「どうして勉強しなければならないのですか?」
入試本番間近の中3生にスタッフみんなから最後のお手紙を渡しました。
キッズコースのママが「お迎えの度にがんばる姿を見てきたから他人事とは思えない」とわざわざお参りして持ってきてくれた学業成就の鉛筆と、スタッフが「落ちない岩」があるというパワースポットを訪ねてゲットしてきた水晶を同封して。
ぐんぐん成長する子どもたちを尻目にアップデートできてない自分がイヤになるのだけど、子どもたちに送るメッセージは毎年同じ。
一部転載します。
「なぜ勉強するのか」
に対する私の回答です。
「どうして勉強しなきゃいけないの?」
目の前の子どもからのそんな問いかけに、大人になったあなたならどう答えるでしょうか。
私は「勉強」とは、つまり「学ぶ」ということは、自分のためにすることではないと思っています。
それは、私やあなたたちがこれから出会うであろう子どもたちのために、大人として真剣にすべきことの1つであると信じています。
小さな哲学者からふいに投げかけられる「なぜ」という無垢な問いを、興味がないなどと決して軽く扱わず、知ったかぶりせず、同じ問いに対してフェアに真摯に、むしろ大人であるぶん長く深く取り組んで、借り物の模範解答ではない「自分なりの答え」をひねり出す。
そうして辿り着いた答えを、シンプルに奥深くあたたかく(できればその子がニンマリするようなやり方で)伝えることができるように、その瞬間のために、私たちは勉強し、悩み考え、学び続けるのだと思います。
自分のためだけではないからこそ、私たちは真剣に学ばなければならないのです。小さな存在に知識や経験を、あるいは考えを伝えるという行為には大きな責任が伴うはずですよね。
私は、あらゆる大人が、あらゆる子どもに対してこの責任を負いその自覚と共に生きるべきであると信じています。
世界はきっと、いま私たちが知るよりも本当はもっと豊かだし、人はもっと優しい。そしてあなたの前に立ちはだかる壁は、本当は思いきり押せば開く大きな扉なのかもしれない。
どうかこれからも、しかたないと思考を止めることなく、壁の前にあっても意志と勇気をもって行動できる人であってください。
あなたたちの豊かな学びが
次の世代に優しく伝わりますようにと祈りつつ。