14冊目 モモ
20年の時を経て、初めて読んだ、凄い本。
先日読んだ、『しずけさとユーモアを』に度々出てくる児童書、『モモ』
初めてタイトルを見たのは小学二年生の頃、学級文庫ででした。でも、当時は手にとって読むまでには至りませんでした。
その後も何度かこの本を目にする機会はあれど、開いて読むには至らず。
どこかのタイミングで気になって購入し、本棚に長く眠っていたこの一冊が、吉満さんの本を読んだタイミングで、自分に語りかけてきたのでした。
主人公はモモという名の女の子。両親はおらず、円形劇場跡の遺跡に一人で暮らしています。
モモには不思議な能力があり、相談に来た人の話に耳を傾けると、相談者は素直になり、自分の心からの気持を話すことができるのです。話を聞き終えると、きまって相談者の悩みは解決しているのでした。
また、モモと遊ぶ子供達は、どんどんイマジネーションが膨らんで、次から次へとすてきな遊びを思いつくようになり、毎日楽しく、飽きずに遊ぶことが出来ました。
ところがある日、世の中を暗躍し、人々をそそのかして時間を奪う灰色の男達が現れて・・・
文章自体の書き方は平易ですが、とても深い物語です。
時間とは何か、仕事とは何か、遊ぶとは本来どういうことだったか。
文化の進行により、物であふれて、一見豊かにはなった現代。でも、便利な物で生み出されたはずの時間のゆとりは、どこに行ってしまったのでしょう。
忙しく、忙しなく、生きてしまっている毎日。真面目な日本人ほど、時間通りにしなきゃ、いそがなきゃ、とまんまと時間泥棒に時間を盗まれているような日々を送ってしまっている。
この本が書かれたのは約50年前ですが、その指摘が現代でも風化していないところに、背筋が寒くなる思いがします。
この本に出てくる大人達は、灰色の男達にだまされて、本当の意味で豊かだった自分の生活に背を向けて、見せかけの富や見せかけの栄誉を追い求め、引き返せないところまでたどり着きます。
古来より言い尽くされてきたテーマではありますが、「生きること」を哲学しないと人間は何度でも、飽きることなく同じ事を繰り返します。
死んで、生まれるたびに知識がリセットされる人間に、昔と今とで何の違いがあるはずもありません。
生まれてから何を学ぶか、どんな大人に導かれるかで、人間の質は時代によって変動します。
こうした名著が未来の子供達の周りに残り続けることを、願ってやみません。