「大野精七博士顕彰碑」。
(あしあと その575・中央区の202・宮の森の3)
大倉山ジャンプ競技場のジャンプ台に向かって右手にレストランなどが入居するクリスタルハウスの建物がありますが、その裏手に行くと、山際に大きな石碑が建てられているのが見えてきます。
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石碑は、黒御影石でできた台座の上に、人物の横顔のレリーフがはめ込まれた大きな石板が載せられており、台座の正面には「大野精七博士顕彰碑」と大きく刻まれています。
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碑銘の下にはブロンズ板がはめ込まれ、それには
「大野精七博士は、大正10年北海道帝国大学に招かれてより今日まで60有余年 本道医学界の先達として 医学教育の充実ならびに医療の発展に多大の貢献をされました。
一方 わが国スキー界草創以来の指導者として故秩父宮雍仁(やすひと)親王殿下のお励ましにこたえて本道スキー界の発展に大きく寄与され 特に宮様スキー大会国際競技会の生みの親としてまた 昭和47年第11回冬季オリンピック札幌大会成功の推進力としてご活躍されました
ここに 博士ゆかりの大倉山ジャンプ競技場に顕彰碑を建立し そのご功績をたたえます
大野精七博士顕彰碑建立期成会」
と記されています。
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石碑の裏側下部には、向かって左側に
「昭和57年3月建立 北海道知事 堂垣内尚弘 札幌市長 板垣武四 建立期成会会長 伊藤義郎」
と刻まれています。
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下部右側には、
「大野精七博士 97歳 出身地 茨城県 生年月日 明治18年8月17日 題字 北海道知事 堂垣内尚弘 彫刻家 佐藤忠良」
と刻まれています。
また、この碑が建てられている敷地を囲むブロック塀には、
「旧大倉シャンツェ遺垣
旧大倉シャンツェは 故大倉喜七郎男爵が昭和6年12月 故秩父宮雍仁親王殿下のご発意にこたえて ノルウェーの故オラフ ヘルセット中尉が選んだこの地に建設した
札幌オリンピック冬季大会90mジャンプが行われた大倉山シャンツェの基礎となった
札幌スキー連盟名誉会長 大野精七」
と記されています。大野精七氏は、札幌医科大学の初代学長を務めた人物で、その胸像が大学構内に建てられています。