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「宇田川源流 日本万歳!」 一本300万円なのに購入希望者が多すぎて抽選になる日本のウイスキーのクオリティ

2020.02.09 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 一本300万円なのに購入希望者が多すぎて抽選になる日本のウイスキーのクオリティ

 毎週月曜日は「日本万歳!」として、日本のすばらしさや日本人としての誇りを再確認するということをしている。

日曜日から月曜日になって、毎週頑張っている我々が、今週一週間も頑張っていただけるように、せめて応援して、日本人としての誇りを持っていただきたいと思っている。

とかく、ジャーナリストというのは、あまり日本の良いことを書かず、どうしても批判めいたことばかりを書いてしまい、あまり日本人の誇りなど素晴らしいことを書くことはない。

そのようになってしまっているので、毎週月曜日ぐらいは、日本の素晴らしいことを書いてみようと思っている。そのために「そんなことは当たり前」とか「そんなことはわかっている」というようなことも、しっかりと書いて、他の国との違いを確認してゆこうと思うのである。

ところで、細菌は新型コロナウイルスが猛威を振るっており、かなり大変なことになっている。それでも実は日本人の多くは「他人事」としてマスコミを通しテレビの中の世界であるかのような感じを持っているのではないか。

そのような時にたまに「おやじギャグ」の一つとして言われているのが「体内をアルコール消毒している」といいながら酒を飲んでいる感じである。まあ、酒を飲んでいられるということはそれだけ元気なので、確かに「他人事」なのであるが、まあ、当事者からすれば、それどころではないというのは普通の話なのである。

その中で日本の酒というのはなかなかクオリティが高いということで世界でも話題だ。

少し前の時代劇などでは、傷口を消毒するのに酒や焼酎を吹きかける場面がある。実際に、日本の酒造りの技術は、かなり素晴らしいものであり、世界に誇れる。その日本酒や焼酎づくりの技術で作ったウイスキーが、最近の世界のトレンドである。

日本の場合、2014年9月29日から2015年3月28日まで放送された連続テレビ小説第91シリーズで「まっさん」という朝ドラをやっていた。このドラマでは、ニッカウヰスキーの創業者である竹鶴政孝とその妻リタがモデルであるとされているが、そうではなく、現在ではサントリーの山崎の方が有名になっているようである。


山崎55年 300万円で販売へ

 サントリースピリッツは30日、シングルモルトウイスキー「山崎55年」を100本限定で抽選販売すると発表した。前回の東京五輪開催年の昭和39年以前に仕込んだ、酒齢55年超のモルト原酒のみを使って造り上げた。700ミリリットル瓶で税別価格300万円と超高額だが、同社にとって最高酒齢の商品で、ブランドの情報発信のために製造したという。

 同社執行役員の鳥井憲護ウイスキー事業部長は、発表会見の同日(1月30日)が創業者・鳥井信治郎氏の誕生日であることに触れ、「100本しか届けられない心苦しさもあるが、山崎は思い入れ深いブランドであり、私どもが考えるふさわしい価格をつけた」と自信を見せる。山崎ブランドの過去最高酒齢の商品は2005年(平成17年)に発売した「山崎50年」で当時の税別価格は100万円。

 「山崎55年」はアルコール度数46%で、日本最古のウイスキー蒸留所・山崎蒸溜所の原酒の中から、希少価値の高い長期熟成モルト原酒を厳選。開発には2年かかり、昭和39年に蒸留したホワイトオーク樽原酒や35(1960)年蒸留のミズナラ樽原酒など、熟成のピークを迎えた複数の原酒を調合したという。

 ボトルはクリスタル製で「山崎」の筆文字を彫り込んだ。ボトルの口部は手すき越前和紙で包み、駿河漆を施した国産ミズナラ材の特製木箱に収めている。

 チーフブレンダーの福與伸二さんは、「55年たつと、個性が際立ってくる。豊かな香りの表現や、長い熟成では樽の成分が出すぎて渋すぎたりするのを、どうおいしく飲んでもらえるかを追求してきた」と話した。

2020年01月30日 15時04分 産経新聞

https://news.nifty.com/article/economy/business/12274-546159/


 「山崎」は、サントリースピリッツ山崎蒸溜所が製造し、販売しているシングルモルトウイスキーの銘柄である。一昔前は、日本のウィスキーの質はそんなに素晴らしいものではなかった。しかし、21世紀になってから、このサントリーの山崎などが徐々に世界で見直され、世界のもっともトップの賞を受賞するなど、世界的な評価が高くなっているのである。この世界の評価の高まりと同時に、「品薄」状態が続いており、なかなか手に入らないウィスキーというようになってしまっている。まあ、御他聞に漏れず、某あの国辺りでは、毎度のごとく偽物が出回るというような状況になっている。

なんといっても、日本という、そもそもウィスキーの本場でも何でもない国が、いつの間にか関あでトップのウィスキーを作るというのは、どういうことなのであろうか。実際に、世界トップというのはその醸造や水、原材料の選び方が最も素晴らしかったということを意味しているのである。

この「山崎」について、サントリーのホームページではこのように書かれている。

<以下抜粋>

サントリー創業者・鳥井信治郎は、赤玉ポートワインを売って得た資金を、すべてウイスキーづくりにつぎ込む決断をします。ところが、周囲は猛反対。社内の役員はもちろん、親交を深めていた多くの財界人からも、ウイスキー事業を思いとどまるよう、熱心に説得されます。しかし、信治郎はそうした人々を前に言い放ちます。

「やってみんことには、わかりませんやろ」

 水はウイスキーの命。信治郎は、水を求めて日本全国を訪ね歩きました。1923年、ついに巡り会います。京都の南西、天王山の麓、山崎に、その水はこんこんと湧き出ていました。山崎は、万葉の歌にも詠まれた、水生野(みなせの)と呼ばれる名水の地。

かの千利休もこの水を愛し、秀吉のために茶室「待庵」(国宝)を構えたほど。軟水の中でも硬度が高めの山崎の水は、複雑さと重厚さを併せ持ったウイスキー原酒をつくるのに、これ以上ないものでした。また山崎は、桂川、宇治川、木津川の三川が合流する地。地形的に霧が発生しやすい環境も、ウイスキーの熟成にうってつけでした。

 地を得た信治郎は1923年10月、満を持して山崎蒸溜所の建設に着手しました。翌1924年11月11日、完成。いまでは世界中で高い評価を受け、数多くの国で愛飲されているジャパニーズウイスキーの第一歩が、この日、踏み出されたのです。

<以上抜粋>

まあ、私からすれば「山崎」というのは、これだけの川が集まる場所であり、横に天王山という要衝があるので、本能寺の変の後の明智光秀と中国大返しを行った羽柴秀吉が戦った場所という感じの印象が強い。その地にサントリーの工場がありそこで作られている。ある意味で「天下分け目」である。

その天下分け目の戦いを分けた水が、そのまま、現在のウィスキーの世界を変えたというような感じになっているのはなかなか面白い。そこに上記のように、「日本人は物事を作るのに魂を込める」ということが、世界に受け入れられらのではないか。

この55年物の山崎の価値は、私には少々高いものの、やはり、日本の物づくりのすばらしさを表しているのではないか。

ああ、日本に生まれたので、一口飲んでみたい!!