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Da vicino nessuno è normale.

MONELI!【メロギア】

2020.02.08 03:45

いいかい、ここでは、同じ場所にとどまっているためには、

できるだけ速く走らねばならないのだ。

よそへ行きたければ、

それより少なくとも二倍は速く走らねばならない!」

ルイス・キャロル著 鏡の国のアリス


MIDNIGHT MADNESS

 微細な氷の粒子を撒きながら全速力で疾走しているギアッチョの少し後ろを、モトグッツィで並走する。夜明け前のネアポリスは寝静まっているが、海沿いのカーブを曲がるたび、少しずつ世界の果てが白んでくるのが見える。

 時速90km、92km、……記録更新。

 バイクにまたがる俺の身体に、容赦無く重力がのし掛かる。 こうして時折誰もいない道を走るのは、ギアッチョ曰く、「トレーニング」。

 ギアッチョのスタンド能力はあくまでも凍らせる事に特化しており、追撃に要するスピードと持続力は、本人の体力に依存している。だからこそギアッチョは鍛錬を欠かさないのだ。

「夜中に走ってるそうだが、目立つんじゃァねえぞ、クソガキども。」

 時折プロシュートはそう言って牽制するが、もしも不運な一般人が俺たちを目撃したのなら、ギアッチョは走ったままでもそいつを氷像に変えてしまうだろう。きっと俺たちがすり抜けた直後には、弾丸に撃ち抜かれたガラスのように砕け散る。

 つまり、俺たちは二人だけの世界を疾走しているということなのだ。他人には決して触れることのできない、冷たい死の世界を。

 俺が獰猛なエンジンを支配してバイクを走らせるのと同じように、ギアッチョは自身の凶暴な魂をコントロールして、氷の世界を駆け抜けていく。ギアッチョのその力の源泉は、間違いなく怒りだ。重なる不遇と理不尽な社会の法則に対して、灼熱の溶岩のように湧き続ける、疑問と怒り。

 靴のエッジに完璧な体重移動をさせながら、締まった身体を左右に振っていくギアッチョの横顔を覗き見る。ギアッチョは、今夜も歯を食いしばり前だけを見据え、自身の限界を試している。

「……ベネ。」

――絶対に、誰にも邪魔はさせない。

 俺たちの怒りは、俺たちだけのモノなのだ。


夜の子供たち


 深夜のクラブに足を運ぶ理由は、何も踊る為ではない。「ベイビィ」に相応しい母親を探す為だ。優秀なベイビィを生み出す為に優れた母体は必須の要素だ。だが一体どんな女が優れた母体になり得るのかは、研究しなければ分からない。そして研究に使うデータから正しい傾向を掴む為には、サンプル数は多ければ多い方が良い。だからこそ俺は足繁く、イタリア中のクラブに通っているわけだ。

かつてはその接触のしやすさから、もっぱら売春婦や家出少女で受胎と出産を繰り返していたのだが、これまでの傾向によれば、どうも彼女たちは母親としては優しすぎるようだった。残念ながら、男の餌食になっている女達だ。弱すぎる、と言い換えても良い。持論だが、ベイビィに必要な母親は、もっと攻撃的で自己中心的な女でなくてはならない。例えば真夜中のクラブで男を漁っているような、パーティが大好きな女達。これまでの研究によれば、依存しない程度にドラッグを楽しんでいるなら尚好都合と言えるだろう。

 今を生きる享楽的な性格は、殺しに必須の才能である。

 レザーのコルセットに毛足の長いファー。奇抜な衣装を身に纏い、自慢のブロンドを派手なピンクに染めた姿は、ネオンの下にこそ相応しい。熱帯魚が珊瑚に合わせて極彩色の鱗を得るのと同じことだ。ギアッチョの掠れたブルーの髪も、ここでは異端になり得ない。俺たちこそは、まさしく夜の子供達なのだ。

 俺がクラブに行くときは、ギアッチョはいつでも黙ってついてくる。奴はドライブ中もEDMを良く聴くし、運動神経が抜群だから踊ることも苦手では無い。だがギアッチョは俺が母親候補を漁っている間、箱の端にあるソファに沈み、ずっと酒の入ったグラスを傾けているだけだ。そして俺から少し離れたところから、刃物のように鋭い視線で、じっとフロアを睨みつけている。眉間の皺は退屈と嫌悪の表明だ。クラブにたむろし親の金で派手に遊び呆けている人種のことが、ギアッチョは大嫌いなのである。

 それでもギアッチョが俺に付き合っている理由は、俺のかつての失敗にあった。以前母親候補とトイレにしけこんだ際、その連れが怒り狂って乱入してきた事があったのだ。この場合、俺のベイビィは生まれる前なので、素手で遣り合う羽目になる。その気になればボールペン1本でだって人は殺せるものだが、俺は乱闘も嫌いなら返り血を浴びるのも御免である。ギアッチョが駆けつけて二人分の氷像を粉砕してくれなければ、後始末だって一層面倒になったに違いない。――この事件以降、ギアッチョは俺の研究に同伴するようになった。

 仮定の話だが、奴はきっとベイビィの母親には向かない。なぜなら、ギアッチョは無敵の強さを誇ってはいるものの、あまりに優しいものだから。

§

 今夜も首尾よくベイビィを産ませることに成功した。昼間のうちに採取しておいた適当な男の血を使い、殺しの試験がスタートする。この行為は、社会通念上は無差別殺人に相当するが、俺にとっては立派な研究であり訓練だ。数を重ねれば重ねるだけ、俺の殺しの精度は上がる。殺しの精度が上がれば俺の生存確率が上がる。確実に標的を抹殺し、ひとつの証拠も残さずに帰ってくることが俺たちのチームに必要とされる最大の能力だ。そしてチームに必要な人間であり続ける事が、俺の存在理由に直結している。ギアッチョはその非情な現実を誰よりも理解しており、だからこそ俺の研究に付き合っている。

トイレから一人で出て行くと、女の子達に声を掛けられているギアッチョの背中が目に入った。隣に座られ、その馴れ馴れしさから逃れようと、鬱陶しそうに顔を背ける引き締まった上半身が見える。ギアッチョが困っている姿は可愛らしいが、そろそろ助けてやらねばなるまい。

「俺の連れに何か用〜?」

 満面の笑みでギアッチョの肩に腕を絡ませ擦り寄ると、女の子達の視線がこちらに集まる。ブルーのふわふわした巻き毛に顎先を埋めながら、俺が考えていることはただひとつ。……彼女達の無益な死。 残念ながら、君達は母親にはなり得ない。

 金と肉塊とだけを残し、空虚な夜へと消える事になるだろう。


君の痛みを知っている


――雨が降っている。

 ギアッチョとメローネの二人は一仕事を終え、足跡を消す道中にヴェネツィアへと立ち寄った。観光シーズンにも関わらずヴェネツィアは生憎の空模様であり、重たそうな雲からは運河に向けて、真っ直ぐに黒い雨が降り注いでいる。

 その夜、決して高級とは言えないホテルの一室で、メローネは両目を掌で押さえながら、ベッドの上に仰向けに倒れていた。

「痛むのか。」

「……少し。」

 メローネには偏頭痛の癖がある。特に気圧が低い雨の日は、目の奥に差し込むような痛みを感じる時がある。右の眼窩は湿気に弱く、古傷は折に触れては痛みを伴い、傍若無人に暴れまわった。

『お前は決して愛されなかった!』

 古傷はその存在を主張しながら、メローネの頭の中で叫び続ける。

『お前は少しも必要とされなかった!』

 記憶力の良い脳味噌がいつまでたっても忘れてくれない忌々しい記憶の数々を、メローネは痛みと共に反芻しているのだ。

「あったかくしてろ。」

「それ、ギアッチョが言うと冗談に聞こえる。ねぇ、ハッパでも持ってない?」

「馬鹿野郎。」

 ギアッチョはコーラを飲みながら備え付けのクローゼットまで歩いて行くと、そこからありったけの毛布を引きずり出し、ベッドの上にぞんざいに投げてよこした。

「……優しくて涙が出るね。」

「フン、まあ見てろ。」

ギアッチョは部屋の電気を消して窓辺に立つと、広い窓を躊躇せずに全開にした。窓から流れ込む湿気によって、部屋の不快指数は一気に上がる。

「ちょっと……。」

「ホワイトアルバム。」

 抗議のために思わず上体を起こしかけたメローネの目の前で、あっという間にヴェネツィアの街は凍りついていった。雨はある所から雹に姿を変えて降り注ぎ、銀盤と化した運河や道路を鉄琴の様に叩いていく。氷と金属が織り成す鋭く透明な音階が、部屋の中にまで響いてくる。何処かで誰かの車がスリップし、派手な音を立てて壁に突っ込んでいったのが分かる。

――絶対零度のヴェネツィア。

 どんな生き物も生きることを許されない、平等な死の世界が、愉快な音を伴って広がっていく。

「ハハッ!凄いな!」

「気は晴れたかよ。」

「ああ最高に愉快だよ……ディモールト、ベネ!」

 一体どれだけのエネルギーがあれば、こんな芸当が出来るのだろう。毛布を体に引き上げたメローネは、ギアッチョの背中を眺めながら考える。今でこそ鍛え抜かれた姿をしているが、ギアッチョの細い身体には、幼い頃の栄養失調の名残がある。ギアッチョも恐らくは、メローネと同じく、のぞまれない子供達のひとりだった。

 かつて二人は、社会から生きることを許されなかった。だが誰にも許可されなくとも、既に自分の力で命を繋ぐ術を知っていた。

 もう誰にも人生を脅かされたりしないのだ。確固たる意志のもと、自分自身の力によって命と未来とを奪い取る。

――その先が地獄だろうと知ったことか。

 振り返ったギアッチョの誇らしげな笑みは、その自負をメローネに思い出させてくれるのだ。

――俺たちは地獄から生まれたんだからな。


境界線

 何かを盗むという事に関して、イルーゾォのマン・イン・ザ・ミラーほど便利なスタンドは存在しない。少なくともメローネはそう思っている。鏡というのは生活にありふれた道具であり、イルーゾォが支配する鏡の国への入り口は、世界のあらゆるところに存在する。フラットの洗面台、店舗のバックヤード、道行く女のコンパクト、街角のカーブミラー、道の端に停められた車、等々。

 イルーゾォはその平凡な、何の変哲もない鏡の奥に潜んでターゲットから情報を抜き出したり、そっと手を伸ばして物を盗ったり、或いは人の命を奪ったりする。

 物理的には光を反射しているに過ぎない鏡だが、それは古来より呪術の道具であり、あの世とこの世の境を象徴している。カタギとギャング、正気と狂気。イルーゾォはその境界を、自由に行き来する特別な力を備えている。

「ねえイルーゾォ、そろそろ薬の在庫が僅少だよ。またお願いできる?抗生剤と縫合糸、それから麻酔も。」

「チッ、面倒くせえなァ。」

「自分だってこの間怪我してたじゃない。」

「煩え!ア〜、明後日だ、明後日までに用意しておく。」

「ベネ!調達してほしいもののリスト、今渡しておく。」

 Cefazolin, PopsÇaine, Sutura 

 メローネの書きつけたメモをピッと奪ったイルーゾォは、そこにアスピリンの文字を追加する。イルーゾォは態度こそ傲慢そのものだが、それは神経質で内向的な性格の裏返しで、本人はメローネと同じく重度の頭痛持ちだ。鏡は世界を反転させるが、人間の魂も素直に行為として現れるとは限らない。常日頃から自信たっぷりに振舞っている人殺しの眼の奥には、いつでも怒りや恐怖といった、湿った感情が多分に含まれている。

メモをポケットに入れ、溜息まじりにソファから立ち上がったイルーゾォは、早速アジトから出て行くらしかった。

「仕事?」

「の、仕込み。」

「頑張って〜。」

「ケッ!」

 イルーゾォを見送ったメローネは、膝に置いた医療系雑誌に目を落とす。僅か十三歳で母親を殺し出奔したメローネは、十代半ばまでの約二年間をローマの闇医者の元で過ごした。中国系マフィア御用達の医師だったその老人は酷く変わり者で、幼いメローネに医術と占星術とを授けた後、最後は抗争に巻き込まれて轢死した。メローネはその後身元の保障を求めてパッショーネの門を叩き、ポルポの試験に合格したのだ。今や医学の知識はメローネだけではなくチームをも助けており、外科的な応急対応は殆どがメローネの仕事だった。そして、必要になる道具や薬の類は、すべてイルーゾォが医療機関から盗んだものだった。医学と占いは古来いずれも魔術の一種で同じ根を持ち、鏡は今も昔もそれらの重要な道具である。メローネはイルーゾォと自分との関係の、そういう微妙な符合を密かに面白がっている。

§

「凄い熱だな。」

 メローネが風邪をひいたというのでそのフラットへ見舞いに訪れたギアッチョは、親友の身体が自分の作った氷嚢を片っ端から溶かしていくことにすっかり驚いていた。人間の身体がそれほどまでの熱を持つなど、生まれながらに氷のスタンドを操ってきたギアッチョにとっては、欠片も想像できないことだったのだ。

「さっき測ったら……39度もあるんだ……インフルエンザかもしれないな……ギアッチョ、来てくれてありがとう……でも移っちまうから、もう大丈夫……。」

「ン、まあなんだ。ジジイが飯持たせてくれたからよ。それだけでも食べろよな。」

「……まさか脂っこいステーキだなんて言わないよな。」

「いいや、ブイヨンスープだ。」

「温めてくる。」と言って狭いキッチンに立ったギアッチョの猫背を眺めながら、メローネは自分を拾った闇医者の歪んだ背中を思い出す。

 黄疸症状が明らかな中華系の男は、メローネの潰れた右目に包帯を巻きながら、痰が混じる声で笑っていた。

『世界は常にバランスしている。光と影、プラスとマイナス、善と悪。中庸を行くのが一番優れた幸福への道なのだ。お前の目が失われたことにも、お前のこれからの人生において、何か均衡を維持するために必要な理由があるのだよ。』

 均衡するもなにも、天秤にかけるべき物の境目が、そもそも自分には分からないのだ。そう、メローネは思う。今も昔も、自分は至って正常な人間であったつもりなのだ。社会がそうは思ってくれなかったというだけで。

「おいッ!びっくりさせんな!!」

親友の叫び声に我に返ると、キッチンから見慣れた影が伸びてくることに気が付いた。

(……そうだ、キッチンには鏡があった。)

「どれが必要か判断できねえから、とりあえず全部とってきた。」

 バサバサとベッドの上に薬をばら撒いたイルーゾォの、ぶっきらぼうなしかめっ面を覗き込む。

「アンタってディモールト、優しいね。」

「ハァ?俺が優しい訳ねェだろう。そういう奴は、さっさと死んじまうんだからな。」


地獄へようこそ


 二人が同時に暗殺チームに入ったのは1995年のことで、その時メローネは16歳、ギアッチョは15歳になったばかりだった。

 配属の日には仮の住まいとしてアジトの一部屋が与えられ、草臥れたソファとベッドの上が二人の新しい寝床になった。二人の性格は余りに違っていたが、不思議と憎しみは湧かず、互いのことを「面白い奴」と思えるくらいには馬が合った。

 チーム入りして数週間、二人はリーダーのリゾットや右腕のプロシュートが策定する暗殺の基本計画の手伝い ―ターゲットの人間関係の洗い出しや行動予測―をして過ごした。二人は仕事の成果を褒められるたびに青い自尊心を擽られ、ようやく自分達に居場所が出来たことを実感しては、密かな喜びを胸に抱いた。多少の反発を装ってみる時もあったが、二人にとってはそれすら楽しい時間だったのだ。

 チームのメンバーはそれぞれいくつかの隠れ家をもっており、いずれもアジトに常駐しているわけでは無かった。しかしリーダーのリゾットだけは仕事柄アジトにいる時間が長く、結果として二人と多くの時間を過ごした。リゾットは表情に乏しいものの、教養に裏付けられた豊富な話題を持っており、何かにつけて疑問の絶えないギアッチョの質問に対しても、頭の回転の速さ故に話が飛びがちなメローネに対しても、その場で必ず適切な答えを出した。リゾットが食事を作る時もあり、彼の故郷シチリアの名物であるカジキの煮込みの味は、二人を驚かせる程の出来だった。

 二人はリゾットの手によって、人生ではじめて衣食住と所属の欲求とを同時に叶えられたのだ。やがて、暗殺チームが自分達に与えられた最後の居場所である事を、二人は心で理解した。

 暗殺計画が実行段階に入ると、いよいよ二人も現場に連れ出される事が決まった。メローネもギアッチョも、それには一も二もなく頷いた。直接的に殺しを手伝う必要は無いと言われつつも、一刻も早くチームの仕事を知りたかったのだ。

 その時のターゲットは、ある裁判でパッショーネに不利な証言をする予定のあった廃棄物処理工場の経営者であった。ボスからの依頼は『裁判の前に、なるべく残酷な方法でターゲットを殺せ』というものだ。沈黙を破った者に与えられる制裁がいかなるものか、社会に知らしめるためである。

 ホルマジオとイルーゾォは軍警察の監視下にあったターゲットの家から、難なく男を誘拐した。男は瓶に詰められたまま、鏡の世界を抜けてリゾットのもとに届けられたのだ。そのトリックはスタンド能力を持つ者のいない軍警察に、永遠に解けない謎として残った。

 リゾットは男の経営する廃棄物処理工場を制裁の場所に選んだ。深夜、ネアポリス郊外にある工場には誰一人としていなかった。だが本当はいなかったというよりも、いなくなったと言ったほうが正確で、警備に当たっていた数名の軍警察官は、ソルベとジェラートの手によって既に射殺された後だった。危機に瀕した若い軍警察官達の行動など、元軍属の狙撃手二人には手に取るように分かるのだ。リゾット一行が廃棄物処理工場につく頃には、ソルベとジェラートは鼻歌交じりに仕事を終えて、さっさと何処かへ引き揚げていた。

 暗殺の舞台に同行したのはプロシュートとメローネ、ギアッチョの三人で、プロシュートの言葉を借りれば、「アイツがわざわざ手を下すのは珍しい。」「お前らへの教育も兼ねてるんだろ。」ということだった。

 リゾットは三人に言いつけて男を作業台に括り付けると、男が失神するのを避けるため、その口に興奮剤のアンフェタミンを詰め込んだ。更に両の腿をそれぞれロープできつく縛ると、その下を斧で迷いなく叩き切った。止血されている男は死ぬこともできず、叫び声を上げた口は、リゾットの能力によって釘で隙間なく縫い止められた。

 男のくぐもった呻き声は家畜の鳴き声を思わせた。血の匂いはあっという間に充満し、失禁したらしい男の体液と工業油の匂いとで、現場は地獄の様相を呈していた。

 リゾットは男に構うことなく、無言でプロシュートに目配せをした。プロシュートは黙ってシースナイフを手にすると、男のシャツを縦に切り割きその肌を晒した。

 次の瞬間、男の腹からはバールが勢いよく飛び出した。その釘抜きは腹わたを一緒に引きずり出したらしく、男は自分の口が裂けるのも構わずに絶叫した。

「騒ぐな。腸に痛覚は無いだろう。」

 リゾットはそう言うと、男の体から腸ごとバールを引き抜いた。男は生きたまま腸を引きずり出され、身体を戦慄かせて泣き叫んだ。白んだ内臓は湯気を纏っており、引き出される最中には時折ブツブツと妙な音を立てた。

 リゾットは天井クレーンのフックを作業台まで下ろすと、腸を引っ掛けたバールをその先に括りつけた。プロシュートがクレーンに連なる鎖を引っ張ると、クレーンのフックが軋みながら持ち上がるのに釣られて、男の臓器はみるみる外へと露出した。

メローネとギアッチョは、リゾットの背中を瞬きすることなく見つめ続けた。その間、身体は微動だにしなかった。二人は金縛りにあったように、全く動くことができなかったのだ。

 長らく闇医者の下に世話になっていたメローネにとっても、物心ついた頃からストリートでのリンチを間近にしていたギアッチョにとっても、血は日常的なものだった。人間の残虐さは二人の生活に馴染みの深いものであり、決して特別なものでは無かった。それでも身体は凍りつき、恐怖はみるみる身体の中に堆積した。二人の恐怖を煽ったのは他でもなく、その所業がリゾットの手によって行われたという事実だった。

 自分達に新しい寝床を与え、自分達の存在をこの世で初めて認めてくれた男。自分達にパンと仕事とを分け与えてくれた慈悲深い男。その男が、これっぽっちの憐憫も見せず、他人に苦しみを与えているその事実。

 二人は血の鉄錆臭い匂いを肺いっぱいに吸い込みながら、リゾットの行為を凝視し続けた。そして彼が、本当の殺し屋であることを理解した。この仕事をこなすだけの能力があるということは、狂人であることのこれ以上ないほどの証明なのだ。

 リゾットは男の瞳孔が開き切っている事を確認すると、その舌をナイフで切り取って、釘で胸に打ち付けた。

「……これで終わりだ、帰ろう。あァ、折角だから何か食って帰るか?」

 男のシャツで手についた血を拭ったリゾットは、無表情にメローネとギアッチョを振り返る。それはまるで、ほんとうに軽い用事を済ませた後のような風情だった。二人は暫く口を開くことが出来なかった。

「どうした?」

「「……。」」

プロシュートは黙り込んだままの二人の顔を見て、苦笑いしながらこう言った。

「ようこそ、暗殺チームへ。」


Harder Better Faster Stronger


「ギアッチョ、飯行かないの?」

「あ〜。」

「冷蔵庫には何も無いんだよ?」

「ん〜。」

「ねえ聞いてる?それとも何か買ってくる?」

「う〜ん。」

 ギアッチョがこうしてモタつく姿は珍しい。大抵の場合、仕事熱心なあまり食事を疎かにしがちなメローネを、ギアッチョが無理やり外に連れ出すのが常なのだ。

穏やかな昼下がりの静かなアジト。メローネは親友の異常行動に、すっかり手をこまねいていた。

「……もう俺ひとりで行っていい?」

「あ〜、ん?いやちょっと待て。」

 ソファに寝転んでいたギアッチョは、親友の最後通告によってようやく重い腰を上げたらしい。腹筋を使ってバネのように上体を起こし、隣からじっとりとした視線を送ってくるメローネとようやくその碧い目を合わせる。

 ギアッチョは昨晩、珍しくプロシュートと仕事へ出かけていた。早朝にアジトへと戻り、仮眠をとっていたところだったのだ。眼鏡を外した所為で年齢よりも幼く見える顔は、まるで追いすがる様におたおたとメローネに近づこうとする。

 だがメローネは、起き上がった親友の表情が僅かに曇っていることを見逃さなかった。

(う〜ん、これは仕事で何かあったのか?ただプロシュートにしごかれたって訳じゃあなさそうだ。)

 ならば真相を突き止めて、ストレスを解消させてやるのが親友たる自分の役目である。メローネは起き上がりかけた親友の腹目掛けてダイブすると、その上に勢いよく跨った。

「うおッ?!」

「ギアッチョ!何か悩んでいるなら言ってみろ!俺達の間に隠し事なんて無しだぜ!」

「突然なんだよ!退け(ひ)!」

 メローネはギアッチョよりも身長が高く体格が良い。普段から真面目に鍛えているギアッチョよりも、遺伝的要素によって筋肉もつきやすい。ギアッチョはその事実を思い知らされるのが内心気に入らないのだ。だがメローネは親友の心の機微を知っていて尚、態と体重をかけてのし掛かる。

「いいや嫌だね。お前が話してくれるまでッ!俺はどかないッ!さァ吐けよギアッチョ!なァ!」

 メローネはギアッチョの両手首をひとつに纏めて片手で掴んでしまうと、容赦なくその身体を擽りだす。ギアッチョは痛みに対して超人的な耐性を持っているが、くすぐられることが凡人以上に苦手なのだ。

「ギャーッ!バカ!やめろ!ファッ、話す、話すから!」

「そうだ、最初から素直に話せば良いんだ!」

手を止めたメローネは拘束していたギアッチョの腕を解くと、その胸にそっと自身の頭を預けた。とくとくと鳴る心音が落ち着くのを待ってから、「さあ話せよ。」とギアッチョを促してやる。

 調子を取り戻しはじめたギアッチョが、途中で何時もの如くキレかかるのを宥めながら話を聞くこと20分。

事の次第は、凡そこんな具合であった。

§

 昨晩のプロシュートとギアッチョの仕事は、組織の資金係のひとりを暗殺することだった。二人はターゲットを問題なくポッツォーリの廃工場へと追い詰めた。二人がターゲットをさっさと殺してしまわなかったのには理由がある。今回の仕事には殺しのほか、その男から情報を抜き出すことが含まれていたのだ。

 犯罪組織には、資金洗浄がつきものである。

 パッショーネとて例外ではなく、代理人やペーパーカンパニーを通じて世界中の銀行にアクセスし、日々資金洗浄を行っている。汚れた裏金は凡ゆる国の司法をかい潜り、いくつもの段階を経て濾過され、洗浄されるのだ。この一連の流れに深く関わっているのが専門家たる資金係だが、今回のターゲットはあろう事か、組織の金に手を付けていた。それだけではなく、抜いた金の一部が敵対しているシチリア系マフィアに流れていた形跡すらあったのだ。流れた金は既に回収不可能だが、資金係の頭には情報が残されている。二人に与えられた指令には、代理人名義で開設されているであろうシチリア系マフィアの、複数の口座番号を吐かせることが含まれていた。

 拷問を伴う仕事はそれ程多くは無い。ギアッチョがプロシュートに同伴する事になったのは、リゾットの教育的配慮によるものだった。ギアッチョの殺しの技術は速攻性が高く有能だが、できる仕事に幅をもたせた方が良いというわけだ。

 暗殺チームの中で最も拷問が得意なのはホルマジオである。リトル・フィートの能力は、凡ゆる物を拷問装置に変えてしまう。フライパン、小瓶、虫、剃刀、生活の中でありふれたものが、対象を恐怖のどん底に叩き落とす。ホルマジオの言葉を借りるなら、まさに「頭と鋏は使いよう。」だがその拷問は、他人には決して真似のできない芸当だ。一方でプロシュートの拷問は、スタンドに拠らないある種一般的なものだった。よって今回、珍しく二人は一緒に仕事をすることになったのだ。

 ギアッチョの目の前で、プロシュートは眉ひとつ動かす事なく、職人が粛々と目の前の仕事をこなす様な手捌きで、男に的確に苦しみを与えていった。だが男は二人の予想を上回る忍耐強さで拷問に耐えた。沈黙の掟を破った後の報復に対する恐怖からなのか、人質でも取られているのか、プロシュートによって利き手の指をすべて落とされても、耳を削がれても、ネイルガンで睾丸を撃たれても、まだ口を割らなかったのだ。

「どうするんだよ、プロシュート。」

「ン、まあ良い。少し手伝え。」

 そう言ってプロシュートは、身体の自由を奪った資金係を作業台に載せると、その頭をおもむろに万力にかけはじめた。材木を挟むための万力は、限界までハンドルを回せば800kg以上の負荷を対象に与える事が可能な代物だ。男は近い将来自分に起こりうる最悪の結末を想像したらしく、残された渾身の力でもって絶叫した。だが時は既に遅く、プロシュートは首尾よく男の頭を万力で挟みその身体を作業台に固定し終わると、フーッと真っ直ぐ煙を吐いた。アニスの重たく甘い香りがそこら中に振り撒かれる。

「よし、理科のお勉強の時間だ。アンタの頭を挟んでいるのはご存知のとおりの万力だが、この万力を締めれば締めるほど、アンタの頭蓋骨には力が掛かる。で、大事なのはここからだ。この万力を締めると、頭蓋骨の中でも一番、蝶形骨に力が掛かるんだ。蝶形骨って知ってるか?文字通り羽ばたく蝶のような形をしている、こめかみの上のあたりにある小さな骨さ。この骨はな、脳頭蓋を構成する二十二の骨をつなぐ大事な骨だ。そう、つまりこの骨がアンタの脳みその最後の砦って訳だ。蝶形骨が崩れたら、アンタの頭蓋骨は万力の圧力に負けて、たちまちリンゴみてえに崩れちまう。てめえは睾丸よりも脳みその中身が大事だったわけだろ?だったら文字通り中身をぶちまける前に、その大事なおつむに入ってるモノを洗いざらい吐いちまうのが、何よりアンタの為だと忠告しておくぜ。言っておくが、頭蓋骨がちょっと崩れたところで即死できるわけじゃあねえからな。まだまだ苦しみ足りないか?そろそろ言う気になったか?なァ。」

 そう言ってプロシュートは万力のハンドルを勢いよく一回転させた。男が声にならない悲鳴をあげて、陸に揚げられた魚の様にその身体を跳ね上げる。プロシュートは煙草の煙をもう一度怠そうに吐き出すと、ギアッチョに「代われ。」と言ってハンドルを任せた。

――男は計五回、万力の圧力に耐えて見せたが、結局は洗いざらい全ての情報を吐き出した。

 ギアッチョは万力のハンドルを回すたび、男の骨が何か別のものに変わっていくような、奇妙な感覚を味わっていた。硬いと思っていた物に予想もしない弾性があり、ギアッチョに何の感慨も抱かせないと思っていた他人の命が、万力の震えるハンドルを通じて自らの存在を伝えてくる。その感覚は、ホワイトアルバムで氷像に変えた人間をぶち割る時と、全く違う生々しさに満ちていた。

 拷問を受け続けた男は最後、一発の弾丸を脳天に受けて死んだ。

 プロシュートの冷たい瞳は、ベレッタの引き金を引く時も、瞬き一つしなかった。

§

 ギアッチョはメローネを体に乗せたまま、手のひらを開けたり閉じたりしてみる。昨晩此の手は、スタンドを使わずに人の命を削り続けた。

「なんつうかよォ〜こういうかったるい仕事は嫌いなんだよ。殺るならさっさと終わらせてえって思っちまう。分かってるぜ、仕事は仕事なんだってよ。それによォ、スタンドを使わねえ殺しってのも……。」

「分かるよ、きっとプロシュートもそうなんだろう。」

「ああ……。」

 ギアッチョは脳裏にプロシュートの姿を思い浮かべる。何事も「勘だ!」の一言で済ませ、ターゲットを殺す為ならその場に居る全員にスタンド能力をふるうことも厭わない、チームきっての容赦なき暴君。どう考えても拷問などというまどろっこしい仕事が得意だとは思えない。

 だが昨晩のプロシュートは、自分の性格を完全にコントロールし、キッチリと仕事をしてみせた。好き嫌いは関係なく、やるべき事だけを無駄なく行う。自分もいつか、そうなるのだろうか?

「でも別に、プロシュートの真似をしなくちゃならない訳じゃあないと思うぜ。」

「ン?」

「ギアッチョはさ、いつだって自分の能力を使って良いんだ。俺はアンタの能力を世界で一番綺麗だと思ってる。絶対零度の静止の世界で、動けるのはギアッチョだけ。格好いいよ。拷問だろうが何だろうが、ギアッチョがやりたいようにやれば良い。大事なのは結果だからな。」

「そうかよ。」

「そうさ。な、良い仕事の資本は身体なんだぜ。鍛えても良質な蛋白質を摂取しなけりゃあ筋肉もつかないしな。飯にしようぜ。俺、行きたい店があるんだ。たまにはフレンチビストロでワインっていうのも良いだろ?な?」

「ああ。……なんつうか、悪かったな。」

メローネは笑ってギアッチョの身体から離れると、親友の前に手を差し出す。ギアッチョはその手を取って、ようやくソファから立ち上がった。

「そこは何が美味いんだ。」

「ええとね、仔牛の脳味噌のバターソテーがベネ!」

「チッ!ふざけやがって!」

 ギャハハと笑うメローネの尻を軽く蹴飛ばしたギアッチョは、眼鏡をかけて世界を見る。

殺風景なアジト、チームのメンバーそれぞれが残していった生活の痕跡、ストロベリーブロンドの親友の髪。自分が生きる場所の風景を、じっと網膜に焼き付ける。

ここに居たいと思うなら、自分はどんな事でもしなくてはならない。リゾットもプロシュートも、己の成長を望んでいる。

(その気になりゃあ、やってやれねえ事はねえ。)

――ここは世界でただ一つ、自分を受け入れてくれる場所なのだ。


ワーカホリック


「ふァ、ううう〜ン……。」

「おい気色悪ィ声だしてんじゃあねえぞメローネ!」

「だってディモールト痛いんだ。ウッ、もう少し丁寧にシてくれないか?頼むから。」

「うるっせェなァ〜、テメーもギャングだろ!歯ァ食いしばれ!」

 早朝のアジトの浴室で、ギアッチョは両手を血で濡らしながら親友の裂けた脛を縫っていた。これは非常に珍しい事だ。何しろギアッチョのスタンドとは違いメローネのそれは遠隔自動操縦型である。ターゲットに近づく必要もなければ、スタンドの受けた攻撃が本体に影響を及ぼすこともない。通常であれば、メローネが怪我をする可能性は限りなくゼロに近いはずなのだ。しかし今回、メローネの片脚をブラインドの様になるまでズタズタに裂いたのは、あろう事かベイビィそのものだった。

 メローネは自身の暗殺の成功率を高めるため、研究と称して毎週数人のベイビィを生み出しては、無差別に人を殺している。人殺しの才能を持ったベイビィを何度でも確実に生み出すこと、それに必要な条件を見つけることがメローネの目下の課題である。そのためメローネは常に仮説を立て、それらを立証するための地道な努力を少しも惜しんだりはしなかった。

 今夜も適当に選択した男の血を使い、それに合致すると思われる女に受胎させてベイビィを生み出したのである。実際、途中まで教育は順当に進んでいたのだ。ところが成長著しかったベイビィは、ターゲットを殺した後に突然メローネに反旗を翻した。それはまさに反抗期そのものといった荒ぶり方で、つい興味本位で消すのを先延ばしにしていたら、結局ベイビィはメローネへとその牙を剥いたのだった。

ギアッチョがベイビィを凍らせてくれなければ、メローネが強制終了のボタンを押すのが後少しでも遅れていたなら、メローネの脚は今頃バラバラになっていたかもしれない。

「いやァ深さ3.5mm以上の切創をつくるなんてここ4年10ケ月以上無かったからね、久々に思い出した。

あァ〜、何だかハイになって来た。ギアッチョは俺に縫われている間、いつもこんな感覚なんだな。アッもうフワフワしてきた、勃っちまいそう~。」

ギアッチョは舌打ち交じりに黙々と手を動かしながらも、メローネの飄々とした様子に内心で安堵していた。ベイビィの教育が失敗し、さらにメローネ自身を傷つけたのだ。その結果に落ち込んでしまわないか、ギアッチョなりに心配していたのである。

だがこの饒舌さなら、きっと大丈夫だろうとギアッチョは思った。メローネは本当に感情が振り切れた時、自分の世界へと完全に閉じこもってしまう癖がある。虚無の底から親友を引きずりだしてやるのには、それなりの時間と技術を要するのだ。

「ア〜、何が悪かったんだろう。組み合わせは合ってる筈なんだ、水瓶座のB型に射手座のAB型。母親は跳ねっ返りの強そうな女で酒も煙草もドラッグもやってたし、男を手玉に取るタイプ。もしかして組み合わせが良すぎたのかァ〜?」

「おい喋りながら身体を揺らすんじゃあねえよ。危ねえだろ。大体、前から思ってたがその組み合わせって何なんだ?ソースはテメエの殺しの実績か?」

「ああすまない。いいや、調べたんだ。過去45年分の我が国の殺人事件の被害者と、加害者の基本的なデータをさ。」

「ハ?全部か?」

「うんほぼ全部。軍警察のデータベースから情報を抜いて、ベイビィ・フェイスに叩き込んだ。」

 ギアッチョは針をメローネに刺しこみながら暗算をはじめる。年間800人の殺人事件が登録されるとしてそのうちの検挙率が60%、45年分積み重ねると約2万件の犯罪者と被害者の組み合わせのデータが取れる。想像するのもうんざりする様な数だが、メローネはそこから何か有為な差を見出したという事だ。ギアッチョはメローネのそういう根性を素直に尊敬している。

「まあでも最近の成果を見る限り、データとしては不足なんだろうなァ。もっとデータとサンプルが必要なんだ。データの参照範囲をイタリアだけじゃなくて欧州全域に変更するよ。まずは20年分かなァ。やることいっぱい。ハ〜ッ!」

「怪我を治すまではデスクワークに専念するんだな。俺はオメエを頼りにしてんだからよ。」

 ギアッチョは血濡れの脚から片時も視線を離さず、親友に肯定の言葉を伝える。細かい作業は得意とは言えないが、今は一生懸命に傷を癒そうと奮闘中なのだ。醜く裂けた皮膚に針を刺し、肉の内側を曝け出して拡がろうとする傷口を縫い止める。ギアッチョは他人がどんな風に死のうが御構い無しの殺し屋だが、親友の怪我はどうしたって治してやりたいと思うのだ。

「グラッツェ、ギアッチョ。何もかも。」

 ブルーの巻き毛がギアッチョの小さな頷きに合わせて微かに揺れる。目の前の作業に集中しているその姿はメローネからすると隙だらけだ。一方でメローネの脚はギアッチョにしっかりと掴まれている。互いを即刻殺してしまえるような距離で、二人は相手に自分の身体を預けていた。

 ふと、けたたましい足音が浴室に近づいてくる事に気がついたメローネは、ギアッチョの丸い頭から視線をドアへと引き上げた。

「よォ、クソガキども。リゾットから聞いたぜ、怪我したらしいじゃあねえか。自分のスタンドにやられるとは世話ねェ奴だな。」

 浴室に顔を出したのはプロシュートだった。仕事ではなく私用でアジトを訪れたのか、普段よりもカジュアルなシャツとスラックス姿だが、相変わらず高級そうな衣類を纏っていることに変わりはない。

「ヤニ臭えぞジジィ。」

「プロシュートと違って俺のベイビィは繊細なんだよ。」

「可愛くねえ奴等、朝飯持ってきてやったのによ。」

咥え煙草をぴょこぴょこと動かしながら喋ったプロシュートは、片手に掴んでいる紙袋を二人の前に持ち上げてみせた。近くのカフェのカルツォーネだろう。焼けたチーズとベーコンの香ばしいかおりが瞬く間に浴室に広がり、生臭い血の匂いを打ち消していく。

「それを先に言えよ!」

「そうこなくてはな!」

現金な若者達が表情を一気に輝かせたのを見て、プロシュートは思わず眦を微かに下げる。腹が空くのは良い事だ。この悪童二人には、生きることへの強い執着がある。

「片付けたら食堂に来い。飯は逃げねえからな。それからリゾットにちゃんと報告しろよ。」

「はァい。」

「おう。」

プロシュートの背中を見送ると、丁度よくメローネの傷を縫い終わったギアッチョは糸を切り、その脚に殊更丁寧に包帯を巻いてやる。

「終わった。肩貸すぜ。」

「うん。」

 やがて二人は支えあいながら浴室を後にした。いつもならギアッチョがメローネの肩を借りるところだが、こんな日があってもいいかとメローネは思う。それもみな、失敗した自分にすら価値を認めてくれる親友のおかげである。早くデータの収集と分析に取り掛かり、研究に戻らなくては。そして、良い仕事により自分達の居場所を守るのだ。メローネは食堂までの僅かな時間に思いを巡らせる。

 近づいた食堂の開け放たれたドアからは、エスプレッソの香りと共にプロシュートとリゾットの会話が漏れてくる。

 身体は資本だ。良い仕事の為には食事と休息、それから仲間との会話によるストレス発散が欠かせない。

暗殺者とて、それは同じ事である。



レッスン


「メローネ伏せろッ!」

 プロシュートの怒号を聞いたメローネが、「え、何?」と問いかける間も無く、弾丸はメローネの左の毛髪を切り裂いて背後へと抜けていった。プロシュートがスタンドをブチ込んだ筈の標的が、死にかけながらも一矢報いようと引金に手を掛けたのだ。

「バカ野郎!ボサッとしてんな!」

 標的にトドメを刺したプロシュートが、額に青筋を立てながらメローネに叫ぶ。

「ワオ。ディモールトこわい。」

 左右非対称になってしまったストロベリーブロンドを撫でながら、メローネは(これだから現場は嫌だよなァ〜ッ!)と、内心溜息を吐いていた。

 メローネのスタンドは自動操縦型であり、ベイビィさえ上手く育てられれば現場に出る必要が無い。だがごく稀にこうして他のメンバーと現場に出る必要があり、そうするとメローネ自身は丸腰の状態でその場に居なくてはならなくなる。だが実戦経験が少ない分、危機感が他のメンバーより薄いのだ。

§

「俺、あんまり銃って触った事無いんだよなァ〜。」

「練習しろ。ナイフより初心者には向いてる。」

 キレたプロシュートに射撃訓練に連れて行かれたものの、射撃の腕は散々である。何かコツは無いのかと、隣のブースでベレッタを撃ちまくっているプロシュートに声を掛けても、「ンなもん勘だ!」と返され話にならない。

「頭を狙いたけりゃこう!心臓を撃ち抜きたけりゃこうだ!わかったか!」

 プロシュートは流石に面倒見が良い性格で、メローネの手を取り熱心に教えてはくれるものの、指示に具体性が無いから理解ができない。メローネにとってその指導には、精々プロシュートの顔が良い事を再認識するくらいの効果しか無かったのだ。

「ねえどう思うギアッチョ〜!!脳筋すぎるよプロシュートは〜ッ!!」

 アジトに戻ったメローネは、ソファで雑誌を捲っているギアッチョを見つけるなり、プロシュートの勘に翻弄されて終了した射撃訓練の一部始終を語り出した。

「あのジジィが脳筋だってことには概ね賛成だが、」

「だが?」

「プロシュートの勘がよく当たるってのは本当だぜ。行動を起こしてすぐにフィードバックを得られる様な経験で勘は育つからな。俺やプロシュートのような手ずから殺しにかかるタイプは、成功か失敗か、結果が直ぐにわかるだろ。殺しの勘が育ちやすいんだよ。ま、射撃だって同じようなモンだ。」

「なるほど、俺のベイビィ・フェイスはベイビィが上手く育ったかどうか、上手く殺せたかどうかのフィードバックが遅いのか。」

「遅いとは言わねェまでも、そのベイビィが成功作か失敗作か分かりにくいのは確かだぜ。微妙な殺ししかできねえ失敗作でも、殺せてりゃあオメェには分からねえからな。」

「ウーン、なるほど。俺がデータを集めまくってベイビィに叩き込んでいる事には意義があるわけだ。俺のスタンドは、勘よりも統計による分析と予測というアプローチが向いてるって訳ね。」

「ま、そうだ。だが射撃はスタンドの特性とは全く別の問題だぜ、我慢して練習しろよな。」

「うぅ〜ん、ディモールト面倒くさい。やっぱりさ、現場に出る時は必ずギアッチョとペアにしてもらうよ。ギアッチョといれば安心だからな。」

「よく言うぜ。」

メローネは、カラカラと笑ったギアッチョの膝に頭を乗せる。

そうは言っても親友に心配をかける訳にはいかないから、(明日もまじめに練習するかァ。)と思うメローネなのだった。



アマチュア


「ねえリーダー、やっぱりプロシュートの射撃指導は全然分かんない!もっと他に上手な人っていない〜ッ?」

 初めての射撃訓練から約一ヶ月、メローネはいよいよ音を上げつつあった。プロシュートは経験に基づく優れた勘により、実践においては銃器の扱いに非凡な才を発揮している。だがプロシュートはその感覚を、メローネに伝えきることが出来ていないらしかった。リゾットはアジトのソファに浅く腰掛けてメローネの仏頂面を眺めつつ、(これは妥当な結果だ。)と内心では思っている。問題は両者の性格の違いに起因しているのだ。どちらか一方だけが悪いという事ではなく、要は、チャンネルが合っていないのだ。出力側の周波数対受信側の周波数が異なるが為に、情報が正しく伝達されていないのである。とはいえ組織の長として、そろそろ二人にも手を差し伸べてやらねばなるまい。我らがチームには射撃についてより適切な指導者がいるということを、リゾットは良く知っていた。

「プロシュートも充分手練れだが、まあ、そうだな。教え方まで上手いとなると、ソルベとジェラートだろうな。二人とも元はイタリア陸軍の狙撃手だ。」

「そうなの?じゃあ800m先の標的を1発の弾丸で仕留めたりするわけ?」

「問題ないだろうな。だが仮に仕損なっても、もう一人が控えているのが狙撃というものだ。例えばの話だが、800m先の標的を一発で仕留めることが出来なかった場合、狙撃手が次の弾を撃って標的に着弾させるまで、約2秒の時間が掛かってしまう。だがその間に標的は動いてしまうから、逃げられることを避けるために、ソルベとジェラートはいつもツーマンセルで動いている。」

「そうだったのか!あいつらはいつでもどこでも運命共同体ッて訳ね。」

「まあ、お前に必要な技術は遠距離射撃のそれではなく護身のための近距離射撃だが、二人は良い先生になるだろうよ。特にジェラートはな。」

 リゾットはそう言うとエスプレッソを飲み干して、仕事の為にアジトを出て行く。

「ジェラートって、そんなに教え方が上手なのかな。」

 メローネは鳶色の髪をした小柄な男の姿を思い出す。いつもソルベと二人で行動し、心の読めない笑顔を顔に貼り付けている男。元軍属とは思えぬ軽さで冗談を口にする日もあれば、容赦なく人の頭を撃ち抜いたり、人の皮を足首から剥いだりする男。

 だが数日後のメローネは、リゾットが微かに笑って放った言葉の意味を、骨身に染みて理解する事になったのだった。

§

「指に力を入れるな。引き金は引くものじゃあなく絞るものだって何度も言っただろ?おい、右肘を上げて反動に備えろ。脇を締めて立つのは足場が良い時だけだ。実戦ではやるな。腕がキツイのは鍛えていない証拠だぞ、恥を知れ。ああ〜、息を止めすぎだ。呼吸を止めて照準を完了するまでは3秒以内にしろ。呼吸を止めたらそれだけ視力が落ちるんだ。テメエは目が悪いんだからな、俺たちの目なら4秒待てるが、テメエの目玉の無呼吸運動の限界は3秒だ。身体に照準の感覚を叩き込め。おい、撃ってすぐに緊張を解くのはバカがやることだって言ったよな。いいか?弾は見送るものだ。そうでなけりゃあいずれ緊張を解くスピードが早まって、発射寸前に身体が緩んで弾道を逸らしちまうようになるんだからな。なあおい分かったか?分かったら返事をしやがれ。ホラ、ぼんやりするな。基本姿勢を取れ、もう一度やり直しだ。」

(酷えスパルタ~ッ!俺はブートキャンプに来たわけじゃあねえんだよ~ッ!)

 ジェラートの射撃訓練は、極めて厳しいものだった。だがその指導は流石に的確で、メローネの射撃技術は約二時間の訓練で飛躍的に向上したのである。

「ディモールトベネ、見違えるほどに当たるようになった。」

「まだまだだがな、ソルベの的を見てみろよ。」

「ゲェッ!」

 隣で黙々と射撃を繰り返していたソルベの的は、心臓と眉間にのみ綺麗に穴が空いている。一発で確実に標的を殺す為の技術。二人の磨き上げられた射撃の技術は圧倒的である一方で、メローネの頭に、ある疑問を投げかける。

「これだけの技術があって、なんで陸軍をやめちまったんだ?今のスタンド能力に関係なく、随分重宝されたんだろ?」

メローネの無邪気な質問を聞いたジェラートは、ベレッタに9ミリ弾を詰めながら乾いた笑いを零した。

「ソルベと俺は7年前、イタリア軍籍のまま多国籍軍に参加して、湾岸戦争に行ったのさ。それはもう、滅茶苦茶に殺した。殺して殺しまくって戦果をあげて、イタリアに帰って来た途端、精神科医は俺たちの事を異常だと言いやがった。俺たちが『人を殺すという行為自体に興奮を覚えるサイコパス』で、精神的にオカシクなってるってよ。まったく馬鹿にしてるだろ?俺たちは仕事を真面目にやってきただけだぜ。」

「それで退役?」

「二人仲良く名誉除隊さ、ただし精神科医のモニタリング付き。ふざけてやがる。異常なのは世界の方だろ?アメリカ様は約一ヶ月半の間に、一発140万ドルのトマホークを40発もイラクの市街地に打ち込んだ。俺たち多国籍軍の死者は約四百人、一方でイラク兵の死者は約二万人、一般市民の死者も三千人規模だ。これは戦争じゃあなくてただの嬲り殺しだろ。つまり最も優れた殺しのプロは、アメリカ合衆国大統領様ッて訳さ。俺から言わせれば、俺たちよりもずっと、ホワイトハウスにいる連中やそれを見ていた世界の方が狂ってたんだ。あの時は、世界中がイラクでの殺しを容認したんだからな。」

「昔の人は良いことを言ったぜ。」

ソルベがポツリと呟いたので、メローネは後ろを振り返る。

「一人殺せば犯罪で、百万人殺せば英雄となる。数が殺人を神聖化する。」

「なあメローネ、歴史の上では、大規模な殺しはいつだって単なる事業なんだぜ。その意味で、俺たちはまだまだアマチュアなのさ。殺しのプロになりたきゃあな、俺たちはもっともっと殺さなくちゃあならないぜ。より異常にならなくちゃあ駄目なんだ。

この『ヘーワ』な世界と同じくらいに、異常にな。」


仕事は終わらない(されど今日という日は終わる。)


『メローネ、ターゲットを殺しました。どうしますか?』

「ベネ!お前は最高のベイビィだったよ。ありがとう。」

 ベイビィ・フェイスに小さくキスを投げたメローネは、静かにデリートボタンを押す。ターゲットもベイビィもボタン一つで消滅だ。

 メローネはギアッチョのフラットのシングルベッドから少しも動く事なく、きわめて安全に今日の仕事を終えた。家主は別件で外出中だが、あちらもそろそろ仕事を終える頃だろう。

「今夜はどの映画を見るかなァ~。イーストウッドでも観るか、いや、クロサワもいいな。」

 伸びをして膝に置いたベイビィ・フェイスを片付けると、ベッドに投げ出された自身の脚が目に入った。今日は着慣れた衣装ではなくギアッチョのシャツとハーフパンツを借りていたから、すんなりした真っ直ぐな脛が見えている。そこに残っている、白く乾いたケロイドも。

 砂の上で蛇がのたうち回ったような傷跡は、数年前、コントロールしきれなかったベイビィにやられたものだ。その時はめちゃくちゃに斬られた傷口を、親友が一針一針慣れぬ手つきで縫い止めた。

 メローネは膝を体に寄せると、静かに掌で傷口を摩る。

 今はもう、あんな風にベイビィの教育にてこずることも無いし、怪我をさせられる事もない。ベイビィは概ねメローネのコントロール下にあり、母胎とターゲットの相性から、生まれてくるベイビィの性格もある程度は予測可能だ。

 それも全ては研究の成果である。今のメローネはいつだって、確実かつ安全に仕事を遂行している。

 ベッドの上の携帯電話が震えだした。メローネは脚から視線を移すと、携帯電話を直ぐに手に取る。

「プロント。」

「メローネ、首尾はどうだ。」

「さっき終わったところ。そっちは?」

「終わった。全部吐かせたぜ。」

「ベネ!お疲れ様〜。」

「2時間もすりゃあ其方に着く。飯を何か買っていくが、おまえ、何が良い?」

「ウ〜ン……、ふふ。カルツォーネかな、カルツォーネが食べたい。ベーコンと卵がたっぷり入ったやつ。ついでにビールも頼むよ。」

「分かった。」

「グラッツェ、ギアッチョ。」

「じゃあまた。」

 ギアッチョは電話越しのリップ音を聞いてから携帯を切った。裕福な商人だったターゲットは、自身の別荘の浴室で凍死している。腹の中に氷を詰められたまま何度も激しく殴打され、知っている限りの情報をすべて搾り取られた後で、男は死んだ。

「カルツォーネ、な。」

 それならアジトの近くに良い店があるのを知っている。

 ギアッチョはボロ切れの様になった死体を眼下に、血の匂いを嗅ぎながら今晩の夕飯の事を考える。

――ネアポリスが恋しい。

 ビールを飲んで美味い飯を食べ、映画を観ながら親友と下らない話をしたり、優しい沈黙を共有したりする。そうして微睡んでいるうち夜は更けて、また新しい朝がやってくる。

 一人殺して自分の命を一日伸ばす。それが暗殺者の業である。そして仕事がある限り、暗殺者は決して死にはしないのだ。


ANGER IN THE ICE


 物心ついた頃には、ギアッチョは既に己の特別な能力の事を理解していた。そして自分の孤独な身の上についても、小枝の様に痩せた身体で、うんざりするほどの実感をもって受け止めていた。しかしだからといって、自身に降りかかった理不尽な運命に対し、怒りを抱かなかった訳ではない。寧ろ事実を冷静に理解し飲み込んだ事で、身体の内側には燃える様な感情がいつでも沸々と滾っていたのだ。

 聞いた話によれば、自分は小雪の散る夜、“Fyrirgefdu(ごめんなさい)”と書かれたメモと共に、教会の前に放り捨てられていたのだという。その時ギアッチョは生後数ヶ月と思しき赤子であり、不運なシスターがその姿を見つけた時には、不思議と雪は、ギアッチョの周りにだけ積もっていたのだという。

(……母親は、俺の産声を聞いて死んだのだろう。俺を育てようとした奴もまた、俺の夜泣きで死んだのだろう……。)

 幼いギアッチョは、感情の昂りに伴い文字通りに凍りつく世界を眺めては、自分の能力の最初の犠牲者達の事を想像した。能力のお陰で、ギアッチョは生まれた時から忌み嫌われる存在だった。5、6歳の頃には既に6つの孤児院を転々としていたし、叩き出されて帰る家が無い時は路上で眠った。不運にも、呪われた子供を抱えることのできるスタンド使いの大人に、ギアッチョは出会うことができなかったのだ。

 レストラン裏のゴミ箱を漁り、ダンボールを重ねたベッドに横になる。帰る家が無いのは辛い事だ。今日、どこで雨露を凌げばよいのか悩む事は苦しい事だ。避けるべきは自然の猛威だけではない。腹を空かせた野犬の牙や、ストリートキッズ達による憂さ晴らしの暴力。あらゆる社会の理不尽さから、己の身を守らねばならない。条件の良い寝床はいつでも浮浪者達の覇権争いに晒されており、幼い痩せっぽちのギアッチョには到底手が届かなかった。

 だがやがてギアッチョは、自分の能力を活かす方法を身につけていった。自分の身を守る為に、氷で壁を作るようになったのだ。

 家が欲しいと強く願う。安心して眠れる家が欲しいと、強く強く願う。すると周囲の空気は急激に澄んで静まりかえり、大地からは氷の壁が生まれ始める。ガラスをぶつけ合うような透明な音を立てながら、水晶のような氷壁がギアッチョの周りに一息に立ちあがってくるのだ。やがてそれは小さなドームになり、ギアッチョの姿を完全に隠してしまう。ギアッチョはこの壁のおかげで、吐瀉物とゴミに溢れた路地裏であっても、雨風や理不尽な暴力から逃れることができた。氷壁は暑い日には自然の冷房に成り得たし、寒い日にはしっかりと風を凌いでくれた。氷の中でギアッチョは、空腹を抱えながらひとり浅い眠りにつく。

(……確かにこれは家屋だ。だがこれは家ではない。俺は家が欲しい。本当は、もっと温かな家が。)

§

「しかしギアッチョのスタンドって変わってるよなァ~。スーツ型のスタンドって、他に見たことないよ。」

「これは耳じゃあねえ、風の乱れを抑えるためのフィンだ。車にも時々、付いてるだろ。ちゃんと機能があんだよ。風の乱れはスピードを落とす原因になるし、それに風切り音が煩くなるからな。

「エッ、そうなの?」

 メローネの驚嘆に対し小さく頷いたギアッチョは、肩で息をしながらホワイトアルバムを解除する。氷の装甲は静かに水蒸気へと変幻し、星の散る墨色の空へと立ち昇っては溶け消えていく。2000mもの距離を全力に近い速度で走った全身の血液は沸騰し、心臓は滅茶苦茶に跳ねている。疲れのあまり、真っ直ぐに立つ事すら難しい。両膝に手を置いて身体を支え、なんとか息を整えようと深い呼吸を繰り返す。

 ギアッチョは自身の身体能力が殺傷能力に直結するが故に、夜中の走り込みを日課にしている。日々の鍛錬が自分の命を守るということを、嫌という程知っているからだ。

「あ〜ッ!畜生ッ!今日は疲れたぜ。鍛え方が足りねえなッ。」

「そうは言っても仕事の後に走ってるんだからな、スタンドパワーの消費が激しいんだろ。」

「仕事が続くことだってあんだろうが。ア〜ッ、いや、もう駄目だ……、今すぐ寝てェ。」

「ここからならアジトの方が近い。後ろ乗れよ。」

 ギアッチョは何とか身体を起こすと、メローネからヘルメットを受け取り、真っ赤なモトグッツィの後ろに跨がった。疲れのあまり親友の背中に寄りかかると、相手は「ワッ、子供体温〜。」と小さな笑いを零す。

「スマン。」

「ふふ、いいよ。早く帰ろうぜ。明日は日曜だからさ、ホルマジオがラザニアを焼くはずだぜ。アジトに泊まるのが丁度良いよ。」

 ギアッチョは親友の腰に腕を回しながら、その言葉を反芻する。

(早く帰ろう、帰ろう、帰ろう……。)

 今の自分には、確かに帰るべき家があるのだ。

――かつてどんなものよりも欲しかった、温かな家が。


それが血となり肉となる


 家庭に縁の薄いギアッチョにとって、『お袋の味』とはそのまま『チームの味』を意味している。リゾットが時折作ってくれたシチリア風カジキの煮込み、プロシュートが得意なミラノの郷土料理オッソブーコ、そして、ホルマジオが日曜のサッカー観戦に備えて焼く、ネアポリス風ラザニア。

「カルチョなんて観てる奴の気が知れねェッ!一点が重過ぎて苛々するぜ〜ッ!」

 そう言って自発的には絶対にサッカー観戦をしないギアッチョだが、ホルマジオがアジトでサッカー観戦をする時だけは、毎度必ずテレビの前にいるのだった。理由は至極単純で、ホルマジオはサッカー観戦の前に、必ずチーム全員の腹を満たすほどの大きなラザニアを用意する。ギアッチョはその味を大層好んでいたのだ。

 様々な部位の肉をトマトで煮込んだネアポリス風のラグーソースとゆで卵、リコッタチーズで作られたラザニアは素朴ながらも力強い味である。味の決め手になるのはやはりラグーソースで、時間をかけて煮込まれるそれは手間暇がかかるために、どの家でも週末にのみ作られることが多いという。

「ラザニアはよォ、ガキの頃はお袋が謝肉祭の時に良く作ってたんだよなァ〜。隣で見てたら作り方を覚えちまってよ。ま、だからコレは俺の家の味なんだが。」

そう言って湯気の立つラザニアをビールで胃袋に流し込むホルマジオは、生粋のネアポリス人である。父は港でコンテナを運び、母は縫製工場で働いて、自分はカーセックス中のカップルを襲ったり、安い麻薬をローマまで運ぶ典型的な不良少年としての思春期を過ごした。

「全くおめえのお袋には感謝するぜ、俺は。」

「イルーゾォ、食う前にまず俺に感謝しろよな。」

「それってラザニアを作ってくれた事に対してか?それとも生まれてきた事に対してか?」

「なあおい、謝肉祭って何だ?」

その一言に、メンバーの視線がギアッチョへと集中する。

「マンマ・ミーア!」

「謝肉祭を知らねえイタリアーノがいるとは!」

「ギアッチョ、それマジで言ってんのか?」

「なんだよ!知らねえよ!」

「お前教会の孤児院に居たんじゃあねえの?」

「ンなもん半年で出ちまった。」

 あそこがどんな酷いところか知らねえのか?と口を歪めて呟いたギアッチョは、勢いよく瓶入りのコーラを飲み干した。日曜のアジトには珍しくチーム全員が揃っており、ホルマジオのラザニアを頬張りながら、ACペルージャを相手にパッとしない試合を繰り広げるSSCネアポリスに対し、それぞれが時折口汚い罵声を浴びせている。

「ギアッチョ、Quaresima(四旬節)を知っているか?」

 それまで岩のように黙りこみ、静かにビールを飲んでいたリゾットが突然口を開いたので、メンバーの視線は一気にそちらへ集まった。

「ハン!神父様のご高説かよ。」

「四旬節?知らねえ。」

 プロシュートの軽口を受け流したリゾットは、ギアッチョの目を見て小さく頷き言葉を続ける。

「復活祭の46日前の水曜日から、復活祭の前日までの期間の事だ。その期間はキリストが荒野で生活した40日間に倣い、食事を節制し娯楽を控える。その四旬節に入る前の最後の宴の事を、謝肉祭と呼んでいる。」

「肉を断つ前の最後のどんちゃん騒ぎって事か?」

「Uante bella giovinezza, Che si fugge tuttavia!

 Chi vul esser lieto,sia: di doman non ce certezza.

(青春は麗しけれど 疾く去り行く

 楽しむ者は楽しめ 明日の日は定めなければ)」

「おいホルマジオ、何だその歌は。」

「ヴェネツィアのゴンドラ乗りが唄う歌さ。元は謝肉祭の為に書かれた詩だ。」

「要は、今を楽しめってことだろ?」

「なんだ!俺たちの得意な分野じゃあないか!」

 メローネはそう言ってギアッチョの肩を揺らし、機嫌良さそうにワインを呷る。

 明日のことは分からない。だからこそ今を生きろ、今を楽しめ。自分達の居場所を守り、生き残る為なら世界中を犠牲にしたとしても構わない。それはチーム全員の生き方に通じる刹那的な思想である。だがギアッチョはラザニアを頬張りながら、ホルマジオに料理を教えたその母の事を考える。リゾットが静かに語る教養に、神父の影を想像する。今を刹那的に生きる暗殺チームのメンバー全員にも、彼らの血肉となった過去が確かにあるのだ。

(俺の過去を作ってくれるのはこのチーム。このチームが、コイツらが、俺の血であり肉なんだ。)

 肉体を傷つけられて怒らぬ生き物は存在しない。もしも自分達を脅かす存在があるというのなら、自分はどんな手を使ってでもその相手と戦うだろう。

―― SSCネアポリスが1点を先制した。

 酒に酔った男達の賑々しい歓声の中、ギアッチョは一人静かに、チーム全員の顔を網膜へと焼き付けている。



さわるな危険


 アジトの浴室は自宅のそれよりも広いので、二人は大抵アジトで互いの髪を染めている。古いフラットの浴室はタイル敷きで、趣きがあると言えば聞こえが良いが、蛍光灯は切れかけているし鏡だってひび割れている。それでも浴槽の広さはありがたいので、二人はボクサーショーツ一枚だけの気楽な格好で、代わるがわる相手の髪を染めるのだ。

 二人はその時の気分で染髪料を選ぶため、仕上がりは毎度微妙に違う色になるし、染め方も決して丁寧ではないから滲んだようにムラになる。夕焼けの様に鮮烈なピンクと、夜明けの様に掠れたブルー。それが二人のトレードマークだ。

 もともと、二人の地毛はブロンドだ。ギアッチョは灰色がかった巻毛の、メローネはバター色をした直毛の持ち主である。ブロンドはイタリア人には珍しいが、ギアッチョのルーツは北欧にあり、メローネのルーツは東欧にある。二人は生粋のイタリア人では無い。

 幼い頃からイタリアに住んではいるものの、一目でイタリア人でないと分かる容姿は、子供時代には恰好の揶揄いの的だった。それ故にメローネもギアッチョも、それぞれ十代にさしかかる頃には装う事を学んでいた。周囲とのギャップが標的になるなら、いっそのこと、もっと派手に目立てば良いのだ。出過ぎた杭は打たれない。だから二人はそれぞれ、自分の好きな色に髪を染めた。

 二人がチームに入ったのは十代の半ば、ほぼ同時期のことだった。二人は互いの奇抜な頭を見たときに、相手の思想を何とは無しに理解した。

 ヤドクガエルやスズメバチのように、毒を持った生き物が派手な色で自らを飾るのと同じことなのだ。

ピンクとブルー。それが二人の警告色だった。

新聞紙を敷き詰めたアジトの浴室で、メローネの左右非対称に切られた髪に染髪料を塗っていく。前回よりも青みがかったピンク色の染髪料は、ギアッチョが適当に見繕ってきたものだ。

 ギアッチョがゴム手袋をはめた手にクリーム状の薬剤を乗せて、メローネのブロッキングされた髪を黙々と弄っている間、メローネ当人は浴槽の淵に腰掛けて、鼻歌混じりにバイクのカタログを眺めていた。

アプリリア、ドゥカティ、モトグッツィ。

どれもセクシーなバイクだが、購入にあたっては少し専門的なアドバイスが欲しいところだ。チームの中で車に詳しいのはギアッチョとホルマジオだが、バイクのアドバイスならソルベに聞くのが良いだろう。

と、ソルベの顔を思い浮かべた瞬間に、メローネの脳裏にごく最近見かけた、ある景色が浮かぶ。

「こないだ用事があって、昼にアジトに寄ったんだけど、」

メローネがそこまで言って、堪えきれないという風にくつくつ笑いだしたので、ギアッチョは続きを催促するようにメローネの頭をこつんと叩いた。

「ソファにソルベとジェラートが寝てたんだ。しかも半裸で、重なった二本のスプーンみたいに寄り添って!」

「アァ〜ッ?もうあいつら、隠す気もねえんだな。」

「ああそうらしい。肩にお揃いのタトゥーがあるし、ペディキュアの色まで一緒なんだぜ!」

「おいどのソファか言ってみろ、アイツらそこでファックした訳じゃあねえだろうな。」

「してるだろ、もう手遅れだよ。」

「クソッ!なめやがって!」

 ギャハハと笑うメローネは、「俺たちだって似たようなものだろ?」と続け、ギアッチョに盛大に怒られる。

「だって今、こうして男二人で風呂に入っているじゃあないか。」

「ふざけんな。俺たちはまだ下着を着てる。」

「なんだこんな布切れ一枚、今すぐ脱いだって構わないね。」

「それ以上喋ったらブチ割るからな。」

 もう一度ギャハハと笑ったメローネは、次のバイクは何を選んでも必ず朱色にしようと思い立つ。ギアッチョの愛車と同じ派手な赤。わざわざキャンディ塗装をかけて、玉虫色に輝いているロードスターだ。全く同じ塗装にしたら、イルーゾォ辺りが「てめえらできてんじゃあねえの?」と言いそうな。

「なあギアッチョ、損害保険会社の調査によると、赤い車は青い車より追突されにくいんだぜ。膨張色である赤い車のことを、周りが避けて行くからな。」

「何の話だ?」

「俺たちの警告色の話さ。」と続けて、メローネは再度ギャハハと笑う。

 何が可笑しいのかはさっぱりだが、親友が楽しそうなら何よりだ。ギアッチョは染髪料を塗り終わった親友の髪を、意外な程に優しい手付きで束ねるのだった。



冷血


 メローネはギアッチョの髪を触るのが好きである。アッシュブロンドを掠れたブルーに染めた姿は素直に格好いいと思えるし、ふわふわとした巻毛は触り心地も良好だ。

 メローネは自身の頭を薬剤だらけにしたままギアッチョの髪を染めていく。髪の短さ故に作業自体はすぐに終わってしまうものの、いつも誰彼構わずギャンギャン吠えている親友が目の前で大人しく座っているのが面白く、ついつい頭を弄り続けてしまうのだ。

「もういいだろ。流しちまおうぜ。」

「ああ。」

 髪に十二分に薬剤が染み込んだと思えたところで、メローネは外したゴム手袋を新聞紙に包んで捨て、ギアッチョは浴槽の縁から立ち上がり眼鏡を外して鏡台に置く。それから空の浴槽になかよく頭を突っ込んで、交代でシャワーヘッドを使いながら、ぬるま湯で髪を洗い流していくのだ。

 僅かに紫の混ざる廃水が浴槽の中で渦を巻いては消えていくのを眺めた後で、ギアッチョは軽く髪の水気を払うと、躊躇無くボクサーショーツを脱いでしまう。洗髪の後はシャワーまで浴びてしまうのが習慣なのだ。

 ギアッチョは先程散々ソルベとジェラートの事で喚いていたが、実際のところ、メローネの前に裸を晒し、彼と一つのシャワーヘッドを共有する事に一切の疑問も羞恥も持ってはいない。

「あ、そういえばプロシュートから借りてきたんだ。」

「ン?」

 そう言ってメローネが浴室の端から持ってきたのは、モルトンブラウンのボディソープだった。メローネはジンジャーの刺激的な香りがする液体を手のひらにぶちまけると、シャワーを浴び始めたギアッチョの背中から腰にかけ、高価なそれをたっぷりと塗り付ける。

「冷てえな!おい、これ借りてきたんじゃあなくて盗ってきたんだろ。」

「そうとも言うが、プロシュートだって金を払った訳じゃあないさ。どうせ貰い物だろ。」

「悪い奴だな。」

「プロシュートがな。」

 自身も下着を取り去り浴槽に入って体を濡らし始めたメローネは、透明なボディソープによって粘膜のような艶を得たギアッチョの身体に視線を落とす。そこに見える色鮮やかな青痣の数々は、氷の装甲を以ってしても逃れることのできない物理的な衝撃の結果である。

 暗い浴室の中、痣のおかげであちこち青く滲んでいる筋肉質な白い背中は、深海の生き物を思わせる独特な妖しさで満ちている。メローネの頭の中で、窓の無い浴室は深海へ、瞬く蛍光灯はゆらめく潮の堆積へ、光る肌は鱗の輝きへと変換される。

 陽の当たらぬ世界の中で、屍肉を食らう深海生物。自分達と一体何ほどの違いがあると言うのだろう。

『人魚の肌はとても冷たいので、あたたかい人の手で触れると、たちまち灼け爛れてしまうのです。』

 弱いシャワーを親友と分け合いながらベイビィに読み聞かせる絵本の一節を思い出し、メローネは人知れず微かに笑う。お伽話の世界にはひとつの真実が紛れている。

 物語のスポットライトを一身に受ける人物が、どれだけ高貴な人間であったとしても、人ならざる者をその手で慈しむことはできないのだ。

人は人しか抱(いだ)けない。

人は人しか救えない。

 メローネは身体を僅かに丸めてギアッチョの背中に額と鼻先とを押し付ける。

一人でも殺したら最後、普通の人間には戻れない。殺戮の限りを尽くしても尚こうして平然と生きていけるのは、自分達が人ならざる者である証拠なのだ。

しかしだからこそ、こうして二人は寄り添って生きていける。

(俺たちには冷たい血が流れている。

だからこうして触れ合うことができるんだ。

分かるかギアッチョ。俺たちだけなんだよ。

互いを抱き締めてやれるのは。)



ハンティングへ行こう!


「酒がない。」

 そうギアッチョが呟いてキッチンから出てきたのを見たメローネは、さも不思議だと言わんばかりの表情を貼り付けて首を傾げた。

「パントリーの木箱にキャンティが6、7本あっただろう?」

「そうじゃあねえ。ワインセラーの一番上に入ってた、めちゃくちゃ高そうな奴だ。」

「ああ、1985年ものの、クリュッグのプレステージュ・ヴィンテージね。」

 スラスラと銘柄を述べたメローネは、親友の仏頂面を眺めながらニコリと微笑む。対するギアッチョは依然として苛々とした様子を保ったまま、ソファに座っているメローネの前に仁王立ちした。

「お前か。」

「何のことォ〜?」

「……お前なんだな。」

「ヘヘッ。」

 ギアッチョは親友のヘラリとした笑みを見るなり天を仰いだ。思わず「クソッ!」と小さく声が漏れる。

「だってクリュッグの最高級ヴィンテージだぞ。しかも当たり年の!飲みたくなるに決まってるじゃあないか!大体ギアッチョが買ったわけじゃあないんだろ?どうせイルーゾォあたりが盗んできた酒なんだろ?」

「ンアァーッ!!もう!バーッカ!!あれはな、先週ジジィがいけ好かねえフレンチ野郎を殺した時に、報酬に盗ってきた酒なんだよッ!あのジジィが何で今まで酒を取っておいたか分かるか?!新人とはじめて仕事に行った後、そいつに飲ませてやるつもりだったんだ!それがいつか分かるか?!今夜だよッ!こ・ん・や!お前、枯らされるぞッ!クソッ面倒臭え事になりやがったッ!!」

「なんだ、やっぱり買ったわけじゃあないんだな。」

「おいテメエ、ぶち割られたいのか?」

 ギアッチョは殺気立った目でメローネを見下ろす。取っておきのワインを飲まれてしまったと知ったプロシュートの怒りなど想像するのも恐ろしい。久々に仲間入りした新人のペッシは、同世代の自分やメローネよりもずっと素直な性格をしているのだ。元々面倒見の良い所があったプロシュートは、指導にも可愛がり方にも益々熱を入れている。その弟分の前で恥をかかされたとあっては、枯らされる位では済みそうにもない。

 ギアッチョは何とかこの場を挽回できやしないかと思考を巡らせる。こういう時に頼りになるのが年長者のホルマジオやリゾットだが、今のアジトにはギアッチョとメローネの二人しか居なかった。プロシュートとペッシが仕事から戻るのは深夜であり、残された時間はすでに半日を切っている。傾きかけた太陽は、二人の影を刻一刻と伸ばしている最中なのだ。

 まさに万事休す。ギアッチョは焦りと怒りから、遂に親友へと怒号を発した。

「買ったら100万リラはくだらねえ酒だぜ〜ッ!テメエで弁償してこいよなァ〜ッ!」

「エッ、嫌に決まってるだろ。まあ焦るなギアッチョ、策はある。」

 しゃあしゃあと言ってのけたメローネは、膝の上の医学書を閉じるとスックと立ち上がり、苛立つ親友にウインクした。

「また、盗めばいいのさ。」

§

(納得いかねえぜ〜ッ!)

 アジトでの騒動から約二時間後、二人は閉店間際のワインショップにいた。事の次第はこうだ。

「ヴィンテージのシャンパンは大抵、高級レストランかホテルで飲まれているだろ?このネアポリスにも高級ホテルがいくつかある。ギアッチョ、そこに酒を卸しているのはどこの誰だと思う?ワイナリーの渉外担当か?違うね。ホテルともワイナリーとも長く付き合いのある、老舗の酒屋なのさ。酒屋がワイナリーから買い付け、自分の店に暫く隠して価値が上がるのを待ってから、ホテルにたっぷり色を付けて売ってるんだ。街中でいつも閑古鳥の鳴いている酒屋がいつまでも潰れずにいるのはそういう訳さ。持ちつ持たれつが慣行の、この国のルールに救われたな。高級ホテルよりも酒屋の方が、セキュリティも甘いだろ。」

「理屈は分かったが、しかしこれからネアポリス中の酒屋をしらみつぶしに探すっていうのか?」

「いいや、ざっと調べた所によると、ネアポリスで五つ星の高級ホテルに酒を卸している店は七軒だけだ。俺たちが盗みやすいと思われる店は、家族経営で、オーナーが女性の、この二軒だな。」

 メローネはテーブルに広げたネアポリスの地図の二箇所に、サインペンでグルグルと印を付ける。何れも沿岸部、高級ホテルにほど近い細い路地に立つ店だ。

「おい待て、何で店主が女じゃないといけないんだ?まさか酒のためにベイビィをつくるつもりじゃあねえよな……。」

「ハハッ!まさか!どちらの店の店主も閉経しているからな、ベイビィを産むのには向かないね。」

「おい、何でそんな気持ち悪い事を知っていやがる。」

「ギアッチョ、俺はネアポリスに住んでいる女の事なら、正直言ってプロシュートより詳しい自信があるぜ。」

「……。」

 実際には会社登記簿上の情報と逃走経路を計算に入れた上で選んだ二軒だし、ベイビィに適しているかどうかはオーナーの年齢から得た推論でしかないのだが、メローネの言葉は素直に信じてしまうのがギアッチョだ。だがどちらの店も昼間の従業員が少ないことに間違いはない。メローネは微笑を湛えたまま、おもむろにアイマスクを外しはじめた。

「……そういう訳でギアッチョ、今回の作戦は、ハニートラップで行く。」

 かくして、メローネはターゲットとなった小さなワインショップのカウンターの前で、ただ一人店にいた女性店主を熱心に口説いている最中なのだった。一方のギアッチョはワインの積み重なった棚のひとつに隠れて、店主の視線がメローネに集中する瞬間を待っていた。

(やっぱり納得いかねェ〜ッ!)

メローネはアジトにあったプロシュートの私服を持ち出しており、普段の奇抜さからは想像もできない洗練された服装で、店のカウンターへ気怠げに身体を預けていた。中年期を過ぎた女性店主がメローネに釘付けになっている間、ギアッチョは店のどこかに隠されているであろう目当ての高級ワインを盗み出さねばならない。

「ねえシニョーラ。貴女のようなステキな女性と乾杯するためのワインを探しているんだけれど、何かおススメは無い?お金のことは無視してとにかく素敵なものを教えて欲しいな。勿論イタリアワインでも良いけれど、そうだな、華やかで且つ歴史のあるシャンパンとかね……。」

「あらあら、ふふふ。シャンパンなら一番奥のセラーだけれど、ヴィンテージも少しは店に出しているのよ。殆どは地下に保管しているけれどね。」

「へえ、そうなんだ!凄いな!ヴィンテージだなんて、なかなか手に入らないだろう?美しいだけじゃあなくて仕入れまで完璧だなんて、素晴らしい店主じゃあないか。ねえもっと仕事の話を教えてよ。僕、貴女に興味があるんだ……。」

 ギアッチョはメローネが店主の手を取っている間、静かに奥のワインセラーへと歩き出す。防犯カメラは入口付近の他、カウンター側、奥のセラーの上に一台ずつ。いずれもレンズに氷で蓋をしたから、何も写りはしないだろう。逃走経路に点在しているカメラもホワイトアルバムで破壊済みだ。メローネによって店主から見たこちらの姿は死角になっているが、念のため薄い氷を壁にして、光の屈折率を変えておく。

 ホワイトアルバムをフル活用しての今日の仕事は、殺しではなく盗みなのだ。

 ギアッチョはメローネの口説き文句を聞き流しながら、目当てのワインを探し出す。昔々、クラブで若い女を口説いては、毎晩のように殺しの実験を繰り返していたメローネだ。女性を口説く技術に特に問題は無いのだろう。

 ギアッチョは高いワインセラーの一番上を覗くため、少しだけ背伸びをする。1980年代のクリュッグのヴィンテージは棚の端に一本だけだ。ギアッチョは躊躇なくそれを引き抜くと、店主がメローネにうっとりした表情を向けている間にさっさと店を出てしまう。

 ギアッチョが車に乗り込んで数分後、メローネが一本のワインと共に店から出てきた。

「あ〜、疲れた。プロシュートって少し痩せすぎじゃあないか?この服、窮屈でたまんないよ。」

「歳を取ると痩せるんだろ。」

メローネがシートに飛び乗ったのを確認して、ギアッチョは勢いよくアクセルを踏み込み急発進をかける。夕日の沈んだネアポリスの街並みはインディゴブルーに染まっており、街は穏やかな夜を迎えようとしていた。

「お前、さっきの店でわざわざワインを買ったのか?」

「まあね、キャンティクラシコだけど。何も買わないのも不自然だろ?……アレ?ギアッチョ、二本盗ってきたのか?」

 メローネは足元に転がっている瓶を拾い上げると、目を凝らしてラベルを見た。クリュッグのヴィンテージと、もう一本はバローロだ。

「まあな。何と言っても俺たちはギャングだぜ?悪党なんだ。一本盗むのも二本盗むのも一緒だろ。」

「ハハ、そうこなくてはな、ギアッチョ。アッ、これ!1995年のワインじゃあないか!俺たちがチームに入った年のワインだ!」

「そうだったか?」

 メローネは親友の横顔が悪戯に微笑んでいる事を見逃したりはしなかった。ギアッチョは数あるワインの中から、わざわざそれを選んだのだ。イタリアワインの王とも呼ばれるバローロの、1995年のヴィンテージ。

「そうさ!なあギアッチョ、1995年はイタリアワインの当たり年なんだぜ。俺たちと一緒さ!」

「そうかよ。」

 ネオンの灯るネアポリスの中心街が、光の帯を描いて背後へと去っていく。我らがアジトは街の外れの古びたフラットだ。だがそこは、リーダーを筆頭にした自分たちの城である。

「帰ったら乾杯だな。」

「おう。」

 何に乾杯するかなど、口に出さずとも分かりあえるのが親友だ。

――俺たちの城で、王のワインを酌み交わそう。

俺たちの栄光を、俺たち自身で祝福するのだ。



夢が焼け落ちる


「なあギアッチョ……俺たち、少し地味過ぎるんじゃあないだろうか……。」

「……テメエ、両目とも見えなくなった訳じゃあねえよな。今すぐ鏡見てこいよ、その狂った格好を地味だと思ってるンなら、お前の脳味噌に入ってる辞書は完全に間違ってるぜ。」

「ピンクの何が悪いんだ?黒とネオンピンク、最高の取り合わせだろ。あ〜ッ、いやいやそうじゃなくてッ!仕事の話!」

「ハァ〜ッ?」

 メローネはアジトのソファから勢いよく立ち上がると、隣のギアッチョの前に今朝の新聞を開いて叫ぶ。

「いいかギアッチョ!俺たちの一昨日の仕事は、これくらいの記事にしかなっていないッ!」

 メローネの長い人差し指が叩いた箇所は、朝刊の死亡記事欄だ。ネアポリスの年老いた地方有力者の死亡が、生前の親交に対する感謝の言葉を添え、告別式の予定と共に控えめに掲示されている。記載されてはいないものの、その人物の死因は凍死である。仕事に熱心ではないネアポリス警察は、彼が夜中に一人で散歩に出かけ、心臓発作を起こしたまま誰にも見つけられることなく凍死したと、あっさり事故死を断定したのだ。

――だが真実は異なる。

メローネのベイビィ・フェイスが一度分解した標的を広大な庭園の片隅で再構成し、ギアッチョのホワイトアルバムがその心臓を凍らせた。ボスからの指令通り、標的はひっそりと表舞台から姿を消したのだ。

「暗殺だからな。アンサツ、密かに殺すこと。」

「そうだけどさァ〜ッ!」

 メローネは口の端を歪めながらリモコンを手に取り、部屋の隅にある古びたブラウン管テレビに向ける。昼のワイドショーが報じているのは最近街を騒がせている連続強盗事件で、深夜に宝石店やATMが襲われては金品を奪われているという。犯人の姿は目出し帽をかぶった若い二人組の男性で、防犯カメラにもしっかりとその姿が写っている。

「こんなにチンケな強盗が派手に報じられて、俺たちの華麗なる仕事が単なる死亡記事ってつまらなくないか?大体今回の稼ぎがたったの1500万リラっておかしいだろ!強盗の方が儲かる計算だぞ?!俺たちはプロなのにッ!」

「マァ〜分からなくもねえけどなァ〜。」

 ギアッチョはテレビを眺めながら、親友の発言に内心首を傾げていた。メローネは効率よく確実に人間を殺すための研究を日々欠かすことがない。つまり、暗殺という仕事に非常に前向きに取り組む、ある種の異常者である。自分に対する世間からの関心など一切お構いなしに、ただ自分の世界の中だけで生きている人間なのだ。そのメローネが、何故かプロとしての尊敬を求め声を上げている。その理由が何であるのか、ギアッチョには分かりかねていた。

「それでだギアッチョ。」

「ウン?」

「ちょっとコイツら締めに行かないか?」

§

 一般人の強盗二人の居場所を突き止めることなど、プロの暗殺者にとっては朝飯前だ。メローネの提案から約半日後、哀れな強盗二人は、その本拠地であるらしいフラットの中で切り刻まれ、あるいはブチ割られて、呆気ない最期を遂げていた。監視カメラの前でスターを気取らなければ、こんな終わり方をせずとも済んだのに。ギアッチョは親友の思いつきの餌食になった同世代の男達に、皮肉な笑いを投げかける。二人は強盗がベッドの下に貼り付けていた札束とダイヤモンド・ルースがぎっしりと詰まったプラスチックケースとを奪い、揚々と自分達の城に戻ったのだ。

「しかしこれだけダイヤモンドがあると、捌くのも面倒じゃあねえか?」

「そうでもないさ。組織の洗浄係に渡してしまえばいい。現金とダイヤモンドは足が付きにくいからむしろ好都合だよ。」

 メローネはピンセットで大粒のダイヤモンドを摘み、検査用のルーペで覗き込む。小さな星のような虹色の煌めきが、メローネの白い肌に反射する。

「強盗が持っていたレターによれば、どうやらこのダイヤモンドはコンゴ産らしい。」

「つまり?」

「これはコンフリクト・ダイヤモンドだってことさ。内戦状態にある国の武装勢力が、資金獲得のために掘り起こしたダイヤモンドのこと。武装勢力は支配する地域内の人間を強制労働させてダイヤモンドを掘り起こし、それを世界中の商人が安く買い叩く。」

「搾取の構造はどこも変わらねえな。」

「そういうこと。ま、俺達には関係ないけどね。ン~、折角こんなにダイヤモンドがあることだし、少し実験でもしてみるか。」

「ン?」

「ギアッチョ 、ダイヤモンドを燃やしたことはある?」

「あるわけねえだろ。」

 ギアッチョの不貞腐れた声に笑顔で応えたメローネは、ぞんざいな手つきで金属の灰皿にダイヤモンドを数粒放り込む。土産物のそれはホルマジオが以前イギリスへ仕事に行った際に買ってきたもので、ギアッチョが知る限り、ホルマジオはその灰皿に描かれたユニオンジャックの上で、少なくとも二人は殺している。現在その灰皿は、ヘビースモーカー達の日々の生活の積み重ねによって汚れがこびりついており、輝かしい1ct超のダイヤモンドはあっという間に灰に塗れてしまった。

「おい、」

「ダイヤモンドが炭素で出来ている事は知っているな。要は鉛筆の芯と一緒だよ。つまり、燃えるんだ。800度より高い温度でダイヤモンドは炭化し、燃えてしまう……。」

メローネはそう言って薬箱に入っていた純アルコールを灰皿に注ぎ入れると、躊躇なく火をつけたマッチを投げ込んだ。

小さな爆発音を伴って、たちまち青い炎が灰皿の中に立ち上がる。やがて二人の目の前で、ダイヤモンドは白熱灯のフィラメントのようにみるみる白く発光しはじめた。

「綺麗だろう?硬いダイヤモンドも火の中に入れてしまうと、こうして光りながら少しずつ消えてしまうんだ。空気中の酸素と結合して、二酸化炭素になって、消えてしまう……。」

 ギアッチョは白く輝きながら静かに消えていくダイヤモンドを眺めながら、今日殺した二人組の強盗の事を考える。彼らは何かを夢見てこのダイヤモンドを盗んだのだろうか。このダイヤモンドを売った金で、欲しいものでもあったのだろうか。行きたいところでもあったのだろうか。彼らの夢みた世界への切符は今、土産物の安っぽい灰皿の上で燃えている。

「楽しそうだな。」

 聞き慣れた声が聞こえたと思ったら、二人の背後からはムスクの香りと共に長い腕が伸びてきて、消え入りそうなダイヤモンドの白い光に、短い煙草が押し付けられた。

「アア〜ッ、ちょっと邪魔しないでくれない?」

「そうだジジイ!良いところだったのに!」

「お前らこそ、なんなんだそのダイヤモンドは。大体なんで燃やしていやがる。勿体ねえなァ。」

「まあこれはちょっと、ほら、少し分けてやるからさ、リーダーには内密に。」

「……何故俺には秘密なんだ?」

「アジトでステルスは反則だよリーダー!」

 声に反して明るい表情のメローネは、ダイヤモンドに手を伸ばそうとするプロシュートの手を叩き、逆にリゾットの掌にダイヤモンドを押し付ける。ギアッチョはその時、ようやく親友の心の機微を読み取った。メローネは、リゾットやプロシュートに構って欲しかったのだ。新入りがチームに入って以降、仕事にも慣れて独り立ちした自分たちには、近頃は年長者も構ってくれない。

 そして、その無邪気な発想が今日、名前も知らない男たちの命を奪ったのだ。子供が道行く蟻をつぶして遊ぶように、捕まえた蝶々の羽を慰みに毟るように、純粋な悪は人の運命の上で時折その手を横暴に振るう。

 征服されたくないのなら、搾取されたくないのなら、自分たちは何としてでも支配する側に立たねばならない。この世界はあまりにも残酷すぎるから、自分たちもそうでなければ生きられない。

 リゾットとプロシュートからそれぞれ拳骨をお見舞いされているメローネの笑顔を視界の端に留めながら、ギアッチョはダイヤモンドをもう一粒灰皿に入れる。

(学校に行けない子供達が掘り起こしたダイヤモンド、武装集団からそれを買い叩いた商人、さらにそれを奪った強盗。  

このダイヤモンドは結局、誰の夢も叶えなかったんだ。

食われたくないなら食うしかねェ、この世界は弱肉強食……。)


Planisphere


 身体能力の高さが己の殺傷能力に直結しているが故に、ギアッチョは煙草にも薬にも一切手を出さなかった。酒については付き合いで飲むことはあれど習慣ではないし、もともと大して強くもないのである。

 だが親友のメローネは違った。

 頭が働かないことを理由にメスカリンを囓る事もあるし、仕事終わりに大麻を吸うこともしばしばである。健康状態に問題をきたさぬ程度に抑えているとは言うものの、薬の影響は肉体のみならず精神にも及ぶ。医学的知識を充分に備えても尚メローネが薬に手を出すということは、彼が心の奥底で拠り所を欲している何よりの証拠である。ギアッチョは親友の心の機微を理解していたから、メローネが薬を使いそうな雰囲気を醸し出している時には片時も側を離れなかったし、絶対に自分の見ている前でしか薬は使わせなかった。

 合成麻薬であれ大麻であれ、トリップの具合は日によってまちまちである。気分が高揚し思考回路や発想が鋭敏になる場合は問題ないが、薬を摂取した直後に鬱状態に陥る時もあり、ギアッチョはメローネのそういう状態を最も警戒した。

 後で確認したところによれば本人の記憶は曖昧らしい。だが鬱状態のメローネは死体のように動かぬ時もあれば、自傷行為に走る時もある。身体を傷つけないように拘束してやる事は容易い。だがギアッチョにとっては親友の沈みきった表情を見ることや、その薄い唇から時折溢れるメローネ自身に対する呪詛の言葉を聞くことが何より堪えた。

 二人とも地獄から生まれてきたような不遇の幼少期を過ごした事に変わりはない。だが二人はそれを乗り越える強さを得て、これまで生き延びてきた事もまた事実なのだ。他人を捕食し手を血で染めながら、自分達の人生をある種前向きに生きている。それ故にギアッチョは親友への悪口を許さなかった。それが親友本人の口によるものだとしても、お互いにそれぞれの今の生き方を否定するようなことはあってはならなかったのだ。

§

 その夜、メローネはギアッチョのフラットのソファに寝そべりながら黙々と大麻をふかしていた。どろんとした目のまま無言で天井に煙を吐きつづけるメローネは、あきらかに鬱状態に陥っている。二日前、メローネとギアッチョは二人一緒に仕事へと出かけていた。しかしベイビィの教育が思わしくなく、結局その日の仕事の大半をギアッチョが手ずから片付けた。それを気に病んでの逃避行動なのか、メローネは仕事帰りにギアッチョのフラットに押し掛けて、その後丸一日を無為に過ごしていたのだ。

 大麻の煙を肺の隅々にまで行き渡らせているメローネは、腹の上に抱えた古びた占星術の本を捲りながら、やがてぶつぶつと呟きはじめる。

「牡牛座のA型とさそり座のB型なら良いベイビィに育ってくれるはずなのに……欧州全域のデータだぞ……それだけのデータの相関関係から出した結論なのに……また母さんに怒られちまう……なんで俺ってこんなに馬鹿なんだろう……自分で自分が信じられねえ……。」

 ギアッチョはソファの下に胡座をかきながら、その独り言を聞き流し続ける。メローネの舌が毒を吐ききってしまうまで、反論せずにじっと待つつもりなのだ。だが時間を経る毎に、メローネの言葉には自分自身を否定する要素が増えていく。

「本当はわかってるんだ……俺の知ってる統計上の有為な差って奴の正体が、単なる相関関係であって因果関係じゃあないってこと……統合失調症の患者が新聞記事からありもしない暗号を見出すように……古代の人々が無数の星のランダムな並びの中から勝手に星座を見出したように……俺はデータの中から自分の信じたい物語を見つけたに過ぎないってこと……人間の脳は信じたい物語を勝手に紡ぐ様に出来ている……たまたま人を殺した人間と殺された人間の間に、連続したデータが出現しただけなんだ……それが見えざる手の悪戯だなんてことは、俺だって分かってるんだ……。」

(そろそろ潮時だ。)

 ギアッチョはゆっくりとメローネの方を振り返った。そして児童雑誌の付録であった星座盤を弄っているメローネの片手を取って握りしめると、その灰色の繊細な瞳を上から覗き込む。

「メローネ、俺はいつだってお前を信用してる。それを忘れんな。俺たちの相性は最高なんだ。それは絶対の事だ。それも忘れんな。いいな?」

 その台詞にはいかにも皮肉な事実が含まれていた。人の相性を血液型や星座で理解しようとするメローネ自身が、自分の正確な誕生日を知らないのだ。同じくギアッチョも自分が生まれた日など知らずに育った。だがその事実を越えても尚、自分達は唯一無二の親友だという確信があった。――自分達の魂以上に、一体何の証明が必要だと言うのだろう?

「……ギアッチョ、お前って本当、ディモールト最高な奴だな。」

「オメーもな。そろそろハッパは終わりにしろ。水を飲んでさっさと寝るんだ。」

 ギアッチョはメローネから大麻を奪うと灰皿に押し付け、代わりにミネラルウォーターを差し出した。続いてギアッチョはメローネの腹の上から占星術の本と星座盤を取り上げる。

 ギアッチョは安っぽい紙で出来た星座盤をくるりと人差し指で回してみる。凍てつく冬の夜、幼いギアッチョは帰る家もなくただ星空を眺める日を幾度も過ごした。低い建物に切り取られた星空を見上げては、それを指差し好きなように星と星との間を結んで絵を描く。

 パン、ナイフ、拳銃。後になってギアッチョに正しい星座を教えたのはメローネだ。

 だがクソみたいな人生の只中で、自分の信じたいものを信じて一体何が悪いというのだろう。自分達の歩いている道は、きっと見えざる手の悪戯によって生まれた星座と同じ様なものなのだ。ランダムな星の並びに規則性と物語とを見出し、その間に勝手な線を引くのと同じこと。自分達が立っている場所に、本当は道など無いのかもしれない。

(……だがそんな事は知ったことか。俺たちは俺たちの道を行くだけだ。地獄の果てでも行ってやるよ。俺たちは、その覚悟をして今を生きてるんだからな。)



ある日の風景


「プロシュートが撃たれた。」

 緊迫したリゾットの声を電話越しに聞いたのはアジトで仮眠をとっていたギアッチョで、彼は報告を受けるなり即座にメローネに連絡を取った。

「10分後にアジトへ集合、撃たれたのはプロシュート一人。輸血の必要アリ、ホルマジオにも連絡済み。」

 そうしてギアッチョがじりじりとしながら待つこと7分、メローネとホルマジオがアジトへと到着する。それから5分後、リゾットに抱えられたプロシュートがペッシと供にやってきて、アジトは血生臭い緊急手術の場へと様変わりした。

 三人がけのソファに横たえられたプロシュートの脇腹はスーツと皮膚とが裂けており、本人の顔は青ざめて額にはじっとり脂汗が浮いている。

「ひどくやられたな。」

「……ッハァ、そうでもねえよッ……。」

「ごめんよ兄貴、俺のせいで……。」

「ペッシ、反省は後だ。シャツを切れ。」

 リゾットの苛立った声は珍しい。メローネはペッシにハサミを持たせ、自身は医療器具をサイドテーブルに広げ出す。プロシュートの高級なシャツはペッシの手によって裂かれていき、やがて鮮烈な赤を伴った生々しい傷口は蛍光灯の下に露出した。

 プロシュートの左脇腹を抉ったのはホローポイント。弾はまだ二発体内に残っている。骨や内臓に傷がつく位置ではないにせよ、損傷は大きいとしか言いようがない。ギアッチョが作った氷嚢がプロシュートの痛みを麻痺させている間、メローネは鉗子とメスでその傷口に切り込んでいく。

「ゔンッ!」

端正な顔が苦痛に歪み、きつく閉じられた眼には僅かながら涙が滲む。柔い弾丸は肉体の中で花開くように己の姿を膨張させ、取り出すことを難しくさせる。それがホローポイント弾の特色だ。

 メローネの淡々とした手捌きを横目にしていたホルマジオは、輸血の準備を始めて自身の腕に針を刺す。チーム唯一のO型の持ち主も、さすがに此の期に及んで口癖を叫んだりはしない。仲間に血を分け与えた経験は、一度や二度では済まないのである。

 数分の後に問題なく弾を取り出したメローネは、ペッシにプロシュートの傷口を縫うよう指示をする。

「テメエの始末だろ?」

 ギアッチョが震えるペッシを叱咤すると、ホルマジオがペッシの肩を強く叩いた。

 やがて全てが終わってしまうと、リゾットは打ち捨てられたプロシュートのスーツから煙草を取り出し、火をつけ自身の口に一息含む。それをプロシュートの口に咥えさせると、プロシュートは瞳の動きだけでリゾットに礼をした。

 身体を横たえながら、傷ついた男は静かに煙を吐きつづける。

「抗生剤も鎮痛剤も打ったから、しばらく寝てなよ。」

 そう言うとメローネは朗らかに笑って医療器具をしまい、手を洗いに洗面台へと立とうとする。

「……グレイトフルデッド。」

 プロシュートは身体を横たえたまま苦しそうに自身の分身を呼び出すと、メローネの持っていた医療器具にスタンドを使った。器具に纏わり付いた鮮血は、みるみるうちに劣化する。

「……テメエには一滴だってやらねえよ。」

「なんだ、バレてたの。」

 メローネはさも楽しそうな素振りで肩をすくめる。プロシュートのそういう厳しさが、彼にとって、あまりに好ましいものだったから。



午睡にて


 瞳を閉じてぬるいまどろみの中に沈んでいると、親友の声がぽつりぽつりと落ちてきた。

「これはゾウさん、これはキリンさん。鼻や首がとっても長いだろう?これらは、環境に最も適した特殊な個体が進化の過程で淘汰された結果なんだ。これを自然淘汰説という。偶然にも長い鼻や長い首といった身体的特徴をもった個体が生まれ、その個体が偶然にも厳しい環境を生き延び、さらにその生き延びた個体同士が交配して、自らの身体的特徴を子孫に残した結果なんだ。」

「メローネ、まだよくわかりません。メローネ、この角の生えた動物は何ですか。」

「ああ、これはイノシシの一種だよ。バビルーサと言ってね、雄の牙だけが発達していて、曲線を描いた犬歯が自分の額に着くほどに成長するんだ。これは角ではなくて、歯なんだよ。」

「メローネ、どうしてバビルーサの歯は、こんなに大きくなるのですか。自分の額に着く程に大きな歯だなんて、一体何の役に立つのですか。」

「繁殖期になると、バビルーサの雄はこの歯を使って雌を争い戦うんだ。歯をぶつけ合い、噛みつきあって殺しあう。雌は生き残った雄の子孫を残すんだ。そのため、バビルーサは長く立派な歯を持つようになったと言われている。もっとも、かなり大きな歯だからね。信じられないかもしれないが、自分の歯のあまりの大きさに死ぬ個体まであるほどだよ。成長しすぎた歯が、自分の額の骨を貫いてしまうんだ。」

「メローネ、全然わかりません。」

「お前は勉強熱心なベイビィだね。ディモールト、面白い。性行為のために命を懸ける生き物は少なくないよ。雄のカマキリは性行為の後に雌に食べられてしまうし、雄の鮭は射精後には死んで藻屑に成り果てる。愛の為さ、すべては愛のため。動物でさえ、愛のために死ねるんだ。」

「メローネ、愛って何ですか。」

「相手のためなら命を捨てても良いと思う精神と覚悟、それに基づく行為の総体のことかな。行為であるということが重要だ。思うだけでは愛ではないんだ。」

「メローネは何かを愛していますか?」

「……そうだね、最近ようやく分かってきたよ。」

 それ以上喋るんじゃあない、お前はそんなタマじゃあないだろう。お前はどんな厳しい環境でだって最後まで生き延びるんだ。そうだと言ってくれなきゃあ困るんだ。

そう言いたくなって起きようと思うのだが、眠気はギアッチョの大脳を掴んで離さないのだった。睡魔は血のようにぬるつく触手を伸ばし、ギアッチョの精神を無意識の奥底へと引きずり込む。

(……なあメローネ、死んでも良いだなんて、冗談でも言わないでくれよ。頼むから、一緒に生きると言ってくれ……。)








もういらない


「で、今回は何をおねだりしたんだ、メローネよォ。」

「ウン、ピエダテッレの室内履きを二足、お揃いのを買ってもらうんだ。今度はヴェネツィアだから。」

「へェ〜。でもよォ〜毎度毎度ギアッチョの野郎も、案外律儀に買ってくるよなァ〜。」

「そうでしょ?優しいんだ、アイツ。」

メローネは小さく頷きワインを呷る。

深夜のアジトでメローネと一緒に酒を飲んでいたのはソルベとジェラート。ギアッチョはプロシュートと仕事に出かけており、その他のメンバーはそれぞれ休暇であったり外出中だ。

メローネは普段、いつでもギアッチョと一緒に過ごしていたが、仕事になれば別行動となることも多かった。そしてメローネは、ギアッチョがどこか遠くへと仕事に出てしまうたび、必ずお土産をねだるのだった。

『今度はホルマジオとトリノに行くのか?ならさ、ドモーリのチョコレートを買ってきてよ。本場だろ?』

『プロシュートとフィレンツェに行くならさァ〜、GUCCI Museo に寄ってきてくれないか?あるだろ、限定のショップ。』

メローネが何かをねだれば、ギアッチョは毎度薄い唇を歪ませながら「面倒くせえなァ〜ッ!」と吐き捨てた。それでも帰ってくる時には、必ずメローネにお土産を用意してくれるのだ。ねだるお土産はいつでもささやかなもので、メローネにとってそのおねだりは願掛けの一種だった。

(お土産を買う余裕があるくらい順調に仕事が終わって、早くネアポリスに帰ってきますように!)

その意図が親友に伝わっているか否かは分からなくとも、メローネはその願掛けを止めることはなかったのだ。

§

「プロシュートから連絡があった。ギアッチョがやられたらしい。命に別状は無いが、しばらく二人で隠れると言ってる。」

リゾットの淡々とした報告を聞いて、その時一番動揺したのはメローネだ。アジトでのミーティングでそういった情報を耳にしたところで、チームのメンバーは眉ひとつだって動かさない。自分たちが日々、生死の境にある高い塀の上を歩いていることは、充分に織り込み済みの連中なのだ。だがメローネにとって、親友の大怪我だけは別問題なのである。

(アイツ!またやりやがったなッ!)

ギアッチョは戦闘において自身の能力の限界を試す癖があり、どうやら今回も何か無茶をしたらしいと思われた。ホワイトアルバムの装甲の強さは近接戦において究極的な強さを発揮するものの、内に響く衝撃までは免れることができない。思い切りシェイクされたミキサーの中身のように、ギアッチョの身体は氷の装甲の中で傷ついたのに違いないのだ。

(衝撃を避けるっていう概念が無いんだよなァ〜ッ!アイツの脳味噌にはさァ〜ッ!!)

メローネが人知れず苛立ってから約一ヶ月、ギアッチョとプロシュートの二人は、本当にネアポリスに戻ってこなかったのだ。

§

「なあ、リゾット!アイツなんとかしてやれよ〜ッ!二人はまだ帰らねえのか?話を聞いてやる奴がいねえお陰ですっかり情緒不安定だぞ、メローネの野郎は。」

「……ン、まあ、気持ちはわかる。」

「いや、だからな、……あ〜ッ!しょうがねえなァ〜ッ!お前らは〜ッ!」

仁王立ちのホルマジオは、煙草を持ったまま坊主頭を掻き毟る。二人が帰ってこない約一ヶ月、仕事は何とかチーム内で都合をつけながら回している。だが、調子が良いとはとても言いがたい状況だ。メローネによるベイビィの教育はイマイチ冴えず、リゾットによる殺しは苛烈を極めている。

プロシュートとギアッチョは、言わずもがなにチームきっての暴君二人だ。アジトにいればそれぞれすぐに沸点と氷点とを越え、盛大な応酬を繰り返す。それでも二人がいなければ、チームの調子は不思議と狂ってしまうのだ。

ホルマジオはやれやれと吐き捨て、煙草を咥えて天を仰いだ。視線の先で明滅する蛍光灯には小さな蛾が鱗粉を撒き散らしながらぶつかっており、足元では項垂れるメローネと無言のリゾットがソファに腰掛けている。深夜のアジトは、鬱屈とした重たい空気で満ち満ちていた。

(このマンモーニどもがッ!)

ふと、けたたましいタイヤのスリップ音がホルマジオの耳に届いた。その音を聞くや否や、メローネは勢いよく立ち上がる。

「ギアッチョだ!」

「ハ?」

呆然とするホルマジオの横をストロベリーブロンドが駆け抜ける。慌ててアジトの窓を開けて下を見れば、本当に見慣れたロードスターから、プロシュートとギアッチョが出てくるところだった。

「遅かったじゃあないか!」

「スマン。」

ギアッチョに駆け寄ったメローネは、なりふり構わず親友の背中に腕を回す。その様を側から見ていたプロシュートは、口笛を吹いてケラケラと笑った。

「熱烈だな。」

「うるせえジジィ!」

照れたギアッチョの暴言に拳骨で返したプロシュートは、アジトへの階段を先に登って去っていく。ギアッチョはメローネを引き剥がすと、頭を掻きながら一本のワインボトルを差し出した。

「スマン、頼まれてたモンは買う暇がなかった。肋骨が肺に刺さっちまってよ。ジジィの伝手でボローニャの闇医者にかかってたんだ。ピニョレットで勘弁してくれ。」

「ああギアッチョ、何だっていいんだよ。お前にその意志があるってだけで、物に意味なんかないんだ!」

メローネはもう一度親友の肩に腕を回すと、自身の頬を相手の頬に軽く寄せた。

「欲しかったのはアレじゃないんだ。お前が帰って来てくれるなら、なんだっていいんだよ!」




朝帰り始発待ち


 ローマで殺したのは三人、いずれも敵対するギャングの幹部連中だった。確実に殺すべき一人をベイビィが殺し、口封じと見せしめの為に、ギアッチョが同伴者の二人を殺した。賽の目に切られた男達の死体は、あと二時間もすれば、凍てつくローマの空の下で陽の光に曝される。それまでに電車に乗り込み、さっさと我等がネアポリスへ帰らねばならない。

『……ネアポリス行き特急列車、始発の遅れに関する情報です……、』

 電車の遅れはこの国では日常茶飯事だ。仕方がないのでテルミニ駅のカフェで時間を潰す事にする。暗殺者の隣のテーブルには、草臥れたビジネスマンや観光客らが陣取っている。メローネはカフェラテに角砂糖をふたつ落とすと、さも怠そうにスプーンで液体をかき混ぜた。それを一口飲んでから、浅い溜息をひとつ。

「ねえギアッチョ。俺たちって、」

「ア?」

「大体、朝帰りの若者くらいに見えるのかな。」

「知らねえよ、少なくとも人殺しには見えないんだろ。隣のアメ公のだらし無い顔を見りゃあ分かる。」

 エスプレッソを一息に飲んだギアッチョの隣には、カフェが冷めるのも気に留めず、バックパックを腹に抱えて居眠りをする若い白人が腰掛けている。今この狭いカフェにいる人間は約二十人、彼等を一息に殺す事だって二人には朝飯前だ。鼻歌を歌いながらでもできる仕事だろう。だがこの場にいる誰もが、二人のことを人殺しだとは露ほども思っていないらしかった。せいぜいクラブ帰りの若者が、始発を待っている様にしか見えないのだろう。二人が一晩を過ごしたのは爆音とネオンの渦巻くクラブなどではなく、血と断末魔に満ちた、ある屋敷の一室だったのだが。

「Da vicino nessuno è normale.

(近づいてみればまともな人間はひとりもいない。)」

「ハ?」

「我が国の精神保健のモットーだよ。人間は本来、猿以上の社会性なんて持っていないはずなんだ。それを無理矢理社会化して、勝手に拵えた枠の中に抑え付けて、そこからはみ出した奴に適当なレッテルを貼りつける。けれど用意した枠がそもそも異常なんだから、枠に収まってる奴だって異常なのさ。俺たちは立派な人殺しだが、仕事が殺しってだけで、ちゃんとギャングという組織の一員だし、社会性だって備えてる。だからこんな風に、早朝のカフェにも問題なく馴染めるんだ。」

「何が言いてえのか分からねえが、俺たちは少なくとも国鉄の連中より勤勉だろうな。」

「フフ、うん、大体合ってる。」

 生きるためには仕事が必要だ。余程の資産家でなければ、人間だれしも労働からは逃れられない。

 暗殺者達とてそれは同じ事である。

「ア、そういやじじいが、ローマに行くなら何か買って来いって言ってなかったか?」

「そうだっけ?まァでもこの状況だよ。到底無理だ。ドヤされるのも面倒くさいから、どこかに二、三泊寄ってから帰る?」

「ンなもんリゾットに悪いだろうが。大体、じじいの注文がおかしいんだからな。俺は今日は真っ直ぐネアポリスへ帰りたい気分なんだよッ!クソッ!」

働けば疲れるし、早く帰って休みたい。暗殺者とて、それは同じ事である。

『ネアポリス行き特急列車、始発の時刻のお知らせです……』

 暗殺者は黙って席を後にする。表社会から転げ落ち、ギャングの中でも居場所を失い、若くして暗殺チームにたどり着いた。だがカタギもギャングも、その世界に異常な枠を設けていることに変わりはない。

収まりきらない方が少数派であるが故に、周囲から異常だと後ろ指を指されるだけのこと。

――二人にとっては、この世の全てが異常である。




どこまでも行こう


 遺跡とビルからなる灰色の景色が、騒音と共に背後へと流れ去っていく。古い列車はカーブの度に軋んだ音を立てるし、同じ車両にいる観光客の一団はいつまで経っても騒がしい。

 4人掛けのボックス席にギアッチョと腰かけていたメローネは、読書がなかなか捗らないことに苛立ちを募らせていた。苦労して手に入れたインゼル文庫をようやく楽しめる筈だった。しかし目論見はぶち壊しだ。

精緻な筆で描写された博物画の毒キノコを指先でなぞり、ベイビィ・フェイスに視線を落とす。

(あの騒がしい女……母胎にしたらどうだろうか……。集団ひとつ、まとめてスーツケースにでもしてやろうか……。)

スタンド使いではない一般人の始末など、その気になれば15分で終わる。そうすれば、少なくとも45分は読書ができる。

「メローネよォ、」

「は?」

声の主に視線を向けると、ギアッチョは読んでいたアメリカンコミックから顔を上げ、気怠そうに車窓の外を眺めていた。

「このヤマ、いくらになった?」

「ああ……、ターゲット一人が2000万リラ、おまけの二人が合わせて同じく2000万リラ、金庫から抜いたポケットマネーが5000万、これは洗浄の手数料を引いても4600万にはなる。」

「4600万のうち半分は俺たちの小遣いになるな。」

「ああそうだ。今回はターゲットが金持ちだったからな、実入りが多くてベネ。」

 暗殺チームはショバ代とも賭博運営の利権とも無縁である。対価は殺した分だけ、文字通り体で稼いでくるしか金を得る手段がない。死体から金品を抜くことは特に禁止されておらず、足が付かぬようにするため洗浄の必要はあるものの、それらの半分はチームの財布に入れ、半分は実働者が小遣いにして良いルールになっていた。今回はギアッチョとメローネ、二人で2300万リラが小遣いになる。

「それでも安いと俺は思うがな……毎回命はって働いてんだからよォ~。」

「まあな。じゃあさギアッチョ、ある日突然大金が手に入ったらどうするの?」

 騒々しい観光客から意識の離れたメローネは、恭しく栞を挟んで本を閉じると、ギアッチョの膝をぽんぽんと軽く叩いた。

「ん……車を買い替えて……あとオーディオ……。ああ分かんねえなァ、いざ考えると使い道がわかんねえ。お前は?」

「エッ?」

 向き直ったギアッチョの碧い瞳を見ながら考える。

 新しいバイクも欲しいし、希少な本はいくらでも欲しい。けれども本当にやりたい事は他にある。

「ううん、旅行かな。世界一周旅行がしたい。そしたらギアッチョ、その時は一緒に行こう。何でも本物を見て回るんだ、アフリカの野生動物、中国の城壁、アメリカの摩天楼!きっと最高のベイビィが育てられる!」

「オメーがそれでいいなら、俺はそれでいいぜ。」

ギアッチョは瞳を細めて微かに笑う。本当は、何処へも行けない二人である。自分達はこのネアポリス行きの列車の様に、運命という名の列車に乗って、一直線に地獄へと向かっているのだ。

だがメローネは見たかった。本でしか知らない全ての場所を。ギアッチョが密かに憧れているアメリカを。きっと二人一緒なら、最高の旅が出来るだろう。

――地獄行きの旅でさえ、こんなにも楽しい二人なのだから。



LET FOREVER BE


 二人が辿り着いたネアポリスの街は、まさに通勤ラッシュのタイミングだった。ダークスーツを着た勤め人達が一斉に駅へと雪崩れ込み、反対にホームから出ていこうとする二人を器用に避けて通り過ぎていく。ピンクとブルーの奇抜な姿を、昼の世界に生きる彼等は見て見ぬ振りでやり過ごす。二人がどれだけ派手に着飾ろうが、彼等の目に決してその姿は映らない。一目でカタギでないとわかる人間に対し、いちいち関心を持つほど暇では無いのだ。

 駐車場に停めていた朱色のロードスターに乗り込むと、メローネは躊躇せずにルーフを開け放った。朝霜がおりるほどの寒さだが、ギアッチョの運転を助手席で楽しむのならば断然こうした方が良い。

 低いエンジン音と共に車が目覚める。現代社会においてスピードは正義だ。より速く動くものに人間は多くの価値を見出してきた。二人もその意見には概ね賛成の立場をとる。

 細い道でも御構い無しにアクセルを踏むギアッチョは、氷の上でブレーキをかけて、スリップした勢いでカーブを曲がる。刺激的な運転は、下手をすると仕事よりも命の危険に満ちている。後部にウーファーを積んだ改造車は、カーラジオの破壊的な伴奏でネアポリスの街を疾走する。スピードと大音量の音楽は、二人に原始的な高揚感を与えてくれる。

「もっと飛ばせよ!」

「そうこなくてはな!」

 刺すように冷たい風の中で、メローネは大仰に仰け反ってタバコの煙を吐いた。ばさばさとはためく自身のストロベリーブロンドが、飛び散った灰と共に薄ぼけた青空の中で踊っているのが見える。

 やがて陽射しが本格的に顔を出し、ネアポリスの街を金に染め始めた。顔を傾けると、その光は親友のふわふわとしたブルーの髪にも落ちている。

 太陽は偉大だ、そうメローネは思う。夜に生きる二人にも、朝になれば平等にその熱を分け与えてくれるのだから。

――こんな生活は長く続く筈がない。

 自分達はきっともうすぐ、短い一生を終えるだろう。それも、ロクでもない死に方で。

それでも今この瞬間がどうしようもなく愛おしいから、生き方を変えたりはできないのだ。



彼らの脚は悪事に向かって走り、流血を企んで急ぐ。

だが待ち伏せて流すのは自分の血。

隠れて待っても、落とすのは自分の命。

旧約聖書 箴言 第一章



White Noise


 朝焼けの街にはまるでドルチェにかかる粉砂糖の様に、薄っすらと雪が積もっていた。頬は刺す様な冷たさでヒリヒリと痛むが、普段目にしない雪のおかげで何とはなしに心が浮き立つ。

(ナポリじゃあ殆ど雪は見ないからな。)

 フーゴ辺りなら、この寒さに文句のひとつふたつ垂れるのかもしれなかった。しかし彼、グイード・ミスタは至極単純な男だ。美食に美酒、もちろん美女も大好物だし、何よりミスタは日々を楽しむ術を知っていた。余計なことを考えさえしなければ人生は楽しいものだ。時間を無駄にしないために、生きることを楽しむために必要なことは、今、目の前にある現実だけをしっかりと自分の五感で掴んでおくこと。過去は過去、ミスタにとって重要なのは今だけだ。

 そういう性格のおかげで、ミスタはフィレンツェの寒さにも全然めげてなどいなかった。寒さなど雪の珍しさに比べたら瑣末なことだ。仕事のために単身フィレンツェにやってきたミスタは、道中もピストルズ達と一緒に食事と酒とを思い切り楽しみ、道行く麗しい女性にはひとしきり声をかけて、お気に入りのレザージャケットをはためかせながら街を闊歩した。そして今朝はこれから、今回の出張のひとしあげへと洒落込むところである。2時間後にはネアポリス行きの列車に乗るとあれば、目の前の雪景色はまさに見納めの光景だった。朝陽はフィレンツェの歴史的な街の景観を、見事な黄金色に縁取っていた。

(綺麗だ。)

「ミスタ!気をつけろ!」

「わッ?!」

 ピストルズの声に我に返る。のんびり景色を見ながら歩いていたのが災いして、ふと、足が滑ってしまったのだ。体制を立て直して思わず石畳を見る。建物の影になっていた箇所が、少しばかり凍っていたようだ。

(危ねえ〜、転ぶところだったぜ。)

 ミスタはハアと白い息を吐いて、転ばずに済んだことにほっとする。ツルリと石畳を覆っている薄氷を見て、ミスタはかつて戦った同世代の男のことを思い出す。氷のスタンド使いと戦ったのはもう2年も前のことなのだ。パッショーネのトップにジョルノが立ってからというもの、時が過ぎ去るのは本当にあっという間だった。ミスタは過去を振り返ることが滅多にない。それでも、久々に目にする街の雪や凍った石畳は、あの男を思い出させるのに充分なきっかけだった。

(あいつは厄介だった。ああ、確かに強かった……。)

§

 その名前は全てが終わってから知った。ギアッチョ、氷。本名かどうかは分からない。彼は暗殺チームの一員で、パワーもスピードも、それからしぶとさにつけても、ミスタに二度と戦いたくないと思わせるのに十分なスタンド使いだった。ギアッチョは生まれながらのスタンド使いで、物心つく頃にはストリートギャングの仲間入りを果たし、十代の半ばにパッショーネに引き抜かれたという。彼は他の暗殺チーム員達同様、あまりにも殺しに長け過ぎたし、パッショーネに対する忠誠心が薄かった。殺しに長けパッショーネに対する忠誠心が薄い、という境遇はミスタも同様である。ピストルズの能力は暗殺向きだし、ミスタが忠誠を誓っていたのはブチャラティであってパッショーネではなかった。自制心から深くは考えないようにしていたものの、ミスタは暗殺チームの人間達と極めて境遇が近かった。ミスタの命は、ブチャラティがチームへ引き抜いてくれたからこそ、今日ここまで繋がっているのだ。暗殺チームも自分たちのチームとおなじくスタンド使いのみの構成員で成り立っており、しかも彼らが慕っていたのはボスではなく、己のリーダーだった。自分たちと暗殺チームと、一体何が違ったろう。ボスは彼らを恐れ過ぎたし、彼らは少しばかり身の振り方を誤った。ただ、それだけのことではないか。

 猛追してきたギアッチョの怒りの強さを思い出す。それは当然のことであって、たった1日で彼の仲間は皆死んだのだ。だがすべてが終わった今となっては、彼らと殺し合いを演ずる必要など少しもなかったことを知っている。助け合う道もあったのだ。その道を選ぶことができなかったのは、運命の残酷さの表れであるとしか言いようがない。

『ヴェネツィアの朝陽の中で、自分は何のために彼を殺したのだろうか?』

 薄氷が割れるような微かな声が、ミスタの耳元でささやいている。ミスタはその内なる声を振り払い、黒い瞳を氷から離すと、強い意志を持って前だけを見つめる。彼の死が決して無駄ではないということは、命を張り合った自分にしか分からないのだ。あの男の凄まじい精神力が、戦いの中でミスタを限界まで追い込み、そして成長へと導いた。

暗殺チームの屍を超えて、自分たちは栄光に手を伸ばした。

§

 ミスタは古びたアパートの前に立っていた。ピストルズに一階の玄関の呼鈴を鳴らさせておいて、自分は建物をぐるりと周回して裏口に立つ。ミスタの想定通り、呼鈴が鳴ると直ぐにアパートから慌てた物音がして、裏口から痩せた男が転がり出てきた。

 弾は1発で足りた。ピストルズを使うまでもなく、男はミスタの手によって死んだ。パッショーネのシマで麻薬を捌き、それが露見して一昨日から逃亡していた男だ。新生パッショーネは麻薬を絶対に許さない。この男の捌いた薬によるオーバー・ドーズで、子供が二人死んでいた。

 ホルスターに銃をしまって、日陰の薄氷に気を配りながら駅に向かって歩く。

(朝飯どうすっかなァ〜。あ、お土産買わねェとジョルノが拗ねっからなァ〜。)

 ミスタはギャングをひとり殺したくらいで咎めるような良心など、いまや欠片も持っていなかった。ジョルノと組織の目的のために働き、得た金で人生を思い切り楽しむ。それだけの単純さがあれば血に汚れた自分でさえ、今を幸せに過ごすことができる。

 自分の両手はすっかり汚れている。どんな理由があれ人殺しは人殺し。ギャングなどいずれも五十歩百歩の連中で、抗争などカタギからすれば本来お笑い種である。

 しかしミスタは、ブチャラティの意志を叶えると決めたのだ。

『ブチャラティがもし生きていたら。』パッショーネが困難に打ち当たるたび、そう思ったことが無いとは決して言えない。しかし死んだ者は蘇らないのだから、もう嘆くだけ無駄なのである。自分がすべきことは死者のために祈ることではなく、死者の意志を、今生きている人間の為に活かし、今生きている人間と共に叶えることだ。今のミスタが守るべきは、ジョルノと新しいパッショーネだけだった。

 ミスタは縁起を担ぐが神を信じなかった。信じない者もやはり地獄に落ちるのかどうかは知らないが、自分の生き様について、先に冥土に行った彼らなら、きっと理解してくれるのではないかとも思うのだ。

(あの世に行ったら聞いてみるさ。)

 そしてそれまでは、目的の為にひたすら生き抜いてみせる。これが生き残ったものの覚悟だ。

 ミスタが駅につく頃には太陽はすっかり昇っていて、あたたかな光は薄く積もった雪を溶かし出していた。これからカフェで腹ごしらえをして、駅前でドルチェでも買って帰れば充分だろう。ミスタは足元の溶けた薄氷が朝日をきらきらと跳ね返すのを見て、微かに笑う。

「アリーヴェデルチ。 (さようなら、また会おう。)」



われを過ぎる者、苦患の都市に入る。

われを過ぎる者、永劫の呵責に入る。

われを過ぎる者、滅びの民に伍する。

正義は高き創り主を動かし、 神威は、至高の智は、

始源の愛は、われを作る。

永遠に創られしもののほか、

わが前に創られしものなく、われは無窮に立つ。

われを過ぎんとする者、すべての望みを捨てよ。




Seeya Later


 バス停近くのトラットリアのオープンテラスでカルツォーネを食んでいたメローネは、やってきたバスから不貞腐れた表情の親友が降りて来たのを目にするや否や、勢いよく立ち上がってにこやかに手を振った。

「やあギアッチョ!随分と早かったじゃあないか!」

 声を掛けられた男の方はといえば、メローネの声を聞くなり尋常ならざる殺気を纏うと、大地が割れるほどの声を伴い激昂する。

「テんメエェェェメローネェェッ!!この野郎フザケやがってッ!殺す!俺がもう一度お前を直々にぶっ殺すッ!」

「ワオ、ディモールト元気~。」

「勝手にさっさと死にやがって!俺を置いていきやがって!それに、それに!あの新人の能力!お前ッ!あいつに余計な能力の応用方法を教えてんじゃァねェ〜〜ッ!!」

「ハハ、本当に悪かった。謝るよ。特に後半の指摘に対しては。」

 メローネは荒々しく歩いてきたギアッチョを迎えると、その身体をしっかりと抱き止める。脈も匂いもない身体。ここに在るのは互いの魂のみである。だが抱きしめた親友の身体はやはり温かく、メローネは堪らない気持ちになって微かに細い息を吐いた。呼吸に意味など無くても、魂は肉体の記憶を忘れはしない。

「俺は、リゾットを一人にしたくなかった……。」

「分かるよ。でもリーダーは孤独なんかじゃあない、そうだろ?まだ希望はあるんだ。」

「……ここは地獄なのか?ジジイはどうした?みんなは?」

 メローネはギアッチョの身体から離れると、その眼鏡の下に滲んだものを己の親指で拭ってやる。

「ひとつずつ話そう。まず第一に、ここはまだ地獄じゃあない。アレを見ろ。」

メローネに促されたギアッチョは、己が乗ってきたバスの停まる道の更に先に、天まで届くのではないかとすら思えるような、巨大で重厚な黒い扉がいくつも並んでいることに気がついた。その数は限りなく、地平線いっぱいに並ぶ扉は一見良く似た作りであるが、目を凝らして良く見てみると、扉に施された意匠はそれぞれ異なるらしかった。

「あそこに見えている仰々しい門は、すべてが地獄への入り口なんだ。そうだな、左から順に紹介しようか。まず古代メソポタミアの地獄、別名『不帰の国』だ。そこに堕ちた人々は暗闇の中を埃にまみれて座り、粘土の団子を食べさせられる。」

「そりゃあ陰湿だな。」

「で、次。古代エジプトの地獄だ。冥土の神・アメミトに心臓を食われると、地獄で永劫の苦しみを与えられるほかに、来世への復活を否定されるんだ。亡者は二度死ぬって訳だな!」

「……。」

「次が古代インドだろ、そしてその隣がゾロアスター教。ゾロアスター教の地獄は悪臭が常に漂っているらしい。それって地味に堪えるよな。ああ、もうそろそろ飛ばしてキリスト教の地獄を説明するか……右が裏切り者のユダが氷漬けになっているパターンの地獄、左はユダがいないパターンの地獄だ。」

「……なんだそれは。」

「キリストを裏切ったユダが地獄に堕ちたかどうか、現世の教会は明言できていないわけ。それで二種類の扉が用意してあるんだ。お、次はすごいぞ、極東の国、日本の地獄だ。門は一つだが、その内側は細分化され、なんと八種類もの地獄があるッ!亡者に対する責め苦のレパートリーも豊富だぞ。もっと拷問の参考にしておくべきだったよなァ~。ま、すべて紹介するとキリが無い訳だが、ここには古今東西の人間が想像してきた、ありとあらゆる地獄の門が用意されているんだ。」

「ハァ、頭が痛くなってきたな……。で?すると俺たちはどの門の扉を叩けばいいんだ。」

「問題はそこだ。ギアッチョ、神を信じたことは?」

「ハ?」

「なんでもいいぞ、キリストに限らず、仏教でも、新興宗教でも。」

「無えよ!強いて言うなら俺はリゾットの言うことだけは、百パーセント信頼してたッてくらいだぜ!」

「そうだろ?俺たちのチームはみんなそうなんだよ。分かるだろ?神に祈るより行動する方が早いと思ってる連中ばかりなんだからな。で、ここが問題なんだ。」

「おいまさか、」

「お、察しがいいなギアッチョ。そのまさかだ。俺たちには、入ることのできる地獄が存在しない。」

「ハァ〜〜ッ?!」

「笑えるだろう、現世でも居場所がなかったっていうのに、死んでも居場所がないんだぜ、俺たち!」

ハハッと乾いた笑いを零すメローネを眺めながら、ギアッチョは己の孤児院時代の説法を思い出す事に注力する。記憶よ甦れ、あの時、自称・聖職者どもは偉そうに何と言っていただろうか?

「いや、メローネ、神を信じぬものは辺獄でも黄泉でもなく、確かに地獄へ落ちるんだと脅されていたぞ、俺は。」

「それってギアッチョが孤児院時代に受けていた説法のこと?でもさァ〜、良く考えてみなよ。どの宗教も似たような事を言ってるんだぜ、自分たちの教える神を信じなければ地獄に落ちるッてさ。信仰心が無い奴は地獄に落ちるって。だがどうやら地獄の概念は縦割りらしいじゃあないか。どの宗教も信じていない奴は、一体どの宗教が論じる地獄に落ちるんだ?結局のところ、信じるものが無ければ、昇るべき場所も落ちるべき場所も無いんだよ。」

「そんなものか。マァ、お前が言うならそうなのかもしれねェ。」

「そんなものだよ。結局、そういう信仰心の無い奴も大勢、元気一杯に地球に生きているわけだろ?つまりさ、例え神なる存在があったとしても、信仰心の無い奴も滅ぼされずにその在り方を赦されているわけじゃあないか。本当に信仰心の欠如が悪なのだとしたら、今のような状況を全知全能の神が放っておく訳がない。この論法を応用するとさ、ギアッチョ。俺たちはロクでもない悪党だったが、実は最初から最後まで、生きる事を赦されていたんじゃあないかッて思うんだよなァ〜。」

「ハァ〜、面倒くせえ。俺は難しいことは分かんねえけど、まァ、これからも楽しくやれれば異論はないぜ。で、他の奴らは。」

「プロシュートはこの事実を地獄の門番一人一人に聞いて回って、聞いたそばから門番を枯らして接近禁止になっちゃってさ。最終的にはリーダーを応援しに行くッて、みんなを連れて鼻息荒く出て行ったよ。……リーダーはどうやら、サルディニアに向かったんだ。」

「死んでも元気なジジィだなァ全くよォ〜ッ!サルディニアか。……メローネ、俺たちも行くか。」

「ああ。俺、ギアッチョが来ない事を願ってた。でもやっぱり親友だからさ、ここで幾らでも待ってようと思ったんだ。案外早く来てしまって少し複雑なんだけど、また会えて嬉しい。」

「フン、ああクソッ、負けたことは当然頭に来るが、終わっちまった事は仕方がねえ。後悔する程やり残しのある戦いじゃあ無かったからな。さっさと行こうぜ。」

「そう来なくてはなギアッチョ!」

メローネは親友の身体を掻き抱く。二人にとっては全てが今の連続で、その辞書には後悔の項もなければ未来への不安といったページも存在しない。

「ア〜、結局何で行く?ホワイトアルバムは出せるのかァ〜?凍らせるべき水分は、この世界に無ェんじゃあないか?」

「ああギアッチョ!それは愚問だね!魂の世界に物理法則を持ち込むだなんて。想像すればなんでもできるさ。と、言うわけで、俺はモトグッツィの新車を用意した。欲しかったんだよね。」

「なるほど。俺はパガーニのロードスターにでもするかァ〜?いいや、やっぱり自分で走った方が速いな。ホワイトアルバム!」

 ギアッチョにとって、その能力は生まれながらの性質なのだ。氷の装甲は肉体の記憶のみならず、鍛えられた己の魂そのものに刻み込まれている。ギアッチョはスタートダッシュの姿勢を取ると、低い姿勢から勢いよく前に向かって走り出した。

 微細な氷の粒子を撒きながら全速力で疾走しているギアッチョの少し後ろを、メローネはモトグッツィで並走する。

 時速92km、93km、……記録更新。

「やったぞギアッチョ!新記録だ!」

「おい!それより方向はこっちで合ってんのか?」

――サルディニアまで、出来るだけ速く走らなくては。

 そこでは家族(チーム)が、二人を待っているのだから。



われを過ぎる者、苦患の都市に入る。

われを過ぎる者、永劫の呵責に入る。

われを過ぎる者、滅びの民に伍する。

正義は高き創り主を動かし、 神威は、至高の智は、

始源の愛は、われを作る。

永遠に創られしもののほか、

わが前に創られしものなく、われは無窮に立つ。

われを過ぎんとする者、すべての望みを捨てよ。



Ridicolo! 馬鹿馬鹿しい!

だから何だ? E Allora?