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沿線冬景色 2020年 冬

2020.02.09 13:51

ようやく奥会津に本格的な雪が降るとの天気予報を聞き、JR只見線の列車に乗って沿線の雪景色を見に行った。

  

今年は全国的な雪不足で、会津地方も例外ではなく、例年に比べ、極端に少ないという。雪かきや雪下ろしの重労働から解放され、この少雪を歓迎している住民の方も少なくないと思うが、積雪を見込んだ観光業を営む方々にとっては苦難の冬になっている。

 

只見線も例外ではなく、車窓から雪景色を眺めたり、銀世界の中を進む列車を撮ったりする機会に恵まれず、特に東南アジアからのインバウンドは残念な思いをして旅を終えてしまっていたのではないかと危惧していた。 

また、現在只見線を走る東北地域本社(仙台支社)色のキハ40形が来月で引退し、キハE120形に置き換わる予定で、雪景色の中を走るキハ40形を写真に収められる期限が迫っている事から、多くの“撮る人”(撮り鉄)はやきもきしているだろうと考えていた。 *下図出処:東日本旅客鉄道株式会社「只見線の運転再開に向けた取組みならびに車両の置換えについて」(2019年11月28日)

 

そんな中、ようやく奥会津地域を覆う寒波が訪れ、数日間雪を降らせるだろうという天気予報を聞いた。これは只見線に乗るしかない、と思い旅の予定を立てた。


今日の旅程は以下の通り。

・会津若松駅から只見線の始発列車に乗って、夜が明けてゆく車窓からの景色を見る。

・会津水沼駅で降りて、「第四只見川橋梁」を見下ろす事ができる国道道252号線の第四沼田跨線橋から列車(キハ40形)を撮る。

・国道252号線を歩き「かねやまふれあい公園」に行き、大志集落を背景に列車(キハ40形)を撮る。

・会津川口駅から只見駅行きの代行バスに乗り、“会津塩沢駅”で降りて、十島橋から只見川の風景を見る。

・“会津塩沢駅”から代行バスに乗って折り返し、会津川口駅で列車に乗り換え会津若松駅を経て、帰宅の途に就く。


  

奥会津の今日は、全般的に雪模様で車窓からの風景は霞み、爽快な銀世界を見る事が出来なかったが、列車(キハ40形)を撮る時間帯に陽射しがあるという幸運に恵まれ、充実した旅になった。 

*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線の冬

  

 


 

 

昨夜は、三島町から会津若松市内に戻り宿泊。

今朝、只見線会津川口行きの始発列車に乗るため、まだ暗い中を駅に向かった。

 

今日も「小さな旅ホリデー・パス」を購入し、自動改札を通り、只見線のホームに向かう。連絡橋から列車を見下ろすと、昨日往路で乗った先頭がラッピング車両だった。

編成も昨日と同じで、先頭のセミクロスシート、後部がロングシート車両だった。私は先頭に乗り込んだ。

6:00、会津川口行きの始発列車が定刻に会津若松を出発。

  

 

七日町西若松の両駅で客がどんどん乗り込んできて、先頭車両は30名ほどの客で賑わい、ロングシート車両も7割ほど埋まり、身なりから想像すると大半は観光客のようだった。皆、今回の降雪を待っていたのだろうと思った。 

  

 

列車は会津本郷会津高田根岸新鶴と進む中で、外はゆっくりと明るくなってきた。会津美里町から会津坂下町に入り、若宮手前で、ようやく車窓からの景色を見られるようになった。

  

6:36、会津坂下に到着し、下りの始発(会津川口→会津若松)とすれ違いを行う。降りる客は少なく、車内は変わらず賑わい続けた。


 

列車は、会津坂下を出ると、会津と奥会津の境界となる七折峠に向かった。

    

登坂途上、昨日と同じ場所から会津盆地を見る。朝日が雲に遮られている中、はっきり見える範囲が限られたが、良い眺めだった。

この“七折登坂”時に車窓から見える風景は、只見線の名物の一つに加えられる可能性がある。しかし、春から秋にかけては生い茂る雑草や枝葉に遮られ、よく見る事は出来ない。この場所は、“観光鉄道「山の只見線」”を確立させるための「只見線利活用」事業で、景観創出を行って欲しい場所の一つだと思っている。

      

列車は塔寺会津坂本を経て柳津町に入る頃には雪が舞い始め、会津柳津を過ぎ"Myビューポイント"を通過。「飯谷山」(783m)を頂点とする山の稜線は雪雲に隠れ、雪も強まり、まったく見えなかった。この先、車窓からの景色などが撮影できるか心配になった。

   

次の郷戸では、客が一人降りた。地元の方だろうか、この時間帯では初めて見た降車客だった。

   

滝谷を出発直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入る。雪景色に期待していたが、降雪で綿帽子群をはっきり見る事ができなかった。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館歴史的鋼橋集覧

 

 

会津桧原を出発し、桧の原トンネルを抜けて「第一只見川橋梁」を渡った。下流側を見たが、「日向倉山」(605m)から西に延びる稜線は霞んでいた。

  

会津西方を出発すると、降車した客がホームの先端に駆け足で移動し、列車にカメラを向けていた。

   

列車は、直後に「第二只見川橋梁」を渡ったが、ここでは雪が強くなり、カメラのピント合わせがうまくゆかず、シャッターチャンスを逃してしまった。

  

渡河後、列車は減速しながら「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の“長男”大谷川橋梁の渡った。ここでは、風景がくっきり見え、まずまずのモノが撮れた。*参考:三島町観光協会(観光交流館からんころん)「『みやしたアーチ3橋(兄)弟』のビューポイント」(2013年6月16日) URL: https://blog.goo.ne.jp/mishimakankou/e/e93620f5690ee4e3adf6d1124b2f46e5

    

7:29、会津宮下に到着。上り列車とのすれ違いを行った。

ここでは、多くの客が降りた。「第一只見川橋梁ビューポイント」に行くのだろうかと思った。*参考:三島町観光協会「只見川第一橋梁ビューポイント行町営バス

 

会津宮下を出発し、国道252号線と交差した後、列車は東北電力㈱宮下発電所と宮下ダムの脇を通り抜けた。

ダム湖(只見川)は、川面の濃青緑色が出ていて、まずまずの眺めだった。

  

只見川沿いを進んだ列車は、わずかな時間離れた後、「第三只見川橋梁」で三度目の渡河する。下流側を眺めるが、ここは良い景色が見られた。

橋梁を列車が走ると、ここでも大半の客が窓に目を向けていた。カメラを持っていても撮るのを止め、見入る方も居た。

    

「第三橋梁」の渡河直後に滝原トンネルに入り、抜けると短い明かり区間を駆けた。

対岸には建設当時に純揚水で"東洋一"の発電量を誇った沼沢沼発電所と水圧鉄管跡があるが、枝木があるためによく見えない。ここも枝打ちなどの景観創出事業を行って欲しい場所だ。 *参考:水力発電所ギャラリー「東北電力株式会社 沼沢沼発電所」URL: http://www.suiryoku.com/gallery/fukusima/numazawa/numazawa.html

   

 早戸トンネルを抜けた直後に、早戸に到着。上流側を眺めるが、ここは気のせいか河岸にあった木が伐られ、見通しが良くなっている感じがした。

ここでも降車した客が列車にカメラを向けていた。キハ40形の"撮りたくなる"価値の高さを再認識した。

    

早戸を出ると、列車は金山町に入り、8連コンクリートアーチの細越拱橋(めがね橋)を渡る。道路も白一色で、只見川の青緑色が際立ち、良い眺めだった。前方には撮る人が3人見えた。 

 

下大牧集落の背後を通過した際は、雪化粧した様子を眺めた。奥会津の大屋根家屋の集落は雪に映える、と改めて思った。

 

 

7:54、会津水沼に到着。私の他、一人の観光客が降りた。雪は降っておらず、前方の空は微かに青み掛かっていた。

駅舎に入り、"只見線水沼駅ノート"を見る。まもなく2冊目が利用者のコメントで埋められようとしていることもあってか、3冊目が用意されていた。

    

駅舎を出て、国道252号線を少し歩き、水沼橋上から「第四只見川橋梁」を眺めた。川面が冴え、綿帽子が両岸や前方の山肌にも見られた、良い景色だった。 

水沼橋の端では、私を同じく会津水沼駅で降りた方が、大きなカメラを構えていた。「第四只見川橋梁」を通過する列車を撮るようだった。

ここには、踏み固められた雪の上に、三脚が4脚立っていた。

この水沼橋には、狭いながらも、両脇に歩道がある。ここは「第四橋梁」の撮影ポイントであることから、除雪し、できるだけ安全に歩行と撮影ができるようにすべきだと思った。

橋上に置かれた三脚の持ち主は、近くにある駐車スペースに停めた車内で待機しているようだった。会津ナンバーが2台あったが、他4台は他県ナンバーの車両だった。

また、ちょうどやってきたマイクロバスからは、東南アジア系のインバウンドが降りようとしていた。ツアー客で、水沼橋から「第四橋梁」を撮影するのだろうと思った。

   

国道252号線を、通過する車両に気を付けながら歩くと、まもなく水沼スノーシェッドに入り、一息つけた。歩道があり、安心して歩く事ができたからだ。

   

2つ目のスノーシェッドを抜けると、目的地に着いた。会津水沼駅から20分ほど掛かった。ここには5台の車両があり、うち4台は県外ナンバーだった。

国道の法面下の、「第四橋梁」を通過する車両を正面から撮る事ができる撮影ポイントには、9名の“撮る人”々が居た。

下路式のトラスの「第四橋梁」は冠雪し、周囲に一体化し、陽射しが出てきたこともあって、良い雰囲気だった。

これから通過する車両が東北地域本社色(2色の緑と白)だったら、ここで写真を撮りたいと思ったが、今回は後部車両がラッピング車両になると分かっていたので、当初の予定通りにすることにした。

  

雪に足を撮られながら国道の法面を上り、ガードレールを越えて国道に出て、第四沼田跨線橋の端から、列車を撮影する構図を探った。

国道252号線は、ここから中川地区まで約2.3kmの間で拡張工事が行われている。看板や工事車両があるため迷ったが、何とか撮影場所を決めて列車を待った。   

 

8:45、ほぼ定刻通りに、列車は先のカーブから静かに顔を出した。そして、ゆっくりとこちらに向かってきた。タイミングを見計らって、シャッターを押した。

山の陰で車体に光が当たらなかったが、雪からの反射光があったからか、思いのほか明るい一枚となった。前後車両の窓を開けている客が二人いて、工事車両と仮設ハウスが入ってしまったが、これも“一点モノ”として納得した。

  

撮影を終え、次のポイントである「かねやまふれあい公園」向かった。左上方に只見線の路盤を見ながら、ほぼ並んで通っている国道252号線を西へ、途中から南に進んだ。

国道は除雪されていたが、もともと路側帯もないような狭い区間なので、車道を歩くしかなかった。後ろから車がやってくると、立ち止まりやり過ごしてから歩く事を繰り返した。道路の拡張工事では、歩道を敷設してもらいたいと思いながら黙々と歩いた。

   

9:05、東北電力㈱上田発電所・上田ダムに到着。

上田ダムは、大志集落、会津川口駅、「第五只見川橋梁」等の水辺や水鏡の景観を創り出しているダムだ。さらに、只見線の列車の車窓から見る事のできる、ダム-ダム湖-取り囲む山々という組み合わせの景観では、一番ではないかと私は思っている。

しかし、残念ながら、上田ダム湖(只見川)と只見線の間には木(杉)が密集林立しているので、直側を走っているのにも関わらず、この景色を見る事ができなくなっている。

実際、車窓から見える景色。続く木立の中、一瞬現れる“隙間”から、電線越しに上田ダム湖と湖面に映った山々を見るしかなくなっている。

木立は只見線の路盤法面の崩落防止の役割をしている可能性が高いので、簡単に伐採はできないだろうが、間伐と枝打ち、そして電線地中化(地上化)で、この区間の景観創出を行って欲しいと私は思っている。

この上田ダム湖(只見川)の景色は、“観光鉄道「山の只見線」”を多くの人々に認知していただくためには必要なコンテンツだ、と改めて思った。

  

9:13、中川地区に入った。ここから道路改良工事が済んでいる場所なので、歩道があり、しかも除雪されていて、安心して歩く事ができた。

  

会津中川駅入口の前を通り過ぎ、下り坂に入り振り返ると、道の駅「奥会津かねやま」の向かい側に建設中の「東北電力奥会津水力館」が見えた。思いの外大きく、今年初夏のオープンが楽しみになった。

     

さらに国道252号線を進み、大志集落を抜けようとしたとき、強い風がふき、雪を舞い上げた。陽射しがあったために幻想的な景色が見られた。

大志集落を過ぎ、第五沼田橋上から会津若松方面の只見線のレールを眺めた。ここからの眺めも良く、この列車と一緒にこの景色を撮るのだろうか、一人のカメラマンが車の中で待機していた。

この跨線橋を渡り少し進むと、ガードレールを超え雪だまりの中に入り只見線のレールに向かってカメラを向ける二人組がいた。“撮る人”がそれぞれのアングルを探り良い一枚を撮ろうとしている、と思った。

   

9:38、「かねやまふれあい公園」に到着。第四沼田跨線橋から約50分かかった。

展望所には20名を超える観光客が居て、そのほとんどがカメラやスマートフォンを構えていた。4対6で日本人よりインバウンドの方が多かった。

第四沼田跨線橋そばの駐車場で見かけたマイクロバスも停まっていて、ガイドらしき方が客に声を掛けていた。

私は、この混雑の中、隙間を見つけカメラを構えてアングルを決め、列車の通過を待った。

     

9:46、列車の汽笛がこだまし、会津中川駅を出発したキハ40形が大志集落の脇に顔を出した。2両編成でどちらも東北地域本社色だった。

カメラを構えた方々からは『来るぞっ!来るぞっ!』と声が掛かり、東南アジア系の観光客からは明るい歓声が上がった。  

 

列車は雪原を滑るように、カタコトという通過音を微かに響かせながら、ゆっくりと撮影ポイントに進んできた。周囲から声は途絶え、シャッター音が響き始めた。

私もギリギリまで待ってシャッターを押した。

僥倖というべきか、太陽が顔を出し、順光となった。キハ40形は程よい光を浴び、写真の中で緑のラインが際立つ一枚になった。

観光鉄道「山の只見線」”には、このキハ40形が溶け込む事を再認識するとともに、4月からのキハE120形への置換えが心配になった。

  

撮影場所となった「かねやまふれあい公園」では遊歩道の整備をするという。工期は来月末までというが、雪が少ないから大丈夫だろうと思った。

 

撮影を終え、「かねやまふれあい公園」を後にして会津川口駅に向かった。途中、林道の上井草橋を渡り、中ほどまで進み駅の方を見ると、なかなか良い景色が見られた。

駅に目を凝らすと、ホームに客があふれ、写真を撮っているのが分かったが、先ほど撮影した列車は建物の陰で陽が当たらず、この風景から埋没してしまっていた。惜しいと思った。

国道に戻り、列車が入る構図で周囲の風景を撮っても、先頭部分がちょうど影に覆われてしまっていた。

反対側に入線すれば、とは思ってしまうが、会津川口駅は列車の交換駅で、反対側のホームは小出からやってきた列車が入線しすれ違いを行うので、現在は不通とはいえこの運用は変えられないだろうと思い直した。

   

駅に向かって国道252号線を進むと、私と同じように歩く観光客が前方に2名いた。

さらに進むと、今度は、先ほどの列車から降りたと思われる観光客が駅から歩いてきていた。

どちらもインバウンドの方々だったが、慣れない土地と雪道を思うと心配だった。

この道路の線路側には歩道が無く、車は歩行者の近くを通る事もあり、私も気を遣いながら歩いた。「かねやまふれあい公園」の遊歩道整備も大事だが、駅からの歩行空間整備も必要だろうと思った。

   

  

10:01、会津川口駅に到着。

構内を抜け、ホームに入らせていただくと、多くの方が列車を撮影していた。大半が一眼レフカメラを持った、日本人だった。

会津川口から先、只見までが「平成23年7月新潟・福島豪雨」で被害を受け不通になっている。現在、2021年度中の復旧に向けて工事が行われている。

   

10:30、代行バスが出発時刻から5分遅れて只見からやってきた。10名ほどの客が降りた。

10:35、私を含め20名を超える客が乗り込み、折り返し運転の只見行きの代行バスが会津川口を出発。

圧雪で凸凹した国道252号線を進んだ。

  

出発してまもなく、右側に「第五只見川橋梁」が見えてきた。列車が通ったならば良い構図だと思える景観だった。

豪雨で「第五橋梁」は右岸、会津川口方面の橋桁1間が流出したが、昨年、再架橋工事が行われ、8年振りにつながった。

 

代行バスは、本名、湯倉温泉前、会津越川会津横田会津大塩と“各駅”に停車し、滝トンネルを抜け、只子沢を渡り只見町に入った。青空は徐々に見えなくなり、上空は雪雲に覆われ、雪が舞うようになってきた。 

  

11:14、会津塩沢駅となっている、塩沢簡易郵便局前に到着。定刻から14分を過ぎていた。

時間があったら、このままバスに乗り只見まで行き、「只見ふるさとの雪まつり」に参加したかったが、今日中に富岡町に帰るには、ここが限界だった。  

 

さっそく、近くの只見川に架かる町道の十島橋に行き、中ほどまで進んだ。

橋上から、まずは下流方面を眺めた。幅広の只見川は、下流にある電源開発㈱滝発電所の滝ダムが作り出しているダム湖になっている。

戊辰役・北越戦争で重傷を負い、(会津)若松城下を目指し退却していた長岡藩家老の河井継之助が亡くなった場所は、今は湖底(川底)に沈んでいる。氏の終焉の地となった矢沢宗益邸の一部は、左岸にある河井継之助記念館に移設展示されている。 

 

上流側を見ると、「蒲生岳」(828m)が霞んで見えた。

     

11:27、バス停に戻り、少し遅れてやってきた代行バスに乗った。車両はマイクロバスで、6名ほどの客が乗っていた。

代行バスが塩沢スノーシェッドに入る手前で、蛇行する只見川の下流側を眺めた。右岸奥は雪で霞んではっきり見えなかったが、両岸の山の稜線は比較的なだらかで、雄大な風景は見応えがあった。この景観は、只見線が復旧すれば、只見方面からやってきた列車が滝トンネルに侵入する前に見る事ができる。

 

会津大塩を経て、会津横田の手前、二本木橋上から上流側に再架橋工事が進む「第七只見川橋梁」を見た。新造された、コンクリートの橋脚が際立っていた。

  

会津越川を過ぎて、本名手前では東北電力㈱本名発電所・本名ダムの天端(本名橋)から、こちらも再架橋工事が進む「第六只見川橋梁」を見下ろした。

   

 

12:04、定刻を僅かに遅れ、会津川口に到着。往路と違い、上空には雪雲が広がり雪が舞っていた。

構内を抜けホームに向かうと、キハ40形を撮る方が居た。この列車は私が撮影した列車で、2時間30分以上も停まっていたことになる。

 

12:22、会津若松行きの列車が会津川口を定刻に出発。上井草橋を潜ると、左手に大志集落が見えるが、写真を撮った時とは一変、降雪で霞み、よく見る事ができなかった。

 

車内の様子。  

2両編成の車内は双方とも混雑していた。後部車両には、日本人のツアー客と思われる団体を中心に満席に近かった。

私が乗った先頭車両も、日本人、インバウンドの観光客と思わる方が9割方で、賑わっていた。進行方向に正対するBOX席のシートは全て占められていたため、私はロングシートに座った。

福島県の実証事業の「おもてなし企画「おいしさ満載。絶景!只見線」」(2019年10月5日~2020年2月29日)で会津川口駅から乗り込んだ、スタッフの一人である酒井さんは只見線の法被を着て、パンフレットを配り、沿線の特産品を販売し、車窓からの見どころを伝えるなど、大忙しだった。

  

私は車内で昼食を摂った。会津川口駅構内の売店で入手した“名物 勝ロール”。駅前の「民宿 食堂 おふくろ」が作っているというが、初めて知り、手にした。 

豚カツがレタスと一緒になった海苔巻きだったが、レタスが想像以上にシャキシャキしていて、カツの濃厚な味と食感に絶妙なアクセントを与えていた。旨かった。

この売店では、欲しいと思っていた色鉛筆画家である大竹惠子先生(金山町大志出身)のカレンダーも入手することができた。去年はじめて利用し、とても気に入り、今年は只見線の沿線で買おうと思っていた。 *参考:大竹惠子先生ブログ「絵描きのけいちゃん」URL: http://heartheart623.cocolog-nifty.com/blog/

   

列車は、雪が降る中をゆっくりと進んでいった。

私の前には、中華圏の観光客と思われる二人組の女性が居て、大半の時間を、体をひねり顔を窓に向けていた。

  

「第四只見川橋梁」を渡る直前、撮影ポイントに“撮る人”々が居たが、若い女性の姿も見られた。

「第四橋梁」上からの下流側の眺め。水沼橋が霞んで見えたが、往路同様ここにも“撮る人”々がいるだろうと思った。

  

細越拱橋(めがね橋)上からの下流域の眺め。雪が融け路面が露出した道路の端で、カメラを構える“撮る人”が一人居た。

  

早戸トンネルと滝原トンネル間の明かり区間で、下流側を眺めた。

ここは狭隘な場所を只見川が蛇行する姿見える貴重な場所となっている。雪景色も良いので、やはり、景観創出事業を行って欲しいと、改めて思った。

 

「第三只見川橋梁」上から、上流側を眺めた。

  

「第一只見川橋梁」上から、こちらも上流側、駒啼瀬の急峻な渓谷を眺めた。

右上部に見える鉄塔の下が、昨日写真を撮影した「第一只見川橋梁ビューポイント」のDポイント。この列車は何人の“撮る人”が列車を狙っただろうかと思った。

 

滝谷川橋梁を渡った。往路の時よりも景色がくっきり見えたが、午前中の高温で木々の綿帽子が少なく、小さくなっていて残念だった。

     

会津柳津に到着しカメラを構え写真を撮っていると、昨日も見かけた「あわまんじゅうマン」が正面に来てくれポーズをとってくれた。隣では、業務を終了しここで降りた酒井さんが笑顔で見守っていた。

   

会津柳津を出る頃に、一時雪が強く振った。それでも沿線には“撮る人”が絶えず、キハ40形にレンズを向けていた。

      

七折峠に入った列車は、登坂を終えて下り坂を進んだ。塔寺を経て、木々の間から東側(左)に目を向けた。奥会津よりも、いくぶん明るさが増している会津平野が見えた。

   

七折峠を下り終えた列車は、会津平野を快調に進んだ。

  

会津坂下では下りのキハ40形とすれ違った。東北地域本社色の2両編成だった。この列車も、行く先々でカメラを向けられるだろうと思った。

   

列車が会津平野を進むにつれて、雪の量も減り、大川(阿賀川)を渡る時には、先の空にくっきりと青空も見えてきた。

  

  

14:25、終点の会津若松の3番線に到着。降車客の何人かは、反対側に泊まっていた新津行きの列車(新潟支社色(青)のキハ48形)に乗り換えていた。

この後、私は、磐越西線の郡山行きの列車に乗り換えた。

  

  

20:04、郡山で磐越東線、いわきで常磐線に乗り継ぎ、富岡に無事に到着。 

只見線の列車に乗る旅が、今回も無事に終わった。

今年は雪不足の影響で、沿線の雪景色を見る事をあきらめかけていたため、今日の旅は一層感慨深いものになった。さらに、引退前に陽の光を浴びたキハ40形を撮影できたことも重なり、記憶に残る旅になった。そして、春夏秋冬、四季をはっきりと感じる事ができるのが只見線の魅力で、雪景色は紅葉と並び、国内屈指の車窓からの眺めを提供してくれることを再確認した。

    

現在の運休区間(会津川口~只見)を“上下分離”で保有することになる福島県は、“観光鉄道「山の只見線」”を周知し定着させ、乗客増と沿線観光客増を目指している。

福島県は、自然豊かなで人々ののどかな暮らしがある山間を走る只見線の価値に、今以上に自信を持ち、自己主張の苦手な傾向にある会津人・福島県人が『只見線はいいがら、乗ってみっせっ!』と胸を張って言えるような、“マイレール文化”を浸透させる施策にも力を入れて欲しいと思う。

 

 

(了)

 

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考:

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室只見線の復旧・復興に関する取組みについて

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」 (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(2017年6月19日)

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

 

以上、よろしくお願い申し上げます。