15冊目 名人伝
自分のコアになっているいくつかの本のうちの一冊、というか一話
手元に写真がなかったので拾った画像で失礼する。
この、名人伝というお話と出会ったのは高校三年生の頃、数学の教師の授業中の雑談の中であった。
「お前達、名人伝という小説を知ってるか?ある男が弓を極めていって、弓の達人になっていくんだ。」
多分こんな感じの話し方だっただろう。記憶の中ではもっと面白い話し方をしてくれていたはずだが。
とかくその授業で僕の記憶に残ったのは、画期的な数学の解法よりも、その小説の名前だった。この辺が優等生と劣等生の違いである。
当時は志望こそ理系でも、頭の中身は文系を自負していたから、本の名前が出るといち早くノートにメモしていた。我ながらズレている。
帰って本屋に赴き、早速買って読んでみた。
最初は普通の話である。弓を極めようとした男が、最寄りの師匠に師事し、次々と修行をこなし、上達していく。
上手くなるにつれ、師匠さえいなければ自分が天下一なのではと思い至った主人公は、師匠を矢で射抜こうとするが、失敗する。
弟子の矢を射って防いだ師匠は自負心と危機感から、新たなる師匠を弟子に紹介する。
ここからが非凡である。
新たなる師匠は山奥に住み、弓も矢も使わずに空飛ぶ鳥を射落とす達人であった。
この師匠に師事し数年後、主人公は阿呆のようにぼんやりとした様子で山を降ってきた。
ただならぬ雰囲気に村人は主人公を敬うが、主人公は一向に弓を射る姿を見せてくれない。
ある時、知人が主人公を家に招待し、冗談のつもりで弓矢を見せ、その名を問うたら、主人公は本当にその名前を答えることができなかった…
青空文庫でも読めるので、今すぐ読みたくなった方はぜひ。
この話の好きなところは、解釈の余地が無限だ、という点である。
自分の中でのこの話の解釈は
「極めたればこそ、そこに執着してはいけない」
ということである。
歯科医師の世界ではありうる。
補綴が得意だからこそ、さっさと削ってブリッジに
インプラントが専門だから、早めに抜いてどんどんインプラントに
もちろん医学的適応の範囲内、ではあるが自分の専門の奴隷になると、真に相手のためになるかを見失う。
外科医はなんでも手術に持ち込もうとしてしまう。内科医であればなんでも薬で治そうとしてしまう。
全ての医師が、というわけではない。寓話的で仮想の話をしている。
自分が専門として究めたと自負すればこそ、そこに執着して、相手にとってのベストが見えなくなるのは本末転倒である。
だからこそ、この本を心に錨の如く下ろし、時々読み返すのである。
初心を、忘れぬようにと。