『建国記念の日』と「八紘一宇」
2020.02.10 23:58
2月11日は「建国記念の日」です。「建国記念の日」の趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定しています。
「建国記念の日」が定められた2月11日は、日本書紀の中では初代天皇である神武天皇即位の日です。皇紀2680年です。紀元前660年 初代神武天皇が樫原(奈良)の地で即位した日が2月11日、その日を日本建国の日として祝うことです。
『建国記念の日』はかつて「紀元節」でした。この「紀元節」は1872年に制定されています。しかしGHQにより、戦後の1948年(昭和22年)に廃止されています。
その後「紀元節」の復活ないし「建国記念日」設置の動きがありましたが、左翼化が進む日本においてなかなか成立されていません。9回も設定の法案を出しましたが廃案になっています。「建国記念日」とするところを 「の」を入れて、「建国記念の日」として、建国されたという事象そのものを記念する日という解釈にしてようやく1966年(昭和41年)に成立しました。
「八紘一宇」は日本の初代天皇の神武天皇の発せられた言葉です。『八紘一宇』の意味「掩は八紘而爲宇」(=八紘(あめのした)を掩(おお)ひて宇(いえ)と爲(なさ)む))が語源となっています。(「日本書紀」巻第三神武天皇の条)
初代神武天皇が即位式で「天下を隈なく治め、一つの家のようにしたい」と宣言した建国の理念です。「八紘」とは四方八方、「一宇 」とは屋根で一つの家のようにすることで真意は「世界を一つの家のようにする」ことです。
大東亜戦争においての「八紘一宇」の精神が根底に流れいました。日本中心として世界に屋根をつくり、一つで家族のように和を持って暮らすイメージです。その中には、白人の植民地支配をなくすという大義名分がありました。ところが、このイメージが逆に悪く取られたのが、先の大東亜戦争後の東京裁判です。『日本は、八紘一宇の精神により、大東亜戦争で世界征服する』という認識です。
先の東京裁判で「A級裁判の東条英機首相」で「アジアのヒトラー」といわれていた東条英機でしたが、その東條が2万人のユダヤ人を救ったという事実は世界的に知らされていません。
ナチスドイツはユダヤ人迫害をするようになったのが、1933年から全ドイツで始まりました。焼き討ち、打ちこわしがユダヤ協会やユダヤ商店で行われ、数百万のユダヤ人は海外に逃げました。
しかしユダヤ人を受け入れる外国は少なく、当時では上海が世界で唯一、ユダヤ人が入国ビザなしで入れる土地でした。シベリア鉄道の終着駅オトポールにもユダヤ人が押し寄せました。その先には、日本軍が駐留する満州があり、ユダヤ人から入国を求められました。当時の日本はドイツと同盟を結んでいました。しかし、関東軍のハルビン特務機関長・樋口李一郎氏が受け入れを決める決断をしました。そして2万人のユダヤ人が救われました。
「ヒトラー総統の計画と理想を妨害する行為」とドイツはそのことに対して怒ります。しかし、この時「八紘一宇」精神の元、「人道上、当然なる処置である」と突っぱねたのが樋口氏の上司の東條英機でした。
「八紘一宇の精神の下に抱擁し統合することを理想とする」と謳い、1938年関東軍の「現下における対ユダヤ人民族施策要領」を決めた最終決裁を責任者も東条英機です。
ユダヤ人を救った日本人として杉原千畝(すぎはらちうね)・リトアニア駐在領事代理が有名です。当時6千人以上のユダヤ人を救っています。日本のシンドラーと称賛された。
「命のビザ」を発行したのは、杉原氏だけではありませんでした。八紘一宇の精神のもと、ユダヤ人も親兄弟のように扱うように日本政府の関係者に徹底させていました。
1938年の五相会議(昭和時代前期の日本において、内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚によって開催された会議)にいて、板垣征四郎元陸相は「日本は八紘一宇の国である。ユダヤ人だからと言って特定の民族を差別することはない」と説明しています。
宮崎県において平和台公園に刻まれている塔の文字=「八紘一宇」の本当の意味を知っている人がどれほどいるのでしょうか。逆に「八紘一宇」を誤解して侵略思想のように語る方たちが多いのではないでしょうか。
宮崎は神話の里であり、日本の発祥の地です。「聖地」宮崎です。その宮崎が生んだ偉人の一人、神武天皇から発せられた「八紘一宇」の精神が日本に流れています。
大東亜戦争後、多くのアジア・アフリカの国々が独立をなしとげています。そこには「八紘一宇」の精神の元、欧米の植民地支配を無くすという崇高な理想の元戦った日本の軍人の方々がいたことは確かです。
我が幸福実現党は立党以来、日本の誇りを取り戻すことを高く掲げて闘ってきました。日本の、日本人の誇りを取り戻すことのできる唯一の政党、保守本流が幸福実現党です。 日本の発祥の地、神武天皇生誕の地、この宮崎から日本の誇りを取り戻すべきと切に願っています。
『建国記念の日』に多くの方が建国の意味や愛国心を学ぶことを祈りつつ、今日も頑張ってまいります。