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『建国記念の日の謎』

2020.02.11 01:29

2月11日は「建国記念の日」。

日本の建国を祝う祭日として、明治6年の1873年に定められました。


「建国記念の日」であり、「建国記念日」ではない。

なぜ、「の」が間に入っているのでしょうか?

本郷和人さん(東京大学史料編纂所教授)の解説によれば、

「聖徳太子」と「辛酉大革命」が大きく関わっているそうです。


辛酉は古来中国で天命が改まる年とされました。即ち、王朝の

交代とな革命の年。日本では、政治的変革が起るのを防ぐこと

を目的に、辛酉の年に改元する習わしが明治になるまで続けられた

といいます。


『「辛酉(かのととり)」は革命の年とされています。

これは、中国由来の考え方で、漢の時代に生まれた儒教の

考え方をまとめた書物『緯書』で唱えられた予言「讖緯説」

に由来するものです。


「讖緯説」によれば、60年に1回の辛酉の年には、何かしら

革命が起こる。さらに、60年が21回続いたときの辛酉の年

には、ただの革命ではなく、とてつもない大革命が起こる

と言われていた。60年×21回ということは、1260年に1回の

ペースで大革命が起こるという計算になります。

その説に基づき、明治初頭の歴史学者たちは「前回、大革命

が起こった辛酉の年はいつだったのか」を検証します。


そして、「聖徳太子がいた頃に起きた辛酉が、大革命の年

だろう」と結論づけたのです。なぜ、聖徳太子がいた頃に、

大革命が起きたとされたのか。その理由は、当時の日本

では、日本の基礎を作ったのは聖徳太子だと考えられて

いたからです。

「聖徳太子がいた時代こそ、日本という国ができた年である。

日本ができた年こそ、辛酉の大革命が起こった年である。

では、そのもう一つ前の辛酉の大革命の年とは何だ? 


聖徳太子クラスの人物の関与ということであれば、こここそ

が、神武天皇が即位した年次であるに違いない」と、明治の

歴史学者たちは考えた。』

詳しくは、コチラ(日本に「建国記念日」が存在しない本当の

理由)をお読みください。


その後、戦後はGHQの意向もあり、建国記念日はなくなります。

そして1966年、「建国記念の日」が制定される際、神話の

世界の話を元にした「建国記念日」とは言えないため、

大人の配慮の結晶として、「の」という一文字が入れられる

ことになったそうです。


「建国記念の日」にちなんで、以下も勉強になります。

『日本は「にほん」と「にっぽん」、どちらが正しい? 

なぜ、2つの読み方がある?』