題ではないが、しかし、次郎吉はその腕前で小林さんの家から権利書や通帳、実印などをすべて盗み出しているのである。
しかし、善之助にとっては全く怒る気にはなれなかった。それはそうだ。そもそも善之助自身が頼んだことであり、次郎吉が狙っている話ではないのである。
「で、どうなんだ」
「いや、一昨日、また幽霊が出てきて、小林さんの家が呪われているから、家を売るように言ったんだよ」
「なんで言った言葉までわかるのか」
「そりゃ、幽霊が補聴器に伝播を混線させて話しているだけということになれば、全く同じ補聴器を使って、周波数を合わせて自分の耳に入れておけば、全部聞こえるってもんだ。まあ、こっちの方が電波発信機に近いから、よく聞こえるがな」
そういうと、次郎吉は補聴器をポケットから取り出し、それを善之助の耳の中にいれた。そしてスイッチを入れると、善之助も音がよく聞こえるようになる。
「ほう、これが補聴器か。なかなか良く聞こえるが、幽霊は出ないぞ」
「そりゃそうだ。電波を出してないからな」
そういうと、電波発信機も取り出し、スマホの電源を入れて、その中に録音されている演歌を流し始めた。
「ほうほう、演歌が聞こえるぞ」
「そうだろう、こうやって補聴器から幽霊が出る」
「なるほど」
目が見えない善之助にとって、音声でこのようにやってくれるのは最もよい説明方法である。実際に補聴器の形も、電波発信機の存在も、次郎吉は全て手で善之助に触らせ、確認させている。
この辺の気遣いは、泥棒という犯罪者のイメージとは全く異なる感じだ。やはり次郎吉が泥棒の中でもかなり質の良い泥棒であるということがよくわかる。
「で、この補聴器をつけて聞いていたら、まあ、家が呪われていて、その祟りで先祖が成仏できないから、この家を売ってほしいとさ。いやいや、家を売らせるのもなかなか手が込んでいる」
「まさかそんなの、小林さんが信じるはずないではないか」
「いや、信じたよ。それは今までの幽霊騒ぎがすべて本物の幽霊と思ってるんだから」
「そうか」
「それに、あの嫁さん、なかなか凝った手を使うからね」
「凝った手」
「そうだ、例えばリモコンの仕掛けを作って、幽霊の言う通りに遠いところで何かを動かしたり、まあ、要するにポルターガイストが出たように見せたり、なかなかうまくやってるよ」
次郎吉はかなり感心したように言っていた。まあ、善之助は見ていないが、なかなか想像がつく。それだけ気が付く女性だから、小林の死んだ旦那は信用して息子の嫁にもらってきたのであろう。小林の旦那の方は、かなり厳しい人であったし、よく人を見ていた印象がある。
逆に言えば、嫁さんは小林の旦那が死んでからちょっと羽を伸ばして、そのまま遊びに嵌ってしまい、そのまま泥沼に落ちて言った感じなのかもしれない。
しかし、そのような中には、当然に、小林さんをバカにしていたり、家業を疎かにしたり、外部のホストに熱を上げるほど、家のことをしていなかったりというようなことになる。
小林さん自身は姑としてそれほどうるさい方ではないが、そのことが返って歯止めを利かせない状況にしてしまったのではないか。
善之助の今までの人生の経験の中で、そのようなストーリーが勝手に組み立てられてゆく。特に目が見えない善之助にとってみれば、そのようなストーリーを組み立てる他の要素が入ってこないので、次郎吉の言葉と、小林さんの印象、目が見えていたころの印象だけで話が組みあがっていった。
「まあ、そこで金庫にある権利書を、嫁に預けろと幽霊が言うわけだ」
「幽霊が嫁に預けろと」
「ああ、そうなんだ。それもしっかりと理由があってな。どうも小林家と小林の家の土地との因縁が悪いらしい。それで、小林の家の血を引いているものは触ると祟りがあるから、小林の家の血を引いていない人物を選んで権利書を渡せと」
「ほうほう。まあ、確かに嫁は小林の家のものではないわな」
「しかし、冷静に考えれば、小林の婆さんも実際は小林の家の血ではない。当然に外の家から来た女性だろ」
「ああ、そうだ。確か東京かどこかの資産かの娘であったはずだが」
「結局、にわか仕込みだとそういうところがおかしくなるんだよね」
「で、どうしたのだ」
「そりゃ、爺さん、今体験しただろ。婆さんに、こっちの声で婆さんも小林の血が入っていないから、婆さんが持ってりゃ大丈夫だと、そういってやったさ」
次郎吉は楽しそうに言った。本当に楽しかったのではないか。
「それは、嫁さんに聞かれたんじゃないのか」
「まさか、嫁さんの方はまさか混線して他の電波を拾うなんて思っていないし、婆さんと会うのに嫁さんが補聴器をしていたらおかしくなるだろ。つまり、嫁さんは婆さんの介護用のカメラとマイクで婆さんの様子を見ながら会話をしているだけだ。こっちは同じ補聴器を持っているし、近くで生で見ているわけだから、全部わかっているわけだな。」
「そうなるな」
「まあ、一応何か聞かれているかもしれないと思って、今回は少々控えめにやっておいたけど、やっぱり聞かれている感じはなかったね」
なるほど、つまり、次郎吉は補聴器とかめらと小林さん自身の行動を見ながら行動しているが、小林の嫁は、カメラで遠隔に操作して幽霊の発言をしているだけで、小林さんの耳に実際にどのような音声が入っているかなどはわからない。
それを慎重な次郎吉は生と中身を見ながらやっているということになるのである。そしてそれを試してみているということなのだ、これならば完ぺきに幽霊を乗っ取れるではないか。
「それで、どうなった」
「いや、まあ、こっちの幽霊の声を聴いて不思議そうにしていたが、今までの声の方を優先して金庫を開けにいったよ」
「そうしたら、権利書もなかった」
「ああ、他のものは何でもあったよ」
「幽霊さん、権利書はすでにありませんよ、ってばあさんはいってたよ」
「幽霊はどうなった」
「幽霊も焦っていたね」
次郎吉は笑いだした。まさか、ここにあるとは思ってもいるまい。
「小林の婆さんは、幽霊ならばわかって居るでしょうといっていたよ」
「嫁さんは」
「そこで逃げた」
「逃げた」
「つまり、交信を切ってしまったよね」
そうなのだ。交信を切れば、実際のところ幽霊はいなくなってしまう。もともと幽霊などはいないのであるから、そうなるのは当然だ。
「で、嫁さんはどうしている」
「さあ、今頃家で家探ししてるんじゃないか。まあ、ここまで探しには来ないから大丈夫だけど」
次郎吉は笑いながら言った。
「小林の婆さんは、幽霊が知らないことがあると、なかなか焦っていたよ。少し幽霊に疑問が出たらしい。まあ、そんなところが面白いけどね」
善之助は少し安心したようである。少し緊張の糸が切れたのか、善之助から欠伸が出てきた。
「問題は」
緊張が切れたところで、次郎吉は少し大きめな声を上げた。
「おう、問題は何だ」
「嫁さんが、金庫の中身を見たということだ」
「それは」
「つまり、中にある現金や宝石なんかがあることを知った。そうなれば、また幽霊が出てきて、それを何とかしようとするであろう」
「そうなるとどうなる」
「また幽霊が出るよね」
次郎吉はあっさり言った。
「それならばまた盗めばよい」
「まあ、そうだけど、そうするとさすがにばれるよね」
「そうか」
そうだ、権利書などは普段使うものではないから、昔ほかのところに大事にしまってしまった可能性がある。しかし、実際に一昨日見てしまったものが次になくなるということになると、かなり大きな問題になる。
「そこで、爺さんに一つお願いがあるんだが」
「私が何かできることがあるのか。まさか宝石を盗めと」
「まさか」
次郎吉は笑いだした。さすがに目の見えない爺さんに他人の家に行って宝石を盗めとは言うはずがない。
「でも、似たようなことで、金庫のカギを盗んでほしいんだ」
「金庫の鍵」
「ああ、まあ、正確に言えば、金庫のカギを俺が盗むから、老人会で落としていたことにしておいてもらいたい」
「なるほど。そうなれば嫁さんは宝石を盗めなくなるということだな」
「そのうえ、幽霊は、また信用が無くなる」
「なるほど」
「じゃあ、次はその手はずで」
そういうと、次郎吉は姿を消してしまった。